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「カット」
横手から威勢の良い声がかかった。
「ちょっと休憩」
力演していた映画部の少年少女達はふっと力を抜き、ダラダラとカメラの方へ歩いていく。何かをぶつくさと言いあっているが内容は分からない。
カットと合図を出した少年、大きな眼鏡をかけ黒いサンバイザーをかぶっている、は持ち場を離れて中庭の一角へ走っていった。
走っていった先にあるベンチには、二人の少女がくつろいだ姿勢で座っている。
籠目高校が誇る超絶美少女、枇々野那奈と、その相方とみなされている阿久津瑠璃である。
ただの古びたベンチなのに、金色の玉座にでも座っているかのようにナナは堂々としている。監督君は腰をかがめながら女王の前に立った。
「ちょっといいかな?」
「出演依頼かしら?」
ナナは優雅に微笑む。
「いやー枇々野さんを撮りたいのは山々なんだけど、とりあえず今は籠目祭向けの作品を撮らなくちゃいけなくて、押しまくってやば過ぎる現状を考えれば、今から脚本を変えるなんて自殺行為は到底取れないな」
籠目祭とは籠目高校の文化祭のことであり、毎年十月の第一土曜日に開催されている。
「ではなに?」
「申し訳ないけど移動して欲しいんだ」
「カメラには入っていないでしょう」
「うん、カメラには入ってない。けど問題はそこにあるんじゃなくて、えーとつまり、君に見られていると役者達が緊張するんだ。もうガッチガチで話にならない」
「見られて緊張してたら、役者失格じゃない」
「いやいやおっしゃる事はその通りだけど、彼等も僕もプロの役者じゃないし、プロの監督でもない。そこのところはちょっと大目に見て欲しいな。それに君がいると、その他のギャラリーも増えるんだ」
監督君の言う通り、中庭にはけっこうなギャラリーが集まってきていた。
中庭は校舎と文化系サークル棟との間にあるため、放課後でも人通りはそれなりにある。今は文化祭前ということで校内に残っている生徒は普段より多い。しかし今は、それを差し引いても異常と言えるほどの人数が集まっていた。
一部は映画部の撮影を冷やかしていたのだが、大多数の生徒は、映画部を冷やかしているナナを観に集まってきているのは明らかだった。更に、生徒だけではなく教師も混ざっている。
一生懸命演技をしている映画部よりも、ただ座っているだけのナナの方が良い画になってしまうのは確かだから仕方がないとも言えるが、映画部としては悔しい限りだろう。
ナナはそんな映画部を気遣ったりはしない。
「良い練習になるじゃない」
「それはそうなんだけど、残念ながら練習している時間はもうないんだ。早く本番を撮らなくちゃいけない。撮り終わったらアフレコして編集してプリントして、もう本当に大変なんだ」
ナナの挑発に乗らずに監督君はぺこぺこと頭を下げるが、業界人の真似をしているような口調のためか、あまり誠意を感じられない。
しかしそんな態度を取られているのも関わらず、ナナはあっさりと一歩引き下がった。
「そうね……。宇宙電離体とはなんなのかを教えてくれたら、移動するわ」
あくまでも一歩だけである。
「それは見てのお楽しみと言うことで。視聴覚室で上映会をするから是非観に来てちょーだい」
「考えておくわ。行こう、カッチン」
ナナはルリのことをカッチンと呼ぶ。
颯爽と立ち上がった美少女は、ギャラリーに向かって腕を顔の前でで交差させて、次に勢い良く左右に開いた。
「散りなさい」
クモの子を散らすかのようにギャラリーはさっと姿を消した。二人は悠々と中庭を出ていく。
「また麻友が怒るな」
ルリが低い声で言う。ルリは長身で、女子の平均よりは背の高いナナよりもさらに頭一つ分高い位置にボブカットと眼鏡を配置している。
二人はクラス委員長の湯川麻友に頼まれて、籠目祭実行委員会に申請書類を提出した帰りだった。戻れば仕事が山ほど待っている。
「だからすぐに切り上げたでしょう。これぐらいの寄り道は見逃してもらわないと。まさかあそこで宇宙電離体が出てくるとは思わなかったわ」
「宇宙電離体ってなんなんだ?」
「知らないわ。なにをしているの?」
校舎の入口に巻き散らかされた紙を拾っている男子生徒がいた。ナナに声をかけられて立ち上がったのは、天然パーマとにやけた顔がトレードマークのクラスメイト、増田翔太だった。
「やぁ、お二人さん。参った参った。プリントを運んでたら急に大勢の連中にぶつかってこられたんだ。ごめんの一言もない。ひどい当て逃げだ。ありがとう」
ルリが拾って手渡そうとしたプリントを、ナナが横から一枚掠め取った。
「ああっ」
翔太から失態を悔いる声がこぼれる。その一方、ナナは嬉しそうにプリントの一部を読み上げた。
「女子には秘密厳守。これはいったい何かしら?」
「なんでよりにもよって枇々野さんに見つかるかな」
困った顔で頭をかく。
「星の巡り合わせの良さには、自分でも驚くことがあるわ」
「悪運が強いって言うんじゃないのか」
「悪運は俺の方だよ。とりあえずここで話せるようなことじゃないんだ。説明するから移動しよう」
三人は近くの教室に入った。このクラスは文化祭に参加しないのか、都合よく誰もいなかった。
「そこに書いてあるからもう分かっているだろうけど、俺はミス籠目実行委員なんだ」
開き直ったのか、気落ちしていた先ほどまでとは違い、胸を張って得意気に翔太は言った。
「ミス籠目?」
「ああ。毎年籠目祭で有志によって実施されているミスコンだよ。今年で二十五回目になる、歴史あるコンテストだ」
「この学校にもミスコンがあったんだ」
「知らなかった?公式行事じゃないから知らなくても仕方がないけど、男子にとっては一大イベントで盛り上がっているから、うちのクラスの女子でも知っている人けっこういたけどな」
「初耳ね」
ナナに合わせてルリも小さく頷く。
「クラブに入ったりしていると先輩に教えてもらったりするからな。それに、今年は盛り上がりに欠けると言われているから、そのせいかもしれない」
「なんで盛り上がらないの?」
「そりゃ、枇々野さんが圧勝するのが目に見えているからさ。トトカルチョも行われるけど、オッズが成り立たないから、誰が優勝するかじゃなくて、枇々野さんに何票集まるかで投票しようって話になっているらしい。だから実行委員会では枇々野さんを投票対象から外そうって話も出てる。むしろそっちで固まりそうなんだけど、頑強な抵抗派がいて、なかなか決まらないんだ」
「迷惑な女だ」
「美しさはいつの時代も罪なのよ。むしろ満票が確定していない事実が悲しいわ」
「さすがの自信だね。確かに絶対値的な美しさを競うなら完全優勝するだろうけど、人には好みがあるし、ファンクラブがある先輩もいるから満票は難しいだろうな」
それでもナナは、本気で不満な顔をする。
「ところで去年は誰が選ばれたんだ?」
ルリが訊ねる。
「遥ちゃん」
朝霧遥は、昨年赴任してきた若い女性教師だ。ミス籠目に選ばれたと聞いても納得できる美貌の持ち主だ。
「先生にも投票できるのか」
「投票権は男子生徒にしかないけど、対象は女子はもちろん、先生、カウンセラー、保健のおばちゃん、出入りの業者の人までオーケーだ。PTAの人に票が入ったこともあるらしいよ。誰かが自分の母親を狙っているってことだから、ちょっと気持ち悪いよな。とは言っても、もちろんほとんどの票は女子に入る。先生が優勝したのは第七回大会以来、二回目だったって」
「遥ちゃんが一位だなんて、内面が見えないというのは幸せなことね」
ナナとルリは遥に頼まれて調べ事をしたことがあり、その際に彼女のデモシカ教師な一面を見ている。
「お前だって、人に見せられるような内面じゃないだろう」
「私はまだ純真無垢な女子高生だもの。三連覇した人はいるの?」
「三連覇はさすがにいないな。二年連続は一人だけいたらしいけど」
「ミスコンで三連覇を目指すような奴は純真じゃないだろ」
「伝説になりたいという、無垢で素直な願いよ」
「対象外になるのだって伝説だと思うけどな」
「その伝説は私が望むものとは違うわ」
「こんな奴が対象外だったから優勝できたって言われる人もかわいそうだな」
「それは貴重な意見だな。なんたって、阿久津さんも優勝候補の一人なんだし」
意外な話にナナが素早く抗議する。
「なんでカッチンなんかが!」
「どういう意味だ」
不満そうにルリは抗議を返す。
「そりゃ、やっぱり巨乳だからな」
翔太はさらりと答える。
「もともといつも枇々野さんと一緒にいるから知名度が高かったところに、野球部の壮行会で見せたあの巨乳。あれで男子の半数を占めるというおっぱい星人達の心をがっちりと掴んだん。あの後すぐに夏休みに入ったけど、衝撃を与えられただけで実物を見ることができないという事実が妄想を掻き立ててたみたいで、支持者は急増していて、今や立派なダークホースの一人だよ。巨乳好きだけじゃなくて、メガネッ子好き、ショートカット好き、身長が高い女の子好きからも支持を集めてる」
「増田君もカッチンに入れるの?」
ナナが不機嫌そうに訊く。
「残念ながら実行委員には投票権がないんだ。公平を期すためにね」
「そう……。でも、カッチンは残念ながらあくまでもダークホースなのね」
「お前は……」
「候補の一人なんだから凄いことだよ」
フォローした翔太にルリは慌てて言う。
「いや、そんなのに自分が向いてないのはよく分かってる。こいつが茶化してくるのが面白くなかっただけだ。それで、こいつ以外の有力候補は誰なんだ?」
「そうだな。やっぱり遥ちゃんが強いけど、今年は票を落とすって言うのが大方の見方かな。他には去年二位だった三年の柏木先輩とか、陸上部の松本先輩とブラバンの三宅先輩も上位に来るって予想されてる。D組の多田野さんも一部に人気があるけど、こっちもダークホース止まりだろうな」
「あの小さい子?」
「そう、小さい子」
「クラブに入っている先輩が強いんだな」
「そうだな。クラブ全体で押してくるから、大所帯のところは強いみたい」
「柏木先輩って言うのは?」
「手芸部。同じクラブの人は応援するだろうけど、投票権がないからクラブのバックアップは弱いかな」
「つまり、実力で去年二位だったってことね。どんな人なの?」
ナナが興味を持ってくる。
「うーん和風、日本人形みたいな感じかな。長い黒髪で、前髪をぱっつんてしてる」
「その人なら多分知ってるわ。確かに美人よね」
「一年生の時は三位だったらしいよ。二年生で優勝するかと思われていたら、遥ちゃんに取られてしまった。最後になる今年は絶対に一位を取るんだってって公言してるらしいけど……」
「私を対象外にしようとしている勢力って、もしかしてその人が絡んでるの?」
「下っ端にはそこまで分からないな」
「否定はしないのね。あら、」
教室のドアから廊下を覗き込んだナナが弾んだ声を上げ、二人を呼んだ。
「ふふふ、ちょうど向こうからやってきたわ。あの人でしょう」
廊下を女子の集団が歩いてきていた。その中に黒のロングヘアは複数いたが、先頭に立っているのが柏木先輩であることは明らかだった。翔太が日本人形と表したように、美しい黒髪に白い肌、切れ長の瞳、すっと通った綺麗な鼻筋。
純和風な一見清楚な感じのする美人が、女子を引き連れて廊下を行く様は、一種威風堂々としていた。
すれ違う一瞬、柏木先輩は横目でちらりとナナを見た。ナナは薄く笑みを浮かべた表情をピクリとも動かさずに見送った。
言葉を交わすことなく、ミス籠目の有力候補二人の迎合は終わった。
「うわー、今火花飛んだよね。バチバチって」
翔太はなぜかひそひそ声で興奮を表した。
「そうかしら」
ナナはそ知らぬふりをする。
「いやいやいや。少なくとも向こうはめちゃくちゃ意識していたね。盛り上がりに欠けるなんてとんでもない。面白くなりそうだ」
興奮冷めやらぬ様子で力説する。
「でも、私は対象外になるんでしょう」
「いや、絶対にそんなことはさせないよ。対象外にするなんて、この勝負を見逃すなんてもったいなさ過ぎる。これから本部に掛け合って来る。今の話をすれば、絶対に大丈夫さ」
飛び出して行った翔太だったが、すぐに戻ってきた。
「この件はくれぐれも内密でよろしく」
「貸しにしてあげる」
「返すのが大変そうだな。そう言えばさっきの話だけど、貸しとか関係なく、俺に投票権があったら枇々野さんに入れたよ」
そう言って翔太は走り去った。
「私達も行きましょう。あの人を見てたら、すっごく良いことを思いついたわ」
ウキウキしながらナナも教室を出る。
「どうせ碌でもないことだろう」
ルリは小さく呟きながら後を追う。
多くの生徒が廊下を行き交っていた。教室からは楽しそうな声が響いてくる。半月後に迫った学園祭に向けて、ナナだけでなく、学校全体が浮き足立っていた。
一年A組の教室に戻ると予想通り、麻友がトレードマークの大きなポニーテールを揺らしながら怒鳴ってきた。
「遅いっ!何してたの!あんた達はお使いも満足にできないのっ」
「そんなことより、とっても良いことを思いついたの」
ナナは麻友が怒っていることなど気にしない。
「丑の刻参り体験をやるの。木と白い着物を用意して……、五寸釘ととんかちもいるわね、それで、お客さんに丑の刻参りを体験したもらうの。この世知辛い現代社会、不満を抱えていない人なんていないわ。その不満を思う存分ぶちまけてもらうの」
「面白そう!」
すぐに賛同の声が上がる。
一年A組は文化祭でお化け屋敷をモチーフにした喫茶店を行うことになっていた。番町皿屋敷がやりたいというナナの我侭で決まったようなものだ。
我侭美少女に服従を表しているかのごとく、次々にアイデアが出される。
「それなら藁人形も必須だろう」
「藁人形は用意してもらった方がそれっぽくないか。もしくは藁を用意して、実際に作ってもらうとか」
「藁人形もいいけど、丑の刻参りといえば、頭に鉢巻してろうそくだろ」
「あれは鉢巻じゃなくて五徳って言うんだ。正式にやるなら一本歯の下駄をはいて、鏡と護り刀を持って、櫛を咥えながらやらなくちゃいけない」
「うわ……、なんでそんなに詳しいの」
「そもそも人に見られたら呪いがかからないんじゃなかったっけ?」
「文化祭で呪いをかけていいわけないでしょ!却下よ、却下!」
盛り上がるクラスメイト達を麻友が一喝した。
「いっそのこと喫茶店は止めて全部丑の刻参りにしたらどうかしら?教室で大勢の人が白装束でとんかちを振るっているの。圧巻の光景よね」
真由の剣幕に皆は気勢を削がれたが、ナナは懲りずに提案した。
「正に地獄絵図でしかないわよ」
「貴重な意見を叩き潰すなんて、麻友はちょっと横暴じゃない」
ナナは本気で不満そうな顔を見せる。
「そうだー、クラス委員長の独善許すまじー」
お調子者達がそれに乗っかるが、
「うるさーい。さっさと仕事をしなさい」
と、麻友は力強く蹴散らした。そして鼻息荒く向き直る。
「ナナはっ!頼んでいた申請は通してきたの?」
「ばっちりよ」
極上の笑顔とブイサインを見せられると、さきほどまでの怒声はどこへやら、麻友がとろけてしまったのが傍から見ていても分かる。
「やっぱり碌でもなかったな」
ルリは呟き、とんかちを振るうべく大道具へと向かった。小さく笑いながら。