ラスボス
階段を上る足取りが重い。
俺以外のみんなは軽そうだけど、俺は重い。
俺たちは、一階から二階へと向かっていた。
俺の前を、麦穂とことりんと結渚ちゃんが歩いている。
後ろから見ると三人で楽しそうに会話をしているように見えるけれど、耳をすませてみると、いつものように喧嘩をしているようだった。
冷静に考えてみると、この三人が楽しく会話をしているわけがなかった。
その三人の後ろを少し離れて、とぼとぼと俺が続いた。
小町さんは俺に合わせてゆっくりと階段を上る。
せっかく勇気を振り絞って言ったのに、失敗した。
確かに俺が結渚ちゃんを誘うのは、根本的に間違っていたように思う。
通報されないだけマシだったかもしれない。
「響平君?」
俺の左を歩く小町さんが、俺に声をかけてきた。
「……何ですか……?」
「うわっ。テンション低っ!」
「そりゃそうですよ」
「お金を誰にあげるかはゆっくり考えればいいから、ね?」
「……そっちじゃないです」
「じゃ、何?」
「いや、まぁ、いろいろと……」
「いろいろ?」
「いろいろです」
「んー……。まぁ、いいけど」
小町さんは俺の答えにあまり納得していないようだった。
というか、小町さんの中では俺の賞金が誰かにとられるのは決定事項なんですか!?
「響平君、わたしからお願いがあるんだけど、いい?」
お金か!?
お金なのか!?
脅えながらも俺は答える。
「……なな、何ですか?」
「元の世界に戻ってからも、結渚ちゃんのこと気にかけてもらってもいいかな?」
「気にかけるって……」
「今のままだと、結渚ちゃん壊れちゃうと思うから」
「壊れる? どういうことですか?」
「結渚ちゃんって、混乱したまま今まで来ちゃったと思うの。結渚ちゃんが普通の生活を送りたいって思うのは、普通の生活を送れてれば弟が死なずにすんだって想いからでしょ? でも、すごく言い方悪いけど、現実問題として、結渚ちゃんがお金持ちになろうが普通の生活を送れるようになろうが弟は返ってこないわけで、その現実に直面したときに、結渚ちゃんが壊れちゃうんじゃないかなって思うんだよね」
「壊れるって、どうなるんですか?」
「もしも普通の生活を送れなかったり、そのためのスタートラインに立てなかったりしたら、何やってもダメって想いにとらわれて、無気力な人間になっちゃうと思う。普通の生活を送ることができたとしても、そのための犠牲が大きすぎるから、中身のない空っぽの人間になっちゃうと思う」
空っぽの人間という言葉は俺の胸に突き刺さる。
「わたしが言うのもなんだけど、頑張っても上手くいかない状況が続くと、もう二度と頑張れなくなるよ。頑張ることに価値を見出せなくなるから」
「小町さんが言うと説得力ありますね」
「……槍で刺すよ?」
「ごご、ごめんなさい」
危ない。
危うく地雷を踏むところだった。
「けど小町さん、結渚ちゃんが壊れるかもって思うんなら、結渚ちゃんに直接言っちゃダメなんですか? 今のままだと危ないって」
「んー……。結渚ちゃんにとって、弟を守れるような普通の生活を送ることとか、その前段階としてスタートラインに立つこととかって、目的とか目標とかを通り超えて、カタルシスみたいになっちゃってると思うんだよね。だから、今のままじゃ危ないって伝えても、結渚ちゃんもどうしていいか分からなくなると思う。本当に賞金もらえるかどうか分からないけれど、もし賞金もらえたら、逆に結渚ちゃんはどうやって生きていったらいいか分からなくなるんじゃないかな」
「え? 目的達成したのにですか?」
「ううん。目的達成したのにじゃなくて、目的達成したから。結渚ちゃんの場合、お金を稼ぐこと自体が目的化しちゃってるように見えるんだよね。だから、お金があったらどうするのか聞かれても、パッと答えられなかったし。結渚ちゃんの場合、目的を達成しちゃうと、その先が見えなくなっちゃいそうなんだよね」
「でも、まだ中学生だから、そんなにはっきりと将来のこと考えれないと思いますよ」
「考えてなくてもいいんだけど、結渚ちゃんの場合、手段が目的化しすぎてると思う。何となくみんなが行くから大学行って、レールに乗って就職してって流れの方が、まだ安全に見えるよ」
「それはそれでどうなんだろうって思いますけど」
「けど、みんなそうでしょ? わたしだって初めはそうだったし。別に悪いことじゃないと思うよ」
「でも、結渚ちゃんはダメなんですか?」
「結渚ちゃんはねー……。カタルシスに自虐をともなうのをわたしは否定しないけれど、でも、あまりにも自分を追い込み過ぎてると思う。危ないよ、あれは」
そこまで結渚ちゃんは自分を追い詰めているんだろうか。
危ないと断言されるくらいにまで。
俺たちは階段を上り終えて二階にたどり着くと、玉座のある部屋まで廊下を歩いた。
敵の姿は相変わらず見えなかった。
「結渚ちゃんは子ども扱いされるの嫌がるけど、結渚ちゃんだってやっぱりまだ子どもなんだよね。だから、守られる側でいいと思うんだけど、本人が子ども扱いされるのも守られるのも望んでないと思うから、後ろからさりげなくサポートしてあげないと、ね?」
「サポートって……。俺そんな器用なことできないですけど」
「たまに結渚ちゃんに会って、いじめられればいいんじゃないかな?」
「俺がいじめられるのは確定なんですか?」
「だって、わたしたちが結渚ちゃんにいじめられるのって無理だよ?」
「俺だって無理ですよ」
「じゃ、わたしにいじめられるのと結渚ちゃんにいじめられるののどっちがいい?」
「何ですか、その二択は」
「麦穂ちゃんとことりんちゃんも入れてもいいけど」
「全員遠慮します」
「まぁいじめられないにしても、適度にいじられてくれればいいから」
「いじられるって……」
「だってね、結渚ちゃんっていろんな人に媚びてるみたいだし、敵だっていっぱいいると思うし。そういう生き方してると心も身体もボロボロになっちゃうよ。もたないよ、そんなの。ちゃんとした友だちでもいれば別かもしれないけど、多分いないと思うし。だから響平君が、ね?」
「でも俺、結渚ちゃんに嫌われてないですか?」
「そうでもないと思うよ。どっちかというと懐かれてるんじゃないかな?」
「さっき遊園地に誘ったら嫌がられましたけど」
「懐かれてるだけで遊園地に行くほど好きってわけじゃないんじゃないかな?」
「本当に懐かれてるんですか、それは?」
「でも響平君、結渚ちゃんに甘いでしょ?」
「甘い……ですか?」
「だって、豚にされて踏まれたりしたら、普通は怒るよ? 響平君がアブノーマルな人じゃない限り」
「だから、アブノーマルって何なんですかっ!?」
けど、言われてみれば確かに、普通は怒るのかもしれない。
ただ俺の場合、それは甘いのとは少し違う。
「俺の場合、甘いんじゃなくて、怒り方が分かんないんですよ。あんまり人と接してこなかったんで、怒ったことも怒られたこともあんまりなかったですし」
「でも、みんなに土下座したり正座させられたりして、怒られるのにも慣れたでしょ?」
「……まぁ、多少は」
って、あんまり慣れたくないんですけど。
「でも、怒られるのに慣れても、怒り方は分かんないままですよ」
「いいよ。怒り方分かんないままで。結渚ちゃんだって我がまま言える相手欲しいでしょ?」
「でも、俺と結渚ちゃんが関わると事案発生じゃないんですか?」
「うん。気をつけて」
「何に!?」
「通報されないように人目を避けて会うとか」
「余計怪しくないですか!?」
「まぁ気にしない、気にしない」
言いながら小町さんは、槍を右手から左手に持ち替えると、空いた右手で俺の背中をばしばしと叩いた。
「結局ね、人の心を救えるのって人間だけだから。人の心を救ってやろうとか大それたこと考えなくても、そばにいるだけで誰かの心を救えることだってあるから」
救うとか、救わないとか。
それ以前に、人の心とか。
今までの俺には、あまりにも縁のないものだった。
できるんだろうか、俺に。
役に立つことがあるんだろうか、俺でも。
「ちょっと……考えてみます」
「うん。でも響平君の場合、考えずに行動した方がいいかもしれないけど。考えすぎて動けなくなりそうだから」
話しているうちに、玉座のある部屋の扉の前にたどり着いた。
扉は閉ざされていた。
この向こうに、敵がいるかもしれない。
いるとすれば、ラスボスだろうか。
俺たちは武器を手に持って身構えた。
「開けるぞ」
麦穂が俺たちに声をかけると、扉を思いっきり手で押した。
勢いよく扉が開く。
部屋の中の様子が視界に入る。
扉から部屋の奥まで続く絨毯。
絨毯の先にある玉座。
そして、その玉座に座る人影。
さらに、玉座の横に立つシフォンさん。
……って、この人、一体、いつの間に。
「誰だ、あれ」
麦穂がつぶやく。
「お年寄りみたぁい」
ことりんがつぶやく。
「ラスボス……なのかな……?」
小町さんがつぶやく。
玉座に座っているのは、どう見てもお年寄りだった。
頭には兜をかぶっているが、兜の下には白髪がのぞき、あごから生える髭も真っ白で、まるでサンタクロースのようだった。
身体は白いマントに覆われていて、マントの下に何を着ているのかまでは分からない。
変な杖か何か持っていてもよさそうなものだけれど、手には何も持っていないようだった。
ラスボスにしては迫力が足りない気がする。
変身とかするんだろうか。
「どうしますかー? ここから包丁投げますかー?」
「結渚ちゃん、こういうのって向こうの話聞いてから戦闘になるものだから、ね?」
「でも、不意打ちした方が楽に倒せそうですよー?」
「でも、お年寄りの話はちゃんと聞いてあげないと、ね? すぐそばにシフォンさんもいるし」
俺たちは部屋に足を踏み入れた。
一歩ずつ、玉座に向かって歩く。
だが、だんだんと俺のテンションが下がってきた。
「はぁ」
思わずため息が漏れる。
「どうした、響平。ため息なんか吐いて」
「何かさ、この先の展開が読めるっていうか」
「展開? どうなるんだ?」
「多分さ、あのお年寄りがラスボスだから、あの人から全てを無に還すとか世界を征服するとかいう意味不明な供述を聞かされて、それに対して俺たちが生きてるうちに何を残すかが大切なんだとか守りたい大切な人がいるんだとか、そういう心にもないセリフで反論して、それからラストバトルになるんだろうなって思うと、めんどくさいからこのまま戦闘に突入してもいい気がしてきた」
「何で全てを無に還すとか言い出すんだ?」
「むしゃくしゃしたんだろ」
「けど、お年寄りだから話長いんじゃないのか? そんな簡潔にまとめられるとは思えんぞ」
「おい、もっとテンション下がるだろ」
「お年寄りだぞ? どうせ同じ話を何回も聞かされるぞ? 朝礼の校長みたいなものだろう」
「あぁ、確かに。あんなの誰も聞いてないのにな」
「校長の仕事なんて、朝礼で話す以外によく分からんからな」
「それ言ったら教頭もだろ」
「校長と教頭以外にもよく分からん先生たくさんいるしな」
「何やってるんだろうな、あの人たち」
ラスボスの前とは思えない緊張感のない話をしながら、俺たちは玉座の前へとたどり着いた。
俺たちは玉座から少し離れた場所で横一列に並んで、玉座に座るお年寄りと向かい合った。
右から、俺、麦穂、ことりん、小町さん、結渚ちゃん。
俺たちを一瞥すると、お年寄りが口を開いた。