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九月も残り一週間を切り、土曜日にはとうとう籠目祭を迎えることになった月曜日、気温はまた一段階下がっていたが、生徒達の熱気は二段ほど上がっていた。
麻友の懸念は取り越し苦労に終わり、何事かはあったものの、駄菓子は無事に教室へと届けられた。
しかし新たな疑念が生まれることになった。
放課後の教室からルリの姿が消えたのだ。
ルリはいないがナナは残っている。
放課後はいつも一緒にいる二人が別々にいることにクラスメイト達は居心地の悪さを感じていたが、当の本人の一人であるナナは気にしていないように、準備に積極的に参加していた。
次の日の午前中の休み時間、皆に背を押される形で麻友がルリに訊いた。
「昨日はどうしたの?」
「ちょっと用事があったんだ。なにかあったのか?」
「なにもないけど。ルリとナナが一緒にいないなんて変じゃん。喧嘩でもしたのかなって」
「あいつが何か言ったのか?」
「やることを見つけたみたいだから放っておけば良いって……」
「その通りだ。昨日も一緒に帰ったし、喧嘩なんかしてない。ちなみに今週はろくに出られないと思うから、あいつのことはよろしく頼む。手に負えなくなったら電話で呼んでくれ」
「ちょっと、それって……」
麻友の追求は、予鈴によって妨げられた。そして宣言通り、その日の放課後もルリは姿を消した。
ルリには特に役割は振られていなかった為、準備には支障が無かった。あえて言えばナナの世話係だったのだが、ルリがいないならいないでナナと普通に接することができるのだと、クラスメイト達はようやく理解した。
有り余るほどの美貌とルリという大きな壁に近寄りがたいものを感じている者が多かったのだが、一緒に作業をする間にそれらの壁を徐々に低くなっていった。
そしてあっという間に金曜日を迎えた。授業は午前中で終了し、午後は籠目祭の準備が行われる。
最後の追い込みで、学内は慌しい雰囲気に覆いつくされていた。
そんな中、ルリは一人、中庭のベンチで呆けていた。精神的にも体力的にも疲れきった身体を指一本動かしたくない気分で、渡り廊下を行きかう人をぼんやりと見ていた。
しばらくそのままでいると、やたらときらきらと光を放つ人物が通りかかった。その人物はまっすぐに歩いてきて、断りもせずにベンチに腰を下ろした。
「その様子じゃ、お昼ご飯も食べてないんでしょ」
ナナは持っていたビニール袋をルリの膝の上に置く。中にはおにぎりが三つとペットボトルのお茶が入っていた。
「ありがとう」
礼を言うと早速一つほおばる。
ナナは携帯電話を開くと、画面を見ながら話し始める。
「増田君情報によると、大量の票が私に流れているらしいわ。特に体育会系クラブの票が流れてるんだって。陸上部も松本さんを押すのを止めたって」
「良かったな」
ナナは二つ目の包装を解く。
「自分の手柄はもっと誇ってもいいのよ」
「ちょっとコーチングをしただけだ」
スポーツ観戦オタクであるルリは、スポーツに関しては特殊な目と記憶力を持っている。選手達の身体の動きを覚えることができるのである。一流選手のプレイを観まくっているため、どのように身体を動かせば最も良いプレイができるのかが分かるのだ。
もちろん体力的にも身体的にも制限があり、完全な再現をすることは難しい。しかしそれに近づけることはできる。
夏休み中にルリのコーチングを受けた水泳部の記録が全体的に上がったことは、体育会系クラブの間では少し話題になっていた。彼等は自分の記録を伸ばすことに貪欲である。
この一週間の放課後、ルリは体育会系クラブの練習を放浪していた。最初は見知ったクラスメイトなどに声をかけることから始めた。高校のクラブレベルでも動きが良くなったことは、自分だけでなく周囲で見ている者にもすぐに分かる。瞬く間にルリにコーチングを頼む者が増えた。
この一週間で籠目高校体育会系クラブの能力は、籠目祭の準備で練習が制限されているにもかかわらず、三割ほど向上したはずだ。
「それだけだったら、カッチン票が増えるはずでしょ」
「私にはそんなの似合わない」
「皆さんが勝ちたいのと同じように、私には勝たせたい奴がいる」
ルリの口調を真似するナナを、ルリは心底あきれ果てた目で見る。
「知っていても、それを言っちゃ台無しだろ」
「それは違うわ。カッチンが私の為にすっごい頑張ってくれたんだから、私がいっぱい感謝しているってことを伝えなければいけないの。ありがとう」
極上の笑顔が振りまかれ、薄暗い中庭が一瞬光で満たされる。
「……礼を言うのはまだ早いんじゃないか?」
「ええ、お化け屋敷喫茶を成功させるわ。カッチンにもとびっきりの衣装を用意しているからね」
勢い良く立ち上がったところで水を差すように携帯電話が鳴ったので、とびっきりの衣装について確認することはできなかった。