i. 決意
荒貝 一人視点での語り。
別名、荒貝一人の一人抗い旅。たまに混ぜるローマ数字の回。
「これは……」
荒貝 一人は死したはずの自身を認識し、最初に困惑した。
死んだ瞬間を覚えている。死へ至る苦痛を覚えている。死を受け入れて眠ったことを覚えている。
では、なぜ自分はこうして目覚め、立っている。
手の平を見やる。さして懐かしくもない、いつも眺めていた己の手である。握り、開き、思い通り。やはり自分は荒貝 一人だ。
彼が思った以上に医学の進歩が目覚しく、蘇生に等しい治療を施されたとでも言うのか。それとももっと別の技術が発展していたとか。
考え、周囲に目を遣る。
真っ白。殺風景。なにもない。地平の果てまで空白だけ。
ここが病院だとは露ほども思わない。どころか、今まで生きた常識で判断するなら、こんな場所は存在しない。強いて言うならば夢の中か。死の刹那に垣間見る夢幻の世界に自分は落下したということか。
であれば、もうじきに荒貝 一人は霧散するのか。死という圧倒的な概念に覆われて、目を閉じ二度と起き上がらない。
……それは。
「嫌かね?」
「っ――誰だ」
警戒は怠っていないのに、滑り込むように割り込んできた何か。
反射で振り返る。驚愕を警戒心で抑えこんで誰何の声を上げる。極力冷静に、常態を維持して何かに対峙する。
何かは――人に似た姿で答えた。
「私は神の子、第四神子のグリュンだ」
「神の、子だと?」
そして、グリュンの荒唐無稽な説明がはじまった。
神様へ至るためのゲーム。七人の傀儡による殺し合い。魔法などという理不尽の存在する異世界。死んだ己が生き返るかもしれない契約。そして、殺し合いを勝ち抜くための、神様の力。
全てを聞き入れ把握し、全てを呑み込み理解し、荒貝 一人は口を開く。簡潔に一言、
「くだらん」
と言った。
「くだらんな、そんなものがなくとも人は生きて行ける。人間は人間であるだけで万物の霊長だ。その身と知恵と魂さえあれば、どんなものにも打ち克つ素養を生まれた時より持ち合わせている。神の気紛れた恵みなぞ要らん。人を人たらしめる因子を除けば全てが不要だ。つまらん茶々入れは無用、勝手に手出しをするな戯けが」
「聞いていたのか、お前の前に契約した三名は、全員がお前を容易く殺せるだけの力を――」
「人にもらった力で踏ん反り返る馬鹿者どもが、どうして恐ろしいものかよ」
澄み渡るほどに真っ直ぐで、潔いほどに愚直に、その感情は伝わってきた。
虚飾もなにもない。ただ一直線に怒りを発露している。己が正しく、己の思想が正当で、だからそれに反する行動をとった傀儡どもが腹立たしい。
あぁ、やはり母の言う通り、彼もまた異常者だ。こんなにも強く己が魂を肯定し、輝かせている。そんな人間が一般的に多く存在するわけがなく、してはいけない。
けれど構わない。グリュンはどんな人間でも愛そう。それが神子としてのあり方だと思うから。
「では、どうする。それはゲーム参加の意志と受け取っていいのか?」
「ふん、そうだな。最初はそんな茶番などに付き合うくらいなら死んでやろうと考えたが、結論を変えよう。このような話をされた時点で、おれは敗北しているのだろうからな」
「敗北?」
なにを言っているのだろうか、この人間は。
先からよく掴み取れない人格に、グリュンは戸惑ってしまう。荒貝の言葉が肯定なのか否定なのか、よくわからない。
荒貝にとってはなんらの不明瞭もない己の進行でしかなく、つつがなく話を続ける。
「だがその前に聞こう――貴様は神になりたいのか?」
「いや、どうでもいい」
なにが不明でも、その答えだけは明確で。はじめから、そのつもりであった。
隠し立てもせずに言うのは、せめて傀儡への義理立てだ。
安らかなはずの眠りだというのに勝手に起こして、戦えと選択を迫る。生を再度得る可能性を与える点では礼を言われるかもしれないが、殺し合えと言われれば非難もあろう。
この荒貝 一人からは恩も非難も感じないのは想定外であったが。
「ほう? では何故このゲームに参加するのだ」
「なにも知らぬ間に神の座が確定されても流石に困るのでな。推移を眺め、決着に納得するために、目が必要だったのだ。ゲームに参加すれば、傀儡について端末という目を獲得できる。そのためだ」
「その言葉に偽りはないな――神の子とやら」
斬り付けるような確認。ひりつくほどに燃える意志を、その言葉の奥に潜ませていた。
この男、上位者であるはずの神子を値踏みしている。言葉の真意を探らんと試している。
グリュンは、なにも動揺しない。湖畔の如く、静寂の夜のように。彼にとっては真実を話しているだけであるし、人に侮られる神子など存在しやしない。
「ない。神など不在でも構わないし、座すというなら適当な奴が座ればいい」
「では貴様が神となれ」
「……なに?」
当然のように言われ、グリュンは一瞬意味がわからない。
荒貝 一人は、やはり止まらない。彼は前しか見ないから。
「神となり、神を捨てよ。世界を人類に返せ」
「神なき世を欲すると?」
「その通り。人に神なぞ不要だ、不要極まる、放っておけ。
あぁそうだ。神なき未来――神なき世を目指すために、おれは神の戯れに参加してやろう」
そうして、このゲームの趣旨からすればまったくおかしな契約が交わされた。
奇妙な関係で、第四の神子と傀儡の組み合わせは異世界へと投げ出される。
「ほう、これが異世界か……」
風景を感じ入るように、荒貝 一人は感嘆の声を上げた。
生い茂る緑がどこまでも広がり、潮騒が届く、風が柔らかい。海に程近い場所らしい。異世界にも海はあるらしい。
細かく見遣れば見知らぬ捩れた樹木が林立し、遠く羽ばたくものは鳥ではない、もっとおぞましいなにかだ。ざわめく獣どもの声も奇怪で聞いたこともないし、香る花の匂いは奇妙に甘い。
地球のようでいて、違う場所。異世界。ここが異世界ファルベリア。
しばらくして荒貝は振り返る。美しい風景は素晴らしいが、それは観賞するだけしかできない。そろそろ行かねば。歩き出す。
「まずはこの世界を知らねばならん。この世界に住まう人類を知る、全てはそれからだな」
「ある程度なら語るが?」
グリュンの提案に、荒貝は嫌悪露に目も向けない。
「神の視点で語られた人類なぞ聞きたくもない。
書物はないのか。生きた人々を見渡して、血とともに積み上げられた文字を俯瞰し、それでこそ人類がわかるというものだ」
「では、書物を与えよう。この世界に訪れた際に、一度だけ神子から傀儡へこの世界で流通する金、またはその金の内で買える武具などを渡せる」
「武具というが、書物でも構わんのか?」
「まあ、知識も確かに武器ではあろう」
「ふむ……」
一瞬だけ躊躇うような素振りを見せるが、次には屈辱に耐えるような声を出す。この借りはいずれ返すと燃えたつように誓いながら。
「では、この世界を描いた歴史書を。そして、魔法とやら、それについて記載した書物をくれ。子供向けの初歩の物と、難解な上級の物を。できるだけ多くな」
「他にはいらないのか? 金を全て本に費やしていいのか? 武器もなくこの世界を旅するつもりか」
「そうさな、では頑丈な刀を一本くれ。後は全て本にしてくれ、金などいらん」
自然の中での生き方ならば知っているし、この身と知識があればどのような場所であれ適応してみせる。人間は適応する動物なのだから。
グリュンは了承し、幾つかの書物を荒貝に与える。
そうして荒貝 一人の一人旅は静かにはじまった。
荒貝 一人は考える。
旅をして、人々を見て、世界を知り、未知を目の当たりにして、考える。
あぁ、この世界は駄目だと。つまらぬ、くだらぬと。
なにからなにまでどこかで聞いたような名前で、設定で、世界だ。
のめり込むほど架空めいて、あからさまなほどに陳腐、違和感のないくらいに作り物染みている。意図的なほどに馴染み深く、作為的なほど理解が容易。
そもそもコンセプトである神の座を求めての闘争というのも有り触れた「設定」だろう。代理人が争うのもそう珍しくはない。
漫画やアニメ、テレビや小説に没頭していた人間には、この世界が現実と思えるのだろうか。現実感が薄い、まるでテレビゲームの世界にでも放り込まれたようだ。
あぁ、だから日本人なのか。傀儡と選定された人種が、日の本の人間なのか。その手の現実逃避はお手の物であろう。偏見かもしれないが。
神の思惑としては、現実逃避に非現実を常識的に生きないことを望んでいるのだろうか。
ここは架空だからなにをやってもよい――そういう風に思考を誘導している。
残虐な快楽に耽る人間を見下したいからか。下卑た欲望に溺れる人間を見世物にしたいからか。異常な行為にいそしむ人間を嘲笑いたいからか。それとも、こんな神の運命なぞを切り拓いて輝く人間を慈しみたいのかもしれない。
自分はどれにも当てはまらない。当てはまりたくないと考えている。それは神の悦楽に加担することになるから。
荒貝 一人は考える。
彼の思考はシンプルだった。こんな世界に飛ばされて、そこで生きて戦えと言われて――まず最初に感じたのは怒りである。
端的に言って腹立たしい。
見聞きした人々の神への信仰、耽溺、依存。
それも怒り心頭ではあるが、それよりも神の態度にこそ赫怒を叫びたい。
この世界は、この世界に今生きている人々を蔑ろにしている。この世界で過去積み上げてきた人々を踏みにじっている。
神の手が加わり、いずれ現れる七人の傀儡に都合いいように形を整えられている。それが自然となるように世界を、人々の思想を誘導し操作している。
なんてふざけたことをする!
この世界の人間が愚かでないことは手に入れた魔法に関する書物を読めばわかる。様々な創意工夫がなされ、歴史を重ねて手順を踏んで、後世に知識を残し肥大していく。まさに地球で言うところの科学であり、その進歩だ。地球の人類は二千年かけて宇宙に踏み込み、月へと至った。ではこの世界の住人が似たように魔法を進歩し続けて、やがて月にでも飛び立つかもしれない――しれなかった。
だが神に介入され、人々は神が存在することを当然と甘受している。常に上位者の存在に見下され、隷属され、自尊心を折られている。
この世界の人類は月へは行けまい。地球人にはあった馬鹿げたこと本気で信じて貫く意志が、端から奪われているのだから。
あぁ、なんという悲劇だ。出来るなら、こんな無様を演じさせた神とやらをこの手で絞め殺してしまいたい。
昔から神とかいう胡散臭い存在は嫌いであったが、その存在を確信してからさらに嫌いになっている。
長寿で世界を創った程度で見下しおって、いずれその傲慢の報いを払う時が来ると知れ。
荒貝 一人は願う。
願わくば神なき世が生まれんことを。
願わくば――この世界の人々が、自らの足で立ち上がらんことを。
*個人の感想であり、世界の真実を説明するものではありません。