何でもしますから
目が覚めると、朝の10時を回っていた。
みんなはどうなったんだろう。
無事に戻れたんだろうか。
目が覚めて最初に思ったのはそのことだった。
いつまでも寝ていると母親に文句を言われそうなので、ひとまず布団から出て、休みだからと言ってダラダラし過ぎという母親の文句を聞き流しながら朝ごはんを食べ、歯を磨き、顔を洗い、パジャマから着替えた。
着替え終わったころには、11時近くになっていた。
みんながどうなったか確かめるには、もう一度あっちの世界に行く必要がある。
けれど。
魔王さんが死んだ今となっては、アプリを起動して寝たところで、もう一度あっちの世界に行けるかどうか怪しいものだった。
もしかすると、シフォンさんがみんなをこっちの世界に送り返してくれたかもしれない。
シフォンさんにその能力がなければ、みんなはあっちの世界に置いてきぼりになっているのかもしれない。
まぁ、俺を殺そうとした連中だし、このまま戻ってこなくてもいいか。
……いや、待て待て。
このままみんなが永遠に戻ってこなかったら、それでいい。
けれど。
もしも、何かの拍子でみんなが戻ってきてしまったら。
殺される。
絶対、殺される。
そういうことを平気でしそうなヤツらだし。
あいつらが俺の命を何とも思ってないことは身をもって分かってるし。
というか、みんな魔王さん殺してるんだよな。
魔王さんってゲームの中の人じゃなくて実在の人物のはずだから、もしかしてみんなって立派な人殺しなんじゃ……。
考えれば考えるほどおそろしい。
やっぱり形だけでも迎えに行って、誠意を示す必要はありそうだった。
誠意さえ示しておけば、土下座で何とか許してもらえるかもしれない。
あのとき「帰りたい」と思わずに、「みんな一緒に帰りたい」と思えばよかった。
さすがにそこまでは頭が回らなかった。
……ん?
帰りたいと思ったら帰れたということは、もう一度あっちの世界に行きたいと思えば行けるんじゃないか?
もしも俺が本当にイメージを現実にする力を手に入れているとするのなら、強く願えばできる気がする。
やってみるか。
みんなが心配だというよりは、どちらかというと自己保身のために。
みんなを捜しに行くというよりは、向こうの世界にみんなを捜しに行ったという事実を作るためだけに。
俺は椅子に座ると、もう一度向こうの世界に行きたいと強く念じた。
頭の中であの世界のことを強くイメージする。
お城、庭、お城の中、玉座。
……。
…………。
………………。
強く思い描いてみたが、俺の周りの光景は自分の部屋の中からまったく変わらなかった。
何度か繰り返してみたが、何の効果もないようだった。
どうしてあの時は帰れたんだろう。
俺が魔王さんから受け継いだ力ではなく、別の何かが原因なんだろうか。
そうだとすると、俺にイメージを現実にする力が宿ったとかいうの怪しいものだ。
やっぱりもう一度、アプリを立ち上げて眠る必要があるかもしれない。
これで向こうの世界に行けなかったら、みんながどうなったか確かめる方法がなくなるけれど。
俺はスマホを手に取って眺めた。
すでに11時を過ぎている。
さっきまで寝ていたのにまた寝たら、母親に文句を言われそうだ。
けれど、向こうとこっちでは時間の流れが違う。
あまりグズグズしてはいられない。
遅くなれば遅くなるほど、土下座ではすまなくなる可能性が高くなる。
寝すぎだと母親に文句を言われても仕方ない。
やるか。
ピンポーン。
俺が決意を固めた時、インターホンの鳴る音が聞こえた。
近所のおばさんでも来たんだろうか。
そうだとしたらチャンスだ。
母親が話し込んでいる隙に、向こうの世界に行って戻ってこられるかもしれない。
俺はベッドの上に寝転がると、スマホを触ってアプリのアイコンを探す。
パタパタパタ。
トントントン。
廊下から足音が聞こえる。
え?
何で?
さっきはいなかった父親が帰ってきたのだろうか。
それにしても、足音が複数というのは変だ。
何か話し声が聞こえる。
それも、女の声。
何か、すごく嫌な予感がする。
本当に、テンプレ通りの展開が起きそうな、すごく嫌な予感が。
俺がベッドの上に起き上がるのと、俺の部屋のドアがノックもなしに開かれるのは、ほぼ同時だった。
「ここが響平君の部屋ね」
「邪魔するぞ」
「思ったより片付いてるかもぉ」
「金目のものどこですかー?」
やっぱり。
「みんな……何で……?」
「何でじゃないだろう。いきなり帰らせやがって」
「帰る前に言ってくれないとぉ心の準備ができないでしょぉ?」
みんな無事に帰れてたのか。
ひとまず俺はホッとする。
だが。
「何で俺の家知ってんの?」
「響平君、うちのお客さんでしょ? 住所くらい分かるから」
そういえばそうだった。
……そうだ。
別に向こうの世界に行かなくても、小町さんの家に行けば帰ってこれてるのかどうか確かめられたんだ。
どうして気付かなかったんだろう。
「お兄ちゃん、イメージを現実にできる力は使いこなせるようになったんですかー?」
「何かダメみたい」
「ダメってお前、私たちを帰したのはお前なんだろう?」
「そう……なのかな……」
「自分でも分かんないのぉ?」
「帰りたいって思ったのは本当だけど、自分の力なのかどうかは分かんないし」
「命の危機が迫ったから本当の想いが届いたとか、そんな感じじゃないですかー?」
あぁ。
言われてみればすごくそれっぽい。
っていうか、俺、こいつらに殺されかけたんだった。
「響平君、わたしたちが響平君の身体バラバラにして響平君の中から魔力取り出そうとしてたとか思ってるかもしれないけど、あれは全部演技だから、ね? 響平君が能力を使えるようになるためにわざとやったことだから」
「それ絶対後付けですよね? 目マジでしたよね?」
「ほう。お前もそれが見抜けるようになったか」
認めちゃったよ、こいつ。
「つーか、何でお前だけ制服なんだよ?」
「私はこれから部活だ」
そういえばそんなこと言ってたな。
何故か魔王さんに向かって。
「お兄ちゃん、あたし賞金もらってないんですけどー」
「俺に言われても。俺だってもらってないし」
「お兄ちゃんが魔王になったんじゃないんですかー? だったらお兄ちゃんが払わないとダメなんじゃないんですかー?」
「何でだよ!? 無理に決まってるだろ」
「響平がぁお金出せばいいんじゃなぁい?」
「どうやってだよ?」
「イメージを現実にできるんじゃないのか?」
そっちか。
自腹で払えってことかと思った。
けれど。
「無理だな。やり方分かんないし」
「響平君、帰ってきてからやってみたのかな?」
「試してみましたよ。もう一回あっちの世界に行けるように。でも無理でした」
「あっちの世界ってぇ何しに行こうとしたのぉ?」
「みんな戻ってきてるか分かんなかったからさ、どうなったんだろうと思って」
「命を狙ってきた相手がどうなったのかを確かめに行こうとしたのか」
「麦穂ちゃん、あれは演技だったって設定だから、ね?」
「小町さん、今設定って言いましたよね?」
「やっぱり命の危険がないとダメなんじゃないですかー?」
「前みたいにぃ響平窒息させてみるぅ?」
「響平君を窒息させたことなんてあったっけ?」
「私は斬り殺そうとしたことしかないですよ」
「あっ……えっとぉ……」
マズイ。
それは触れてはいけない話題だ。
ことりん、誤魔化して。
マジで。
「ことりんのぉ勘違いだった……かなぁ」
「何か怪しいですー。エロ漫画的な展開の匂いがしますー」
何で無駄に勘がいいんだよ、この子は。
つーか、結渚ちゃんエロ漫画読んだことあるの!?
お子様には刺激が強すぎるだろ。
「そ、それよりもぉ、響平、もう一回やってみたらぁ?」
「イメージを現実にするってやつ?」
「そぉ」
「お兄ちゃん、諭吉さんのご尊顔をイメージしてくださーい」
「わたしはパソコンでいいから、ね?」
「ケーキでしょぉ?」
「プロテインだろう」
「バラバラすぎるだろ、お前ら」
俺はベッドの上で姿勢を正し、目を閉じた。
何をイメージすればいいんだろう。
みんなの話をまとめると、机に向かい、ケーキを食べてプロテインを飲みながらパソコンをいじる福澤諭吉。
……どうするんだ、そんなの。
もうちょっと手っ取り早くイメージできるもの。
自分に馴染みがあるというか、自分の身体に染み付いているというか、そういうもの。
…………。
……鋼のピザかよ!
まぁいいや。
俺は手の平を上に向け、鋼のピザが出てくるのをイメージしてみた。
鋼のピザなら何回も出してる。
だから、身体が覚えているはずだ。
自分でも集中しているのが分かる。
今度はできそうだ。
手の上に、鋼のピザが――
…………出てくる感じがしない。
目を開けて確かめてみたけど、俺の手の上には何もなかった。
「……やっぱり、ダメみたい」
「お前は何をイメージしたんだ?」
「鋼のピザ」
「響平ってぇ、そんなにピザ好きなのぉ?」
「違うから。一番出しやすそうなの選んだだけだから」
「響平君、出てくる気配も全然ないの?」
「ないですね」
「お兄ちゃんが役立たずに逆戻りですー」
「おい」
あっちの世界に行こうとしても行けない。
鋼のピザも出せない。
となると、やっぱり。
「俺がイメージを現実にする力を受け継いだってのも本当かどうか分かんないと思うんだけど」
「どうしてぇ?」
「だってさ、全然うまくいかないし」
「お前に根性がないからだろう」
「根性で何とかなる問題じゃないだろ。実は魔力を受け継いでなかったとか、受け継いだけど魔力自体消えたとかじゃない?」
「でもね、響平君、それだと、どうしてわたしたちが帰ってきちゃったのかが分からなくなっちゃうんだよね」
「シフォンさんが何かしたんじゃないですか?」
「うーん……。シフォンさんって早く帰りたいとは言ってたけど、わたしたちを帰すことに関してはあんまり興味なさそうだったでしょ? あの世界で暮らすのも元の世界に戻るのも好きにしてください、みたいな」
「確かに、そんな感じでしたね」
「だからね、シフォンさんが何かしたってのはやっぱり考えにくいと思うんだよね。タイミング的にも響平君が帰りたいって思ったときにみんな帰ってきちゃったわけだし」
確かにシフォンさんが何かしたとは考えにくい以上、俺がみんなをこっちの世界に帰したって考える方が正解な気がする。
けれど、今の俺にはイメージを現実にする力は使えそうにない。
となると。
「魔王さんのイメージを現実にする能力って、それなりにって言ってたから、あんまり大したことできないんじゃないですか?」
「でも、わたしたちをこっちに送り返す方が鋼のピザ出すより大変だから、ね?」
「じゃ、俺がこっちに帰ってきたら魔力が消えたとか」
「その可能性はあるかもしれないけど、確かめる方法が、ね」
「お兄ちゃんが毎日100回練習したらいいんじゃないですかー?」
「100回では足りないだろう。1万回はやれ」
「スパルタすぎだろ!」
「でもぉ響平どうせヒマでしょぉ?」
「暇じゃないし! やろうと思ってることいっぱいあるし!」
「例えばぁ?」
「……き、筋トレとか……」
「ほう。やるんだな? 筋トレ」
「……まぁ、少しは」
「お前は魔法の練習する暇もないくらい筋トレするんだな? 学校が始まる頃には30kgの鉄アレイを振り回せるくらいになっているんだな?」
「……あ、あの、魔法の練習もちゃんとやりますんで……」
「1万回やるのか?」
「ひゃ……100回くらいで何とか……」
「どれだけお前は根性がないんだ」
根性の問題じゃなくてやる気の問題な気がする。
「響平君、鋼のピザじゃなくて、こっちの世界にある物イメージしてみればいいんじゃないかな? こっちの世界にある物じゃないと効果が出ないのかもしれないし」
「ああ。それはあるかもですね」
こっちに帰ってきてから魔力が消えたとかじゃなくて、こっちの世界に合わせた魔法に変わっただけかもしれない。
俺は目を閉じると、手の平を上に向け、本物のピザをイメージしてみた。
別にピザが食べたいわけじゃないけど。
ピザが好きなわけじゃないけど。
ピザを最後に食べたのがいつかなんて思い出せないけど。
でも、成功しないとみんなに何されるか分かんないから、ピザさん出てきてください。
お願いします。
……。
…………。
何も出る気配がない。
諦めて俺は目を開く。
「やっぱりダメみたいです」
「うーん……。響平君が使いこなせないのか、魔力が消えちゃったのか、どっちだろうね?」
「やっぱり命の危険が必要なんじゃないのか? 言ってくれればいくらでも殴ってやるぞ」
心の底から遠慮します。
「大変ですー」
いつの間にか這いつくばってベッドの下を覗きこんでいた結渚ちゃんが、唐突に口を開いた。
「ベッドの下にエロ本がないですー」
「ちょっとっ! 結渚ちゃんっ!? 何探してんのっ!?」
「今どきベッドの下に隠す人なんていないでしょぉ?」
言いながら、ことりんが本棚へと歩く。
「こういうのは逆向きにしてさりげなく本棚に並んでたりするからぁ」
「おいっ! 勝手にあさるな!」
「こういうのはシンプルだろう」
今度は麦穂が机へと歩く。
「引き出しの中とかじゃないのか?」
「麦穂もっ! 引き出し開けんなよっ!」
「みんな分かってないね」
ため息混じりにそう言うと、小町さんも机へと向かう。
「パソコンの中をjpgとかで検索した方が早いから、ね?」
「小町さあぁぁぁぁんっっっ! それだけはぁぁぁっっっ!」
俺は慌ててベッドの上から飛び出す。
だが。
「麦穂ちゃん、響平君押さえといて」
「分かりました」
小町さんのもとへと向かう俺の前に麦穂が立ちふさがり、俺の身体はなすすべなく麦穂に羽交い絞めにされた。
「ちょ……! 放せって!」
「イメージを現実にする力とやらを使ってみればいいんじゃないか?」
そんなこと言われても。
俺は麦穂の身体を俺の身体から引き離すところをイメージしようとする。
けれど。
「小町さぁんっ! パソコン立ち上げないでくださいぃぃっっっ! 」
今にも大惨事が始まりそうなのを目の前にして、集中できるわけもなかった。
「お兄ちゃんのパソコンの中って何が入ってるんですかー?」
「どぉせコスプレでしょぉ?」
「パソコン立ち上がるまでちょっと待っててね」
「やめてぇぇぇっっ! 見ないでえぇぇっっっ!」
「小町さぁん、jpg以外にはそういうのってないんですかぁ?」
「画像だとjpgとかpngとかが有名だけど、動画だとmpgとかaviとかかな? ついでにzipも探した方がいいかもね」
「小町さあぁんっっ! 電源落としてくださぁぁいっっ!」
「小町お姉さまー、インターネットの履歴は見なくていいんですかー?」
「あー、そうだね」
「小町さああぁぁんっ! やめてくださぁぁいっっっ!」
「お兄ちゃん、ヘタレですー」
「もうヘタレでいいからあぁぁっっ! 一生ヘタレでいいからああぁぁっっ!」
「あ、そうだ。お気に入りも確認しておかないとね」
「許してくださいいぃぃっっ! 何でもしますからあぁぁっっっ!!」
「ん?」
ニヤリ。
小町さんが笑みを浮かべた。
邪悪としか形容のしようがない笑みを。
「響平君? 今、何でもするって言ったよね?」
「言いましたあぁぁっっ! 何でもしますからあぁぁっっ! それだけはあぁぁっっっ!」
「じゃあ……」
こんなような悪魔の笑顔をいつか見た。
そうだ。
小町さんの家のお店にDVDを返しに行ったときの、小町さんのお姉さんの笑顔だ。
やっぱり小町さんはあの人の妹なんだと改めて思う。
もちろん、悪い意味で。
こうして、俺の家に友だちが来たのなんて小学校以来だし、女の子が来るのなんて初めてだと喜ぶ母親がお菓子やジュースを出し、麦穂が部活だからと出て行くのに合わせてみんなが帰るまでの一時間ほど、俺は様々な要求をつきつけられたのだった。
……地獄でしたよ、ええ。




