明日へと続く一歩
ゴールデンウィーク最終日の朝。
学校がある日と同じくらいの時間に起きた俺は、駅へと向かい自転車をこいでいた。
集合時間は朝9時。
遅れたり、最後だったりすると文句を言われそうなので、15分前には着くように家を出た。
身体が痛い。
まだ筋肉痛が残ってる。
一回筋トレをやっただけなのに、次の日に全身筋肉痛になった。
筋肉痛が一日で抜けないなんて、どれだけ身体が貧弱なんだろう。
麦穂に馬鹿にされるのもうなずける。
みんなから突きつけられた要求は、いろいろとめんどくさかった。
みんなに言われて、イメージを現実にする力が使えるように、毎日練習することになった。
いまだに一回も成功してないけど。
このまま成功しないと、やっぱり命の危機が必要なんじゃないかという話になって、殺されかけるかもしれない。
早いとこ成功してほしいけど、どうやったら力が使えるのかがさっぱり分からない。
困ったもんだ。
麦穂に言われて、毎日筋トレをすることになった。
言われなくてもやる予定だったけど、毎日やろうとは考えてなかった。
しかも、一回筋トレをしたら次の日に筋肉痛がひどくて、毎日やるのはいきなり挫折した。
麦穂には呆れられたけど、筋肉痛が治ったらまたやるということで許してもらった。
ことりんに言われて、母親がケーキを買ってきたときに、写メとケーキの味の感想を送ることになった。
初めはケーキを持ってこいと言われたけれど、いくら何でもそれは、いじめにあって親の財布からお金を抜き取って学校に持って行くのと同じ匂いがしたので、写メと感想を送ることで許してもらった。
そこからおいしそうなのをことりんが選んで、ケーキを買うときの参考にするらしい。
ついでに、ことりんがレシピ通りに作らなかったケーキだけ試食することになった。
作ったら連絡すると言われたけど、今のところ連絡はない。
正直、永遠に連絡がこない方がいいと思う。
結渚ちゃんには、中学校三年間の教科書、ノート、問題集と、受験で使った参考書とか問題集とかを貸すように言われた。
しかも、俺のノートを見た結渚ちゃんに字が汚すぎると怒られて、パソコンでノートを作り直すように言われた。
あまりにもめんどくさいので自分でやれと伝えたら、椅子に座っている俺の上にまたがられ、抱きつかれて甘えられた。
これ絶対入ってるよね。
そう思わざるをえない姿勢で、胸を押し当てられながら首筋に腕をまわされた。
三回も同じ手に引っかかってたまるかと思って必死に耐えたけれど、耳に熱っぽい息をかけられながら、耳元で桃色吐息混じりにささやかれたところで抵抗できなくなり、結局俺がやる羽目になった。
相変わらずあの子には勝てなかった。
麦穂とことりんには蔑んだ目で見られ、小町さんには結渚ちゃんに甘すぎると笑われたけど、別に好きで甘やかしてるわけじゃないのは理解してもらいたい。
抵抗できるんならしてるっつーの。
それにしても、結渚ちゃんの行動がどんどん過激になってきてる気がする。
このままいくと…………。
じゅるり。
……いや、待て待て。
さすがに犯罪だ。
しかもあの子の場合、迂闊なことをしたら、それをネタに脅迫してきそうだ。
……おそろしい子!
小町さんには、空いている時間でプログラミングを勉強するように言われた。
スマホのアプリで作ってみたいものがあるらしい。
自分でやったらいいんじゃないですかと伝えたら、小町さんは小町さんで他に作りたいものがあるから、別の言語のプログラミングを勉強すると言われた。
いくらなんでもハードルが高すぎるので渋っていると、小町さんの目がだんだんと冷たくなっていき、無理矢理やらせるようなマネはしたくなかったんだけどね、でも響平君が言うこと聞いてくれないからしょうがないよね、などとつぶやき始めたので、やることにした。
何かもう、怖かったし。
仕方なくプログラミングの勉強を始めようと思ったけれど、プログラミングとかまったく分からないから、ネットで調べているうちに今日になった。
本でも買ってきた方が早い気がする。
そんなわけで、ゴールデンウィークの残りわずかな日々を、俺は特に外にも出ず、ほとんど家の中で過ごしていた。
でも、今までだったらゴールデンウィークもきっと何もせずに終わっていたと思うから、無茶苦茶な要求を突きつけられたとはいえ、何もしない毎日よりも何かしている毎日の方がまだいいような気がする。
駅に着いた俺は、駐輪場に自転車を止めて駅前へと移動した。
駅前は思いのほか人が多かった。
行きかう人たちの中からみんなの姿を捜したけれど、見当たらない。
早く来すぎたのかもしれない。
まだ少し眠い。
こんなことなら、もうちょっと寝てればよかった。
「おい! 響平!」
どこからともなく俺の名を叫ぶささやき声が聞こえる。
ささやき声で叫ぶなんて器用なことをするなと思いながら、俺はキョロキョロと辺りを見回した。
「こっちだ!」
物陰に背の高い女が隠れていた。
頭にはベレー帽。
顔には眼鏡。
口にはマスク。
手にはスポーツ新聞。
怪しい。
ものすごく、怪しい。
俺はその女に近づいて声をかけた。
「何やってんの? お前」
「知り合いに見られたらマズイからな」
「変装のつもり……?」
「つもりじゃない。変装だ」
「バレバレだろ。つーか、何で変装なんかしてんの?」
「いくら部活が休みとはいえ、朝から遊びに行くんだぞ。誰かに見られたらどうする?」
「休みの日だからいいんじゃないの?」
「いいわけないだろう。トレーニングも自主練もせずに朝から遊びに行くとか、ありえないくらいクズだと思われても言い訳できん」
体育会系って、怖い。
「おっはよぉ」
声のした方を向くと、手に食べかけのシュークリームを持ったことりんがいた。
「おはよ。……って、ことりんさ、何で朝からシュークリーム食べてんの?」
「朝ごはんだからぁ」
「もうちょっとエネルギーになるものを食べろ。だからお前は貧弱なんだ」
麦穂の言葉にイラッとした様子を見せたことりんが、わざとらしい声をあげる。
「ああぁ。これ麦穂なんだぁ。変質者かと思ったぁ」
「……何だと?」
「スポーツ新聞なんか持ってる女子高生いないしぃ」
「朝ご飯きちんと食べないヤツはぶくぶく太るんだろうな」
「朝から胃もたれするくらいご飯食べてぇ脳みそまで筋肉になったらヤだしぃ」
「脳みそに脂肪がつくよりはマシだがな」
まーた始まったよ。
あんまり関わりたくないので、俺は二人の口喧嘩を聞き流すことにして、空を見上げた。
春と夏の間の名前のない季節の、澄み切った青空。
五月晴れ。
もともとの意味は梅雨の間の晴れ間のことらしいけれど、そんなの知ったこっちゃない。
五月に晴れてるんだし。
いい天気だし。
明日から学校が始まることを思うと、少し緊張する。
このゴールデンウィークで、俺も少し、変わったのかもしれない。
明日から俺は、学校でどんな高校生活を送るんだろう。
今まで通りだろうか。
それとも。
「きのこなんて菌類だろう。ばい菌の仲間なのか、お前は」
「たけのこなんてぇほっとくと竹になるでしょぉ? 竹ざおの子ども食べるとかぁ意味分かんないんだけどぉ」
……何の喧嘩してんの、こいつら。
「おはよーございますー」
「あ、おはよ」
二人の言い合いに気を取られていた俺に声をかけてきたのは結渚ちゃんだった。
「何ですかー? この昭和の探偵みたいな人と朝からシュークリーム食べてる頭までふわふわな人はー?」
おい。
いきなり火に油だぞ。
「あれぇ? 結渚ぁ? 今日はランドセルも赤白帽子も持ってないのぉ?」
「お前はいいな。電車が子ども料金で」
「な……! おば、お、おばさんたち、更年期障害ですかー? アレいらいらしちゃうらしいですよー?」
「えへへぇ」
「はははは」
「えへへへー」
こいつら朝から元気いいなあ。
今からこいつらと出かけるのかと思うと、不安が募る一方だ。
「おはよう。……って、ごめん、わたしが最後みたいだね」
「おはようございます。最後って言っても、まだ集合時間の前ですけど」
小町さんが来て、これで全員そろった。
今日、俺たちは遊園地に行く。
遊園地に行って、帰りにケーキを食べる。
麦穂は休みの日に朝から遊びに行くのは小学生の時以来らしい。
ことりんは遊園地の近くにあるイートインのケーキ屋に前から行きたかったらしい。
小町さんは誰かと一緒に出かけるのは大学に入学したての頃以来で、一年ぶりらしい。
結渚ちゃんは生まれて初めて、遊園地に行く。
俺はというと、誰かと一緒に出かけるのなんて、すごく久しぶりで、もしかしたら小学校以来かもしれなくて、だからドキドキするけれど、ちょっぴりワクワクもしている。
とはいえ、メンバーがアレなだけに不安の方が大きいけれど。
「麦穂ちゃんも、ことりんちゃんも、結渚ちゃんも、朝から喧嘩しないの、ね?」
「夜ならいいんですかー?」
「昼でもいいんじゃなぁい?」
「喧嘩じゃなくて粛清ならいいんじゃないか?」
「ダメだから。いじめるなら響平君を、ね?」
「分かりましたー」
「まぁそれならぁ」
「小町さんの命令だからな?」
「おいっ!」
俺たちは改札に向かって歩く。
自分の意思で。
自分の足で。
きっと、そう。
誰だってそう。
俺だってそうだし、みんなだってそう。
くだらない悩みとか深刻な悩みとか、いろいろな想いとか葛藤とかを抱えてて、それが解決したわけじゃないけれど、抱えたまま、歩く。
それでいいと思う。
何もやってなかったら、何の想いも抱かないし、悩むことなんて何もない。
だから。
いろんな想いを抱えたまま歩いているのは、きっと、生きている証。
今まで歩くことすらしなかった俺も、今、歩いている。
自分の意思で。
自分の足で。
進んでいるのが前なのかどうか分からないけれど、それでも、歩く。
スマホの電話帳が四件増えた。
そんな些細なことでも、俺からしてみれば、すごく大きな一歩。
俺がみんなと遊園地に行こうとして改札に向かって歩く一歩は、誰の目にも留まらないような、周りから見たら取るに足りないような、ありふれた一歩にしか見えないと思う。
けれど。
俺にとってこの一歩は、きっと、ものすごく大きな一歩。
この一歩は、明日へと続く一歩。
歩いていった先には、きっと、今まで俺が踏み出せなかった世界が待っている。
この改札の向こうに、きっと。
俺は新しい世界に広がる扉を開けるような気持ちで、改札を通りぬける――。
ピンポーン。
「あ……」
残額足りてなかった。
そういえばこのカードって、高校受験の時に親に作ってもらったカードだし、受験の時以来電車に乗ってなかったから、残額のことなんて考えもしなかった。
「ごめん! チャージしてくる!」
「何やってるんだ、お前は」
「電車来ちゃうよぉ?」
「響平君、急いで、ね?」
「お兄ちゃん、ヘタレですー」
「ヘタレは関係ないだろっ!」
慌ててカードにチャージした俺は、改札に向かって走る。
今度こそ俺は、改札を通りぬける――。




