16 運命なんてそんなもん
「旅に出る前にまずは準備が必要だね」
宿屋の食事処にて、キッシュは教師のようにきびきびと言い並べる。烈火は生徒に徹して口を挟まずこくこく頷く。
「まずは外套がいるね、虫除けに便利だし夜闇に紛れる寝具代わりにもなる。寝袋とか持つのもいいけど、個人的には重いし邪魔って思うな」
旅でいつでも宿がとれるわけじゃない。町が常に一日間隔であるわけではない。野宿は旅につきものだ。そして想像できることだが、野宿という悪環境で快眠を得るのはなかなか難しい。それでも充分に睡眠をとらないと旅なんで重労働は続けられない。睡眠は食事と並んで重要なのだ。だから少しでもよく寝るためのものが必要で、それが持ち運べる寝袋か、せいぜいがマントや外套などの包まれる衣類。であるが前者は荷物になって邪魔で行動が阻害され、後者はそこまで効果が期待できない。一長一短のどちらかを選ぶ必要がある。
「あと食料とかを詰めるカバンも必須かな。地図は、わたしが持ってるか。方角は知識でだいたいなんとかなるけど、方位磁石とかも簡単でいいよね」
「方位磁石ね」
まあ、それくらいはあるか。地球でも大航海時代には羅針盤が発明され存在していたはず。大航海時代って、何年くらいだっけ? 忘れた。
「あと重要だけど、《気断》の護符か、それともちょっと高価だけど《遮在》、ともかく気配とか臭気を外に漏らさない紋章魔法の刻まれた道具がいるね」
〈気〉配〈断〉つ補助系魔法《気断》。その上位に当たる存〈在〉感の〈遮〉断をなす《遮在》。どちらかの魔法を刻んだ紋章魔法道具がなければ、寝ている間に魔物に殺される。どれだけ戦う力があって、強くて屈強でも、寝ている間は無防備だ。その無防備に対策を立てねばならない。
だから気配を隠す魔法が必要となる。寝ている間に持続する系統のアイテムが必要となる。
烈火の神様能力とは違い姿は隠さないので視認はされるが、そこは外套で闇に紛れることが前提だ。まあ、それでも運悪く発見されることもあるので、さらになんらかの対策や工夫をとるのが通常である。
キーシャが言っているのは最低限だ。姿を隠し、気配を隠し、精神を麻痺させてでも眠らないと昼夜問わずに死ぬだけだから。
烈火は『不知』が寝ている間も使えないか試したことがあるが、無理だった。意識があってこそあれは起動する。寝たら途切れてお仕舞いだ。だから『不知』中に気絶した場合も、やはりゲームオーバーとなる。安心して寝たいのならなにがしか考える必要がありそうだ。
「情報収集も忘れちゃ駄目だよ。掲示板確認しなくちゃ。討伐者とか旅の人たちが情報を寄せ集めてるからね、しっかり利用して、できればこっちも情報を書き込んでおかないと」
情けは人のためならず――巡り巡って己のためだ。
情報流通が難しいファンタジーでは、伝言やこうした掲示板が頼みの綱。誰かが伝えて、それを知ったことで生き残った別の誰かがさらに加えて、少しずつ情報を共有していく。自分の情報が誰かを生かし、その誰かの情報が自分を生かすかもしれない。知ることと伝えること、大切だ。続けなければならない。サイクルを壊してはならない。これを怠れば旅の危険度はぐっと増すし、他の討伐者や旅人からいい顔はされない。
みんな命がけで、必死で、生き延びたいのだ。そして無知は死への直行を意味する大罪である。
「まあ、たまに嘘とか間違ってたり、勘違い、それに古い情報も残ってたりするから、他の情報とかもすり合わせて整合性を考えないとだけどね」
「リテラシー能力か……ネットだけのもんじゃないんだな」
「ねっと?」
聞きなれない単語にきょとんと首を傾げる。幼子のような仕草。普通ならぶりっ子かと疑いがもたげるが、キッシュの場合は単純に可愛い。まず間違いなく自然とその挙動をしている。それがわかるからやはり可愛い。養殖より天然物が断然優れているのである。
ひと和みしてから、烈火は首を振る。列挙される難儀な説明にも、こうした和む要素があると聞いていられると知った。そういえば七ちゃんの説明も割と聞けていたな。
「なんでもない。他になにか注意事項はあるか?」
「そうだね、掲示板でも特に見るべきなのは、行く方角に出た魔物の情報とか、道がちゃんと機能してるかとか、次の町までどのくらいとかかな」
「ふむふむ」
しかしやはり、聞くほどに思う。
旅とか面倒だな……。
なんでファンタジー冒険活劇とかあんなにわくわくして読んでたんだろう。凄いヤバイじゃん。危険じゃん。面倒極まりないじゃん。他人事だからか? 他人事だからだろうなぁ。
自分の身に降りかかれば、人里から離れるとか自殺行為にしか思えない。未開の地域など、踏み入るだけ危険性が増大するだけだ。烈火に冒険職は向いてなさそうだった。
そう考えると、キッシュの内心が気に掛かる。少々の罪悪感が湧き上がる。
「しっかし、なんか悪いな。そんな危険で面倒で命懸けの旅にこんなズブの素人が同行させてもらっちゃって」
「別にいいよ、旅は道連れ世は情け。困ってるんなら助けるよ」
その言葉はこの異世界にまで存在するのか。なんて異世界情緒のない異世界だ。ことわざまで同じとか。せめて近しい意味で別の言葉に置き換えておいてほしかった。
「それに、黒髪黒目の人は、わたしの故郷では幸運を運ぶって伝わってるからね。レッカと行けば、きっとキーシャに再会できると思うの」
「…………」
一呼吸、烈火は口を噤んだ。熱が下がって瞳が冷え込む。
それから困ったように頭を掻いて、少しだけ荒んだ思いが漏れそうになって、声にしない努力だけをした。だが、声にせずとも思いは漏れ出た。ずっと傍にて黙って見守っていた少女に向けて。
(なあ、七ちゃん。ふと思ったんだが――キッシュとの出会いって、神様にお膳立てされたわけじゃないんだよな?)
妹を探す少女。頭の回転も悪くないし、人柄もいい。いわゆる善人に分類していいだろう。
言い換えるとこうだ。
ドラマを持った見目麗しい少女。愚かでないが都合のいい性格で、いわゆるお助けキャラに値する。
物語の登場人物として相応しく、役者として在り来たりな、そんな少女。
七は烈火の言いたいことを汲み取り、なお笑顔のままで対応した。
「都合がよすぎると? 面白そうな事態で、楽しみたがりな母さんの差配だと?」
(一週間ほど全く見向きもされなかった依頼が、不意に事情もちのAランク美少女に受領される。物語的だなぁって思うのは、感性歪んだこじ付けか? おれが勘ぐり過ぎか?)
「さて、どうでしょう。
ですが、ここで断言しておきますが、私たち神子も母さんも、運命には干渉できませんよ。それができるなら、この歪な世界を形作るのはもっと簡単でしたよ」
それができないからお告げの形で文化を伝え、枕元に立っては人々に示唆を与え続けたのだ。
扱いやすい人間に力を与えて指導者にすることでこちらの意志を反映させ繁栄させたり、逆に衰退させたり。傀儡に都合のいい世界観を構築するため、素晴らしい発想をする誰かを蹴落としたり、独創的な考えの誰かを引き上げたり。
細やかな人間への干渉という手間を、もっと減らせた。
(けど、【運命の愛し子】ってのは運命に干渉する能力者じゃねぇのかよ)
「あれは実は運命干渉じゃないんですよね。実際はお告げとかの延長ですよ。彼に利があるよう、彼の敵に害があるよう周りの人間に神様としてお告げしたりします。【運命の愛し子】のスキルって、要は神子がある程度の力を行使できるという特権ですね」
(戦闘とか、直接的な危険は? それも選んだ神子がなんかすんのか?)
「はい、五の姉ぇが規定された範囲内で、かつ幸運という名目で起こりうる範囲内でのサポートをします」
直接的に神子が敵を討ち滅ぼすのではなく、偶然に見せかけて転倒させ隙を作るとか。適当に振り上げた腕が偶々顎を打ち抜いてしまうとか。ちょうどよく風が吹いて葉が運ばれて敵手の視界を一瞬奪うとか。人や自然、周囲のなにがしかを動かして幸運を人為的――否、神為的に演出する。まさしくまさに天佑神助の文字通り、だ。
結果的に幸運のように見えるような作意ある天佑、故意の神の手助け。それが【運命の愛し子】に与えられたスキル。正しく神の加護である。
(……なんか面倒だな)
「ええ、面倒です。そんなクソ面倒な能力を選びやがってと五の姉ぇも怒ってましたよ」
怒ったのかよ、ふたりで考えたんじゃないのかよ。
ともあれ、つまり五番目【運命の愛し子】を相手取るなら神の妨害があるというわけだ。手抜きとは言え神の子とやりあう――また心労が増す。玖来 烈火には試練ばかりだ。まあ、そんなものは神子に見初められた瞬間から定まった、それこそ運命とかいうものなのだろう。発端は神と神子だというのに、その当人にもどうにもできないとか、どうなの。
嘆く烈火が楽しくて、七は上品に綻んだ口元を隠す。やはりこの人は面白い。打てば響くリアクション辺りが。というわけで打ってみる。
「あぁ、物のついでに言いますが、時間関係への干渉もできませんね。時を止めたり、逆行したりはできません。時間軸をズラすくらいはできますが、一度定めれば途中で変更もできませんし」
(ふぅん? そういやこの世界の時間ってどうなってんの、地球と同じ?)
「いえ。正直に言って地球時間で言えば、こちらの世界が出来たのは二十年前です」
(――は?)
気軽に問うたら、物凄い回答が飛んできました。
一瞬ほど意識が空白となるレベルの驚愕なんですが。七ちゃんは至っていつも通り。
「で、現在のこの世界の歴史は記録上で千六百年ちょいで、紀元前が四百年ほどありますので、地球での一年がこっちで約百年ってとこですね」
(そっ、そんなのありえないだろ。二千年程度で星が出来て生命生まれて人類発祥して文明を築けるわけがねぇ。地球じゃ四十六億年かかってんだぞ!)
「星は元からあったのを選びましたし、なにより凄いテコ入れしましたし。四百年で地球上の云億年を過ごしまして、人類誕生させましたよ。で、すぐに暦法を教えましたので、人類の歴史は千六百年になります」
(マジかよ、眩暈しそうなんだが)
夕飯なら昨日の残りを少しアレンジしました――それくらい気軽に世界を創って、そして歴史を加速させたとか言うな。
スケールが一気に拡大した。意味がわからなくなる。人は大きすぎるもの、遠すぎるものを想像することが困難なのだ。衛星軌道上からは地上でピースしたって見えませんの原理。
……ちょっと違うかもしれない。ほんのちょびっと。紙一重。
と、今度は肉声。念じた思いではなく声。七ちゃんではなくキッシュレア。
「? どうしたのレッカ、黙りこんじゃって」
「へ……あぁ、いや、すまん。ちょっと考えごと」
しまった。キッシュと話している最中に七ちゃんと念話してたら、そりゃ不審だな。
若干慌てる烈火に、キッシュは不安そうに表情を曇らせる。言ってはいけないことを言ってしまったかもしれないと肩を縮める。申し訳なさそうに、言う。
「もしかして、黒髪黒目ってあんまり指摘されたくなかった? だったらごめんね。人と違うと、変な目で見られたり嫌なこともあったよね」
「いや、違う、違うぞ? ほんと、どうでもいい考え事しちゃってさ。おれ、たまにいきなり考え込むことあるんだよ。そういう癖があんだ」
こうでも言っておかないと七と会話する度に心配されてしまう。
というか念話と会話を並列走行しようとしたことがミスか。できるようになるまで練習する……いや、それも面倒だし、七ちゃんに言って人前では極力話しかけないでほしいと言っておくべきかもしれない。
不審者扱い、奇人変人扱いは、できればもう二度と御免だ。だって受付の人のヒき顔未だに記憶に焼きついてるぜ?
誤魔化すように咳払い。なんとなくいい感じに話をまとめにかかる。
「まあ、この髪と目が幸運を呼ぶってんなら、あやかっとけばいい。おれもそのほうが助かるし。この場合キッシュに都合がいいってより、どっちかって言えばおれが幸運だろ」
「それは……そうだね。どっちにもよくて、どっちもがいいって言うんだから、問題ないよね」
「おう、互いに利益がある関係が出会った。それだけだ。別にどっちが利用したされただなんだ、それでいいんだよ」
「なんだかそう言うと、運命みたいだね」
「運命、ね」
神様でも操れない。精々が人を示唆して掻き乱すしかできないとかいうアレ。それを、キッシュは笑顔で容易く口にするのだった。
まあ、夢見がちな少女には似合う言霊ではあると思う。要はなにはともあれ可愛いからよしなのだ。
けれど烈火としては、
「まあ、運命なんてもんは、運がいい時にだけ信じてればいいんだよ」
運命なんてそんなもんだと思うのだ。