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新たな犠牲者

「つまり響平君は、自分のたるんだ根性を鍛え直すために、麦穂ちゃんに殴ってもらっていた、と?」

「……そうです」


 小町さんの視線が冷たい。


「それでぇ何で頭踏まれてたのぉ?」

「いや……あの……どん底から這い上がろうと思ったというか、その前にまずは自分が底辺だと自覚しようと思ったというか……」


 ことりんの視線も冷たい。


「お兄ちゃん、正直に言った方がいいですよー。あたしに踏まれて目覚めましたってー」

「目覚めるって何に?」

「あたしにそんなはしたないことを言わせるつもりですかー?」

「……言わなくていいです」


 結渚ちゃんの視線は冷たくないけれど、俺の扱いがヒドイ。

 俺は床に正座させられ、みんなに囲まれていた。

 昨日の夜もこんなようなことがあった気がする。

 気のせいだと信じたい。

 というか、何で俺だけが正座させられてるんだろう。

 今回は麦穂も正座させられたっておかしくない気がするのに。


「麦穂ちゃん、響平君の言ってることは本当なのかな?」

「……大体そんなところです」


 さすがに、ありのまま今起こったことを話すぜというわけにはいかないらしく、俺の嘘に麦穂が合わせてくれた。


「まぁ、二人の問題だからあまり突っ込まないけど。で、隣の部屋の三郎さんの動きはどうだったのかな?」

「物音がしたので私と響平で見に行きましたが、普通に荷物を探していただけでした」

「うーん……。なかなか死なないね、あの人」


 小町さんがすごく冷たいことを言ってる気がする。


「いつ死ぬか分からないのに、このまま二人に見張りまかせるのも悪いよね?」

「私は一人でいいです」

「いや、あの、俺……も…………」


 途中で言葉に詰まった。

 顔を上げて麦穂の顔を見たら、相変わらず死を覚悟せざるをえないオーラを漂わせていたから。

 物で何とかなりそうなことりんと、お金で何とかなりそうな結渚ちゃんが天使に見える。

 いや、どう考えても二人とも天使からは、はるかに遠いけど。


 コンコン。


 不意にドアをノックする音が聞こえた。


「はい?」


 小町さんが返事をする。

 ドアが開き、そこから現れたのはヤスさんだった。


「ここにいましたか、探偵さん!」


 息を切らした様子のヤスさんを見て、小町さんがいぶかしげに尋ねる。


「どうかしたんですか?」

「専務が……首を……吊りまして……」

「え?」

「外の物置です。すぐ来てください」

「分かりました」


 ヤスさんにうながされて、小町さんとことりんと結渚ちゃんが部屋から出て行く。

 麦穂はベッドの上に置かれたままになっていた上着を手に取った。

 俺はというと、正座をさせられていたので足がしびれていた。


「あの……麦穂…………様……」


 足を崩しながら俺は麦穂に声をかけた。


「…………」


 麦穂の俺を見る目が相変わらず殺意に満ちている。


「誠に……申し訳ありませんでした……」

「…………土下座」

「……はい」


 言われるまま、素直に俺は土下座した。

 逆らう勇気はもちろんない。

 ぐっと。

 またもや後頭部に圧力が加わる。

 俺の頭は足置きじゃねえ、などと言う勇気ももちろんない。

 むしろ、これで許してもらえるのなら、いくらでも足置きとして使ってくださいと言ってやりたい。


「どうしてああなったか説明してみろ」


 んな無茶な。


 ぐりぐり。


 俺の後頭部に足の指の感触が伝わる。

 どうやらまだスリッパは履いていないようだった。


「あの……麦穂が服を脱いで身体を密着させてきたので……」

「ばば、ば、馬鹿かお前っ! 変な言い方するなっ!」


 ぐりぐりぐりぐり。


「でも仕方ないだろっ! 麦穂に迫られたら誰だってああなるっつーのっ!」

「せせ、迫ってないだろっ! ふざけるなっ!」


 ぐりぐりぐりぐりぐりぐり。

 ぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐり。

 ぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐり。


「……はぁ」


 頭上から、大きなため息が聞こえる。


「私も迂闊だった。気を紛らわせようとしてストレッチを始めたのは私だ」


 ぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐり。


「今回だけは見逃してやる。次やったら殺す」

「……はい」


 麦穂は上着を羽織り、スリッパを履くと部屋から出て行った。

 俺はというと、まだ足がしびれていた。



 しびれた足を引きずって外の物置にたどり着くと、みんなが集まって小さな紙か何かを見ていた。

 何だろうと思い、俺もそっちに近づく。


「お兄ちゃん、遅いですー」

「ああ、足しびれてたからさ」


 さすがに麦穂に踏まれてましたとは言えない。


「で、みんな何見てるの?」

「遺書だってぇ」

「専務さんの?」

「そぉみたぁい。ポケットに入ってたんだってぇ」


 俺はみんなが見ている紙を見た。

 …………。

 字が汚くて読めない。

 メソポタミア文明でおなじみの楔形文字なのか、これは。


「何て書いてあるの? これ?」

「今みんなで解読してるんだけどね。読めないね、これは」

「二文字目は『べ』だと思いますよー」

「四文字目は『私』という漢字じゃないか?」

「六文字目はぁ『や』じゃなぁい?」


 解読するのに時間がかかりそうだ。

 俺は物置の中に入り、専務さんの遺体を確認した。

 物置の中で、専務さんは首を吊ったまま息絶えていた。

 といっても、マネキンがぶら下がっているようにしか見えないけど。


「みなさん、読めませんか?」


 解読に手こずっているみんなにヤスさんが声をかけてきた。


「何なら私が代わりに読みますよ」

「読めますか?」


 言いながら小町さんは、ヤスさんへ紙を手渡す。


「これは……『すべて私がやりました。命をもってつぐないます』ですね。となると、真犯人は専務だったんですよ!」


 な、なんだってー!!

 という声が、どこからともなく聞こえた気がする。


「ヤスさん、よく読めましたね。俺はさっぱりでしたよ」

「まぁ、私は…………あっ!」


 いきなり、ヤスさんが転んだ。

 こんな何もないところで。

 まさかのドジッ子アピール?


「ああっ! 転んだ拍子にっ!」


 言いながらヤスさんが専務さんの遺書を細かくちぎる。

 何やってんの、この人。


「申し訳ありません、転んだ拍子に専務の遺書が細かくちぎれてしまい、読めなくなってしまいました。けど、探偵さんに内容が伝わってからでよかったです」


 そう言うとヤスさんは立ち上がり、細かくちぎられた遺書の残骸を差し出した。


「結局、真犯人は専務でしたね。部下である私もすごくショックです」


 怪しい。

 怪しいなんてレベルじゃない。


「あの、ヤスさん」


 俺はヤスさんに声をかけた。


「その遺書、セロテープでくっつけて元に戻したいので、もらっていいですか?」

「…………」


 俺の言葉に、ヤスさんが固まる。

 しばしの沈黙のあと、


「お腹がすいて死にそうだっ!」


 そう言うとヤスさんは、ちりぢりになった紙を口に入れた。

 ……マジか、この人。


「すみません、探偵さん。空腹に耐えかねて、つい……。でも、探偵さんたちに内容が伝わってからでよかったです。事件が迷宮入りになるところでした。死体の処理は私がやっておきますので。探偵さんたちは部屋に戻ってください。事件が無事解決してよかったです」


 今朝の春子さんの死体が発見されたときと同じように、ヤスさんが強引に話をまとめようとした。

 怪しい。

 すごく怪しい。

 そういえば、みんなに流されて忘れてたけど、俺が初めから疑ってたのはヤスさんだった。

 よく考えたら、ちゃんとした顔がついてるのってヤスさんだけだし。

 鉄アレイ振り回せるのなんてヤスさんしかいないし。

 最初に社長さんの死体発見したのもヤスさんだし。

 密室だったって言ってるのもヤスさんだけだし、もしかして実は密室じゃなかったとかいうオチなんじゃないだろうな。


「ヤスさん」


 俺はヤスさんを問いただすことにした。


「ぶっちゃけ、犯人ヤスさんじゃないですか?」

「ななな、何てことを言うんですか? 証拠でもあるんですかっ!?」

「昨日専務さんに机バンバンされてましたけど、普段からあんなことされてヤスさんも恨みがたまってたんじゃないですか?」

「そそそ、そんなことあるわけないじゃないですかっ!? 確かに専務は普段から机バンバンしますし、それで私もいつか専務の息の根を止めてやろうと思ってましたけど、決して、わわわ、私が、そそそそ、そんなことをするるるなんてっ!」


 動揺しすぎだぞ、この人。


「わわ、わ、私のことを疑うなら、何か証拠でも持ってきてくださいっ!」


 結局、何か証拠が必要になるらしい。

 がんばって探すか。

 じっちゃんはいつもひとつ。

 ……じゃなかった。

 真実の名にかけて。

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