佐藤琴奈の場合
麦穂が少しだけ元気を取り戻したので、次はことりんにお茶を勧めることにした。
さすがに、ずっと泣き声が聞こえ続けてくるのは精神的によろしくない。
「ことりん?」
俺に声をかけられて、ことりんは一瞬びくっと肩を震わすと、
「ごめんなさいぃ」
何故か俺に謝りながら泣き出した。
「あたし……ひっく……だましてたの……ひっく……」
「え? 何を?」
「あたし……ひっく……頭よくないから……ひっく……馬鹿にされるのいやで……ひっく……だから逆に……ひっく……お馬鹿キャラ……ひっく……演じてれば……ひっく……本気で馬鹿にされることも……ひっく……ないかと思って……」
演じてるのは誰だって見りゃ分かる。
ってゆーか、だませてたと思ってた方が問題だろう。
「響平君のことも……ひっく……かわいいお馬鹿キャラ……ひっく……演じて……ひっく……あたしを……ひっく……ちやほやさせてやろうと思って……ひっく……」
そんなこと考えてたのか、こいつ。
麦穂といい、ことりんといい、同じ学校にこんなヤツらがいるとは。
ロクでもないと思ったけれど、とりあえず今はことりんの気持ちを落ち着かせないといけない。
何か気のきいたことを言わないと。
……。
…………。
ヤバイ。
お笑いの動画ばっかり見てたから、こんな時に何て言っていいか分からないし、どういう顔をしていいかすら分からない。
まさか、笑えばいいと思うよなんて言うわけにもいかないし。
……違った。
どういう顔をしていいか分からないのは俺の方だった。
「えっと……と、とりあえずさ、謝んなくていいから」
「……ひっく……怒って……ひっく……ない……?」
「それくらいなら怒んないから」
言いながら俺はお茶を差し出した。
「お茶でも飲んで落ち着け」
「あり……ひっく……がと……」
ことりんは泣きながらお茶をすすった。
正直俺は、ことりんの話がよく分からなかった。
そんなに人から馬鹿にされるものなのだろうか。
俺はあまり馬鹿にされた記憶がない。
褒められたりした記憶もあまりないけど。
というより、人との会話自体少なかったし。
というわけで、俺はことりんに聞いてみることにした。
「俺はことりんのことよく知らないんだけどさ、そんな馬鹿にされるようなことあんの?」
「……ひっく……いっぱい……あるよ……。小さいころから……いっぱい」
お馬鹿キャラを演じ続けなきゃいけないくらい、ことりんは馬鹿にされ続けてきたんだろうか。
いまいち想像がつかないけれど、さすがに知り合って間もない女の子に過去のトラウマを聞くのは気が引ける。
解決できる自信もないし。
古傷えぐるとかは避けたいし。
だから。
「キャラ作ってるってのは、俺だってそうだから」
「そう……なの……?」
「俺だけじゃなくて、誰だってそうじゃね?」
「……そう……なのかなぁ……」
「だってさ、キャラ作るって言うけど、人間って一人じゃ生きていけないからさ、どっかのコミュニティにはイヤでも入んなきゃいけないわけで、そのコミュニティで自分の居場所確保しようとしたら誰だってキャラ作るし、だからことりんのやってることって悪いことでもないんじゃない?」
「でもキャラ作らずに生きてる人だっているよ?」
「それはさ、キャラ作ってるのがバレないくらい自然に振る舞ってたり、そいつの本当のキャラとそいつの入ってるコミュニティの相性がよかったり、自分がキャラ作らずにすむようなコミュニティを自分で作ったりとかさ、いろいろあるんじゃない?」
「みんなそうなのかなぁ」
「そうだと思うけどな」
「響平君はぁ? どんなキャラ作ってるのぉ?」
「うーん……」
俺は言うかどうか迷った。
恥ずかしいし、できれば言いたくない。
けれど、ことりんだって、いくらバレバレだったとはいえ、自分がキャラを作っていることを言うのは恥ずかしかっただろうと思う。
俺がことりんのことをよく知らないから話してくれたのかもしれないし、さっきのおっさん地獄に心をえぐられて弱っているだけかもしれない。
それでも、ことりんが話してくれた以上、俺も話そうと心に決める。
「やれやれキャラ」
「やれやれキャラぁ? 何それぇ?」
「基本的にやる気がなくて、めんどくさいことはやらなくて、省エネがモットーで、あんまり人とからまずに過ごして、口癖がやれやれってキャラ」
俺の話を聞いて、ことりんが吹き出す。
「おっかしぃ。何でそんなキャラにしたのぉ?」
「……高校デビュー……かな……?」
さすがに漫画に影響されたとか、高校でモテまくりたかったからだとか言えない。
「成功したのぉ? それぇ?」
「……失敗した」
「だよねぇ。誰ともからまないのはよくないよぉ」
「そうなんだよなあ。だから別の世界に行って人生やり直そうって思ったんだけど」
「何それぇ。考えがぶっ飛んでるよぉ。まだ高校始まったばっかなんだから、今からキャラ変えればいいのにぃ」
「でもさ、いきなりキャラ変えたらみんなびっくりするだろ」
「そんなのはぁ車にひかれて頭打ってぇ、目が覚めたらキャラが変わってましたってことにすればいぃでしょぉ?」
「ことりんの考えのがぶっ飛んでるだろ」
「別の世界で人生やり直そうって思うよりマシだしぃ」
そう言って、ことりんはまた笑った。
どう考えても俺よりことりんの考え方のがぶっ飛んでると思ったけれど、ことりんが泣き止んで笑顔になったので、黙っておくことにした。
けれど、疑問が出てきた。
俺のことはぶっ飛んでると言ったけれど、だったらどうしてことりんは異世界に行こうなんて思ったんだろう。
「ことりんはさ、何であのアプリやろうと思ったの?」
「うーん……。あたしね、自分の今のキャラって別に嫌いじゃないんだぁ。けっこう楽しいしぃ。でもねぇ、お馬鹿なぶりっ子キャラ以外に自分がどんなキャラになれるのかってぇ、ちょっと興味あったんだよねぇ」
「……異世界で人生やり直すのとあんまり変わんなくない?」
「全然違うからぁ。あたしはやり直そうと思ったんじゃなくてぇ違う自分も知りたかっただけだしぃ」
「違う自分ってさ、どんな自分になりたかったの?」
「あたしねぇ、自分より頭悪い人に会ったことないのぉ」
「え? ことりんってそんなに頭悪いの?」
「馬鹿にした。失礼。ムカつく」
「いや、自分で言ったんだろ」
「あたしが言うのはいいの。人に言われるとムカつく」
そう言うと、ことりんは怒ったような顔でほっぺをぷうっと膨らます。
ほっぺを膨らませるのなんてぶりっ子キャラの特権のようなものだが、今のことりんの仕草はあまりにも自然で、キャラを演じてるなんてとてもではないが思えなかった。
普段キャラを演じてる人間が、一瞬だけ見せる素の表情。
思わず俺はどきりとする。
いや、女の子と二人で話をしてる時点でドキドキしっぱなしなんだけど。
「え……っと、それで、ことりんはどんなキャラに……?」
ことりんのほっぺは膨らんだままで元に戻らない。
口をきいてくれる気はなさそうだった。
「もう馬鹿にしません。ごめんなさい」
ことりんの機嫌をとるために、とりあえず俺は形だけでも謝ってみる。
「今回だけは許してあげる」
何で俺が怒られたみたいになってるんだろう。
納得いかない。
「ことりんねぇ、孔明好きなのぉ」
「孔明? 三国志の?」
「そぉ。内緒ね、これぇ」
「何で内緒にすんの?」
「だってぇことりんのキャラと違いすぎるんだもん」
確かに、ことりんの口から孔明なんて言葉が出るとは思いもしなかった。
「ことりんって、孔明みたいになりたかったの?」
「うん。別の世界に来たら天才軍師のクールビューティーみたいなキャラになれるかなぁって思ったのぉ」
「天才軍師て。軍隊操るの?」
「八門金鎖の陣を打ち破ったりぃ、二虎競食の計とか釣り野伏せとか丁字戦法とか使ったりするよぉ? あ、響平はぁ苦肉の計で鞭で打たれる黄蓋の役にしてあげるぅ」
ちょっと待て。
詳しすぎるだろ、こいつ。
何言ってるか全然分からんぞ。
何で俺が鞭で打たれるのかもさっぱり分からんし。
「でもそれよりはぁ、響平と敵同士になってぇ異世界三分の計とかやった方が楽しいかなぁ」
「そんなことできそうな異世界じゃなかったけどな」
「ホントにぃ……。まさか……あんな……ヒック……」
あぁ、ヤバイ。
トラウマが。
何か話題を変えないと。
孔明とか言ってたし、歴史か?
歴史の話をすればいいのか?
「あのさ、ほら、え……っと、あれだ、ことりんってさ、三国志も好き? ってゆーか、歴史が好きなの?」
「……ヒック……歴史も……ヒック……好き……」
「お城とかさ、合戦場とかって行ったことある?」
「……ヒック……ない……」
「今度行ってみれば? 俺も小さい頃に行ったことあるけど、戦った時の陣形のパネルとか展示してあって面白かったし、何なら――」
何なら。
その続きは、さっきも麦穂に言おうとした言葉。
言うのを諦めた言葉。
今回も、その一言が口から出てこない。
だから。
「――何なら、声かけてくれれば俺も付き合うし」
やっぱりこれが、俺の精一杯。
「……お城……」
そんな俺の心の動きには気づかなかったように、ことりんが言葉を漏らす。
「そう、お城とか合戦場とかさ、面白いと思うから」
「……お菓子の城……」
「……え?」
「お菓子の城行ってみたぁい」
どうしてそうなる。
「甘いもの食べたぁい。響平、持ってきてぇ」
「ねーよ、そんなもん」
あっという間にことりんのキャラが戻る。
もしかしてこいつはプロなんじゃないかと俺は思った。