地獄の番犬
勝手にケルベロスと名付けた怪物の目の前に来て自分は勘違いをしていたことに気づいた。
大きな三つの頭に目がいって背中にある無数の犬や猫の顔が生えているのだ。その数四十七。真正面にある大きなのを合わせると全部で五十。
仰々しいかもしれないと思ったケルベロスは似合うほどの怪物らしさをこれでもかと見せつけられ棒を握っていた手が緩むがこれは倒さなくてはいかない敵。
「よお、お犬の大将。お前の首もらいに来たぜ。どれから斬り落として欲しい?」
虚勢を張るだけの余裕はある。
だから大丈夫だ。もし危険になったら近くで隠れている叔父さんが助けてくれる。
「は?」
怪物に話しかけてもその意味は伝わっていないのだろうが、それに反応するかのようにケルベロスは口を大きく開けた。
黒く、全て飲み込んでしまいそうなその口の中はまるで灯りがついたように徐々に明るくなっていった。
そして完全に黒を照らされた時、ようやくその明るさはケルベロスの肺からせり上がってきた炎なのだと認識できた。
「うわ‼︎ あっち〜〜〜〜〜」
放たれた炎は目の前の敵を焼き殺そうと一直線に走るが、寸前のところで躱されて服を焦がすだけに終わった。
「まさか炎を吐くなんて……。もうただの犬っころじゃねーな。まさに地獄の番犬だぜ」
ただ合成されただけではないらしい。変な力を使ってくる。
「厄介だな。あんな技があるなら迂闊に近づけねーしなー」
こちらには技といえる技はない。兎に角斬る。それだけしか考えてなかった。
それまでの過程が難しい。俺が数学の途中式が嫌いなのが少し分かった。
めんどくさいんだ。
時間はかかるし、いろいろとやることがあって。
「なら、強行突破だな‼︎」
どう考えても今あの炎をどうこう出来るわけではない。策もこの不良品の頭じゃあ大したことは思いつかない。
だったらゴリ押しするまで。
頭がないなら気力と体力でそれを埋めるしかない。ただひたすら目の前に向かって走る。
それを良しとしないケルベロスは前足で引っ掻こうとするが体が大きくて高く上げなければいけないので、そこで一瞬の隙ができた。
足裏に棒を向けイメージする。二本の刀が岩のような肉球に突き刺さるのを。
琥珀色のスライムはそれを読み取り、チリに一つ誤算のない動きをしてのけて伸びきったそれに体重をかけて前に進む。
腹を通り過ぎて上を見上げれば尻尾があるところに到達してそこでさらに上へと行く為にブランコの用法で突き刺した断刀を引き抜いて飛ぶ。
尻尾をギリギリで避けて背中にの後ろ側へ到着。ここなら一番デカイ三つの頭に炎で攻撃される心配はない。
心配なのは残りの四十七の頭。種類は様々で見かけたやつもチラホラあるが既に怪物の一部となったものたちだ。
「ったく、気持ち悪いな。今すぐ助けてやるからジッとしてろよ」
断刀を振り下ろそうとした瞬間、一番近くの頭の口が開いているのに気がついて咄嗟に動きを中断して後ろへ飛んだ。
そして炎は何もいない空間へ吐き出された。
「チッ、こいつも炎出すのかよ」
しかし、大きさが違うからだろうか?炎の威力は大したものではなかった。問題は数だ。
あれが四十七つ一気に襲ってきたとなると全てを避けるのは至難の技。そんなの普通の男子高校である加々良に出来るはずがない。
だからこそ武器に頼る。両手で構えていつ何が来てもいいようにする。
しばらく様子を見ていると焦れったく思った相手が先に動き出した。
こちら側にある頭の全てが口を開けて炎を発射してきたのだ。
避けるのは簡単だったがそうするには背中から飛び降りるしかない。このベストポジションをなくすのだけは駄目だ。
まずはここで弱い奴らから倒さないと後々、厄介なことになる。
炎が迫り来る中、加々良が出した答えは逃げないで、無意識に断刀を振っていた。
すると炎はそれを避けるように二つに分断して後方へと消えていく。
「こいつ、炎も斬れるのか⁉︎」
なんとも頼もしい相棒だ。
炎が斬れると分かったらもう恐れるものは何もない。全速力で四十七もの頭が集まる場所へも駆け力いっぱい斬る。
何回も何回も斬る。だんだん減っていくそのコブは犬や猫に変わって元の世界へと帰って行く。
「はぁ……はぁ。これで最後か」
連続で斬ったおかげで腕がかなり疲れてしまったが四十七の頭を消すことには成功した。
後は黒と白二つの頭だけとなったが少し体力を使いすぎた。腕は痛いし、炎の熱気のせいか頭がクラクラする。
「ウガボォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー‼︎‼︎」
休ませないとばかりにケルベロスが酷く鈍い金属のような叫びが空気を振動させた。
「っう〜〜〜〜〜〜‼︎ 耳いってぇ。何処からそんな声出してんだよ 」
鼓膜が破れたかと心配になったが血は出ていない。それよりも悪いのは大勢を崩して背中から落ちてしまったことだ。
「いてっ!」
耳がキーンとなっているし、無様にも背中から落ちたで散々な目にあった。
そして目があった。
四十七の頭を失っても強烈な威圧を放つ怪物と。
しかし、その怪物も少し体が小さくなっていた。背中にあったあれを全て取り除いた成果だろう。おかげで落下のダメージはほとんど無い。
「すまんな。だがすぐに助けてやるからな」
噛みつこうと迫ってくる巨大な三つの頭。それよりも早く動いたのは琥珀色のスライム。
下から刀を滑らせて頭と頭の接合部分にまで来ると一気に天高く振り上げた。
「よお、委員長。どうしたんだそんな所で」
帰って真っ先に来たのは鶴ヶ谷家。その前に立っていたのは私服姿の委員長。
「あ、加々良くん。どうしたのこんな時間に」
こんなと言われてもまだ七時だ。優等生は高校生になってもこの時間には出歩かないらしい。
「まあ、ちょっと散歩がてらに寄っただけだよ」
ただし怪物を一匹倒した後の散歩だ。足元はおぼつかない。
「へ〜、やっぱり加々良くんって不良さんなんだね」
何故名前が“くん”で不良が“さん”扱いされるのかは全くもって不明だがそこはスルーしておこう。
「そうじゃねーよ。ただあの猫はどうなったかなって気になっただけだ。ほら、今日俺と探してた猫だよ」
名前は聞いていなかったが元凶は倒した。ならば帰ってきててもおかしくはない。
「あ〜、心配してくれたんだ。ありがとう。でも大丈夫だよ。ついさっき帰ってきたから」
「そ、そうか。ならいいんだ。じゃあ俺は帰るから後で猫見せてくれよ」
一応は命をかけて守った猫だ。一目あってみたいが今はそんな気分じゃない。流石にあれはインパクトが強過ぎた。
「なら今日見てってよ。お父さんはいつも帰り遅いし、お母さんは友達と遊びに行って家には私しかいないから」
いやそれが駄目なんですよ委員長さん。もし俺が狼だったらどうするんです?
「いや……でも……」
逆にいいんですか、と言いそうになったがそれに耐え、丁重にお断りしようとしたが今日の委員長は上機嫌らしく妙に積極的だ。
猫が帰って来て張り詰めていたのがなくなって何かが爆発したのだろう。
「ちょっとだけだから。誰もいないから暇してたの。帰って来た猫見たいでしょ」
残念ながら動物全般を見るのに抵抗があるのだが無下に断るのもよくない。
「わ、分かった。ちょっとだけなら」
机に椅子、ベッド。それと教科書類などはあるが女子の部屋とは思えない。唯一そういった雰囲気を出しているのはピンク色のフリルカーテンだけでそのがなんとも委員長らしくてホッとした。
しかし、姉の部屋を女子の部屋と言わないならこれが初めて女子の部屋に入るという経験をしているわけだが、何故か落ち着かない。
取り敢えず猫は帰る時に見る事にしておいたがそれまでどうするか?
「あ、加々良くんどうしたの? そんなに固まっちゃって」
「せ、精神統一」
猫を一階の部屋に入れた鶴ヶ谷が戻ってきた時には正座をしている加々良の姿があった。
その姿はまるで寺のお坊さんに似ていたらしい。
「何それ? やっぱり加々良くんって面白いね。皆が自然と集まってくるわけだよ」
「そうか? どっちかと言うと委員長の方が人気だろ。お前を崇拝する団体が出来ちまうんだから」
構成人数までは知らないが先生もその団体にいるらしい。それに勝てるだなんておこがましい事は言わない。
しかも俺の場合集まってくるのは個性的な奴らばかりでいい事なんて何もない。
「そんなこと無いよ。私、友達少ないしそういった人たちとはあまり喋ったことないから……」
あの団体のルールに鶴ヶ谷を困らせてはいけないってやつがあった気がする。多分それであたら側からは話しかけて来ないが、鶴ヶ谷は自分に問題があると誤解してしまっている。
「あんま心配するな。お前は根っからの良い奴だから友達なんて何人でも出来るさ」
中にはそれを逆恨みしてるやからも多いと思うが団体と、ついでに俺が助けてやるつもりだ。
「本当⁉︎なら加々良、友達になってくれる?」
「は⁉︎俺らもう友達だろ。それに友達になるのに許可求めんなよ。友達ってのは自然となるもんなんだからさ」
いつも教えてもらってばかりだったが、初めて委員長に何かを教える事が出来た。
「うん、ありがとう。やっぱり加々良くんって優しいね」
「優しい? それ、叔父さんにも言われたけど何の辺がそう見えるんだよ」
言われ慣れてないのでむず痒い。特に自分より善人に言われるなんて思ってもみなかった。
「ん〜、雰囲気とか?」
委員長の家を出る途中、二匹の猫と目があった。白色の猫で種類も同じで後から聞いたら姉妹らしい。
「今度は面倒ごとに巻き込まれるなよ」
あの黒い犬とどんな関係であったかは知ったことではないが、無事に主人の元に帰ってこれた。
後は猫たちが自分たちはどうするかや決めるだけだ。それに手を出すことは野暮というもので、委員長にもまた何日か帰ってこなくても探さないでやれ、と言っておいて一人と二匹がいる家を出た。