再会そして別れ
ラストです。
その表情は柔和でまるで天使が微笑んでいるようだが振り上げた手から伸びる鋭い爪は確実に相手を殺すもので天使が持つには聊か物騒だ。
とっさに横に転がったが振り下ろされた爪は私の太ももを掠めていった。
舌打ちもそこそこに、次に来る攻撃に備えようと包丁をベルトから抜き構える。
さっきまで使っていたのはショウジが止めを刺した時に床に落としたままだ。
「ふふ、あなた面白い。遊んであげる。」
一撃でしとめられなかった為か奴の興味を引いてしまったようだ。殴り殺しのメニューに変えたのだろう。
その後繰り出される攻撃は避ける事は出来ないが防げば何とか致命傷は避けられる様にうまくやつのペースに踊らされていた。
そんな中、背後に食事を終えたのか奥から出てきたもう一体が私に近づいてくる。二体同時なんて無理だ、そう思い助けは来ないと知りつつも回りをきょろきょろと見回す。
その間も正面からの攻撃は止まず徐々に深い傷が増えていく。視界の端で捕らえたリンやショウジの様子に目を見開く。
リンは倒れていた。握っていた包丁は床に転がっている。生気のない顔は白く目は半分しか開いていない。その視線はその視線は私と交わることはなく一点を見つめたまま動かない。もう、たぶん一生動かないだろう。
ショウジはリンの名前を叫びながら重症にもかかわらず目の前の一体に攻撃していた。しかし、もう一体に背後を取られあっけなく床に倒れていく。そう、破壊された壁側から二陣の半数が集まったのだろう。
もう生きている人間は私だけ。奴等はどんどん増えていく。
絶望感に機械的に動かしていた腕を攻撃され包丁が手から離れていった。
「あ、」
気付いた時には遅く私の眼前に振り落とされる爪が迫っていた。
一瞬の出来事で目を瞑る暇もなかったがその爪が私の体に刺さる寸前で何故か停止したまま動かなくなったことで私は我に返った。すぐさま横に飛びのく。
私に対峙していた奴は私を一瞥した後、無表情のまま新たに来た集団に向かって歩いていった。後ろにいた奴も私を気に掛けることなく集団へと歩いていく。わけがわからないまま私はその集団の中心にいる男に目を向ける。
何故か、懐かしさを感じた。そう、この顔に見覚えがある。記憶は戻ってないがそう確信した。
「間に合ってよかったよ。君を逃がした時はどうしようかと思ったね。生きててくれて嬉しいよ。さぁ、前みたいに仲良くしよう。怖がることはない。」
総じて造形美のいい奴等に例外はないらしく、この男も息を呑むほどに美しい。加えて低い声は聞き手を安心させる穏やかさを兼ね備えている。初対面ならば一瞬で虜になっているだろうが私は違った。いや、以前は虜だった。彼の正体を知るまでは。
「さぁ、おいで。サーヤ。」
その名を男が口にしたとたん、私の中に記憶の渦があふれだす。
「あ゛ぁぁ…。」
その苦痛に耐えられなくなって頭を抱えながら呻き声をあげその場にうずくまる。
それは、数分にも数十分にも感じられたがその間に攻撃されることはなかった。
はぁはぁと短い呼吸を繰り返し顔を上げると男が目の前に膝を付いていた。
「思い、出した。ケイン…貴方は私の婚約者で…人類の裏切り者。」
目の前の嘗ての婚約者、ケインを見据え私は隠していた果物ナイフを振り上げ、横へと撫ぜる。幸い自分から進んでこの男は私の手の届く所にいる。一撃は無理でも首を狙えば…。
しかし、相手の反応は早く腕をとられ傷一つ付ける事は出来なかった。
手首を返されナイフを落とす。金属が床に当たる音が響き虚しさが募る。
「抵抗は無意味だ。それは君が一番よくわかっていることだろう。あまり焦らさないでくれよ。もう待ちきれないんだ。本当はあの時と思っていたけどどうやってか君は逃げてしまったからね。あぁ、この瞬間を待っていたよ。」
笑みしか出来ないはずの奴らには珍しく恍惚とした表情を作るケインは私の頬を片手で包むとまるで愛おしそうに顔を寄せる。
私は何も出来ないまま成すがままだ。
そのまま、ケインは自分の唇を私の唇に軽く触れさせる。体温のないその唇は冷たかった。
そう言えば彼の手も唇も温かさを感じたことはないなと思考の隅で考える。
戻ってきた記憶は私と彼の関係を明らかにするには十分で、尚且つ、この現状も説明は要らないほど理解していた。いや、撫ぜこの状況になったか誰よりも知っているかもしれない。
唇は離れたもの少し動けばまた重なりそうなほど近くにあるケインの顔が遠のくことはなかった。気付けば他の奴等はリンやショウジを引きずってどこかに行ってしまった様だ。この空間には私達二人以外何もいなかった。
「よそ見しないで。最後の時を楽しんでいるんだから。」
そう言いながら、また唇を合わせる。
そんな事をされても私にはかつての想い等沸いてくるはずもなかった。
だって、彼は私の両親を始め、親友、友達を皆殺しにしたのだから。しかも婚約披露パーティーで。
家で執り行ったパーティーはそこまで規模は大きくないけれど知り合い皆が来てくれて結構な人数になった。
そこを襲撃してきたケインの手下に皆殺しされたのだ。しかも、親に止めを挿したのは他ならぬケインだ。
それはもう、阿鼻叫喚の地獄絵図では説明しきれないほどの惨劇だった。真っ白なワンピースが真っ赤に染まるほどに。
ケインは“ヘルティック”の親玉だ。
数少ない純潔で表情も変われば足音だってする。話し方だって他の奴等とは比べ物にならないくらい感情がこもっているしなにより、人間くさい。しぐさも表情も行動もだ。何もかもが人間にしか見えず疑いもしなかった。
リン達が言っていた特徴は“ハーフヘル”と呼ばれる元人間のヘルティックのことだ。
奴等は繁殖機能が著しく低く頭数を増やすには手っ取り早く人間を“ハーフヘル”にするしかない。
純潔のヘルティックの肉を食せばハーフヘルへと変貌する。しかし、四割くらいが相容れずそのまま死んでしまうとの報告もあがっていた。その条件等はまだ明らかになっていない。
純潔のヘルティックは再生能力が驚くほど高く肉を削ったくらいなんて事はない。
上層部から奴等の出現の話は聞いていたがまさか自分の婚約者が親玉とは思いもしなかったのだ。二年も付き合っていたがわからなかったのだから誰が見てもわからないだろう。
奴等はずいぶんと気長に侵略の機会を伺っていたらしい。
「あぁ、泣かないで。すぐに一緒になれる。悲しむ必要はないんだ。」
何が悲しいかもわからないまま涙が勝手に頬を伝う。
「ずっと一緒に居たかったけれど、きっと心の澄んだ君はハーフには成れないから…僕の血となり肉となり一緒に生きていくんだよ。脳を食べれば記憶も一緒に入れられるしね。」
そうして、また、唇をあわせる。離れる際にペロリと私の唇を舐めるのは別れ際の最後のキスをする時のケインの癖だ。
これで、最後。
「本当に愛してたんだ。でも、本能には逆らえない、我ら種族は。さようなら。」
私の頬を包んでいた手を頭の後ろから回し乱暴に頭を横に傾ける。反対の手で邪魔な服を破きながら私の晒された首筋に齧り付いた。
「…。」
同時に、強く捻られた首からゴキリと嫌な音がした。私の小さな囁きはきっと誰にも届いてはいないだろう。私の意識は闇へと落ちていった。
私がケインに殺された数日後、全世界の政府が総力を挙げ私達の国に全軍を終結させたおかげで呆気なく奴等の侵略は幕を閉じた。
まだ、記憶のある時に私が上層部へ流した奴等の情報が役に立ったようだ。
一般市民ならいざ知らず、完全武装した軍人にハーフヘルは簡単に殲滅されていった。
手ごわい純潔も圧倒的な数の差に一人また一人と朽ちていった。結局最後まで生き残ったのはやはりケインで、最後は食事をしていなかった為再生能力が低下し四肢がなくなり動けなくなったところを一刺しだった。
なぜ、彼が私の後に食事を取らなかったのかはわからない。
私に近づいたのも軍事内容が知りたかったからだろうが私も一軍人だ。内部事情を恋人に話す事はなかった為軍事力に対抗できずにこの結果となったのだろう。自分達が軍に入ると食事が出来なくなるので出来なかったのかもしれない。
大なり小なり標的に思い入れを持った時点でケインの敗因は決まっていたのかもしれない。
こんなに予測ばかりの話になるのは私はもう死んでしまっているから。
もう存在しない私には彼らの先のことはわからない。
「同じ種族に生まれていたら、私たち、ずっと一緒に入れたかな…。」
あの時の言葉、ケインは聞こえていたのだろうか…
観覧いただきありがとうございました。