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死を恐怖せざるをえない、いや、死を覚悟せざるをえない

 俺と麦穂は、三郎さんの部屋の隣の、春子さんの部屋にいた。

 二人でやたらとでかいベッドの上に座り、隣の三郎さんの部屋から物音がしないか聞き耳を立てて、怪しい物音が聞こえたら突入しようという作戦だった。

 だが、まったく物音がしない。

 静か過ぎる。


「おい、響平」

「ん?」

「三郎、もう死んでるんじゃないか?」

「昼寝してるかもしれないだろ」


 みんなより先に俺と麦穂が食堂を出て、春子さんの部屋に隠れた。

 その後に、専務の次郎さんたちが部屋に戻ったらしく、足音と遠くでドアの閉まる音が聞こえた。

 というわけで、すでに殺されてるというのは、外部犯でないかぎり考えにくい。


「暇だな。じっとしてるのは性に合わん」

「ここに来てからまだ20分くらいだろ」

「20分あったらどれだけ筋トレできると思うんだ? お前、貧弱だから腕立てでもしてろ」

「何でだよっ!?」


 けど、確かに暇だった。

 本物の刑事さんは張り込みしてるときは何をやっているんだろう。

 このままずっと息をひそめて麦穂と二人で待つのはけっこうダルイ。

 ん……?

 麦穂と二人で……?

 今、この部屋には俺と麦穂の二人。

 場所はペンションの一室。

 俺たち二人はベッドの上。

 …………。


「おい、響平」

「は、は、はいっ!」

「どうした、ビクッとして」

「何でもっ! 何でもないからっ!」


 変なこと考えてたなんて口が裂けても言えない。

 三郎さんよりも先に俺が死体で発見される。


「三郎が生きてるかどうか、一回見てきた方がいいんじゃないのか?」

「でで、でもさ、俺たちが隠れてるのが犯人にバレたら三郎さんをおとりにした意味がなくなっちゃうしっ!」

「お前、何か顔赤いけど大丈夫か? 熱でもあるのか?」


 言いながら麦穂が俺の顔をのぞきこむ。

 状況が状況なだけに、間近で見ると、普段より三倍くらいかわいく見えるから困る。


「だ、大丈夫だからっ!」


 慌てて視線を逸らそうとするが、余計に怪しまれたようだった。


「お前、ちょっとおかしいぞ。見せてみろ」

「何…………ぅをっ!?」


 唐突に麦穂が俺のおでこに手を当てる。

 おかげで変な声が出た。


「別に熱くはないな」

「だだ、だから大丈夫だってば」


 俺は慌てて麦穂から顔をそらす。

 一瞬、麦穂がハッとしたような表情を見せた気がするが、これ以上麦穂の顔を見ていられなかったので、確認しようがなかった。

 変に意識してしまったせいか、麦穂の顔をまともに見られなくなっている。

 何かいい匂いするし。

 何でこいつはこんなに堂々としてるんだろう。

 俺をまったく意識していないということなんだろうけど。

 ちょっとヘコむような、この状況では助かるような。


 バタンッ。


 不意に、ドアの閉まる音が聞こえた。


「反対の部屋か?」


 麦穂がつぶやいた。


「だと思う」


 答えながら、俺は考えた。

 春子さんの部屋から見て、三郎さんと反対側の部屋。

 確か、ヤスさんだ。

 昼食の片付けをしていて、戻るのが遅くなったんだろうか。

 ドアの閉まる音のあとは、特に物音もしない。

 思ったより防音がしっかりしてるのかもしれない。

 ことりんの叫び声くらいうるさければ聞こえるけれど、普通の物音は聞こえないのかな。

 このまま三郎さんの部屋から何の物音も聞こえなかったらどうしよう。

 麦穂と二人だと気まずいというか、ドキドキするというか、緊張するというか。

 多分、黙っているのがよくない。

 だから余計意識する。

 何でもいいから話していた方が気が紛れそうだ。


「あの、さ」


 俺は声をかけながら麦穂の方を見た。

 だが。


「ちょっ!?」


 俺の目に映ったのは、麦穂が半袖のコートを脱ぎかけている姿だった。


「お前、何で脱いでんの!?」

「あ、あぁ。ストレッチでもしようと思ってな」

「脱がなくてもいいだろ!」

「ふ、服着たままだと動きづらいだろう。全部脱ぐわけでもないし」

「そうだけど!」

「けけ、け、けど、何だ!?」


 コートの下にはシャツも着てる。

 裸になるわけじゃない。

 ストレッチをしようとして羽織っているコートを脱いだだけ。

 それは分かってる。

 分かってる、けど。

 こういう状況だから、目の前で服を脱ぐという行為自体にドキドキする。

 ドキドキしてるのは俺だけなんだろうけど。


「何でいきなりストレッチ始めるんだよ?」

「き、き、緊張するだろう?」

「何でだよ?」

「それは……あれだ、隣の部屋で三郎が殺されるかもしれないからな」

「お前、さっき三郎さんが死んでもいいみたいに言ってなかった?」

「うう、う、うるさいっ!」


 言いながら麦穂はコートを脱いでベッドの上で足を広げると、身体を前に倒し、胸をベッドにぺったりとつけた。


「すげーな、お前。柔らかいな」

「毎日ストレッチしてるからな」

「俺も毎日ストレッチしたら、それくらいできるようになるの?」

「どうだろうな。やらないよりはやった方ができるようになるんじゃないか?」


 けど、麦穂を見ていて思った。

 身体を動かしていた方がじっとしているよりも緊張がほぐれるかもしれない。

 幸いにもベッドは広い。

 俺も麦穂にならって、ストレッチをしてみることにした。

 麦穂の横で俺も足を広げ、身体を前に倒してみる。

 だが。


「響平、お前はどれだけ身体が硬いんだ」


 呆れたような声が隣から聞こえる。


「仕方ないだろ、普段やらないし」


 バタン。


 また、ドアの閉まる音が聞こえた。


「また反対側か?」


 麦穂がつぶやく。


「た、多分……」


 身体を不格好に倒したまま俺は答えるが、声が出しづらい。


「お前、苦しそうだぞ」

「身体が……痛い」


 倒していた身体を戻しながら、俺は答える。


「私が押してやるからもう一回やってみろ」

「今のでも痛かったんだけど」

「つべこべ言わずにやれ」


 そう言うと麦穂は、俺の背中を手で押した。


「っ! 痛いって!」

「耐えろ」

「無理っ!」

「足をもうちょっと開け」

「限界だって!」

「まだいけるだろう」


 麦穂は俺の後ろから、右手で俺の右足を、左手で俺の左足をそれぞれつかむと、俺としては限界まで開いているつもりの足をさらに広げようとした。


「痛っ! たたたっ! 無理っ!」

「我慢しろ。痛いのがそのうち気持ちよくなる」


 ドS発言!?

 けど、痛いだけならまだよかった。

 麦穂が俺の両足を手でつかんだまま、身体全体で俺の背中を押し始めたからだ。

 当たってる。

 しかも、弾力がある。

 身体も、胸も。


「待った! いろいろ無理っ!」

「いろいろって何だ?」


 耳元で麦穂の声が聞こえる。

 当たってるなんて絶対に言えない。

 殺される。

 

「いろいろ限界ですっ!」

「だから、いろいろって何だ?」


 ドンッ!


 不意に、隣の部屋から大きな物音がした。

 俺と麦穂は、身体を密着させた姿勢のまま、思わず固まる。

 俺の背中に押し当てられる、麦穂の弾力のある胸。

 俺の耳にかかる、麦穂の吐息。

 麦穂がハッと息を飲む音が、耳元で聞こえた。

 ヤバイ。

 男の子の事情的に、ヤバイ。

 隣の部屋で三郎さんに何かあったかもしれないけれど、現実問題としてこっちの部屋でも俺の身に事件が起きている。


「きき、き、響平っ!」

「はははは、はいっ!」

「い、い、今、も、物音がっ! したぞっ!」

「し、したなっ!」

「いい、行かないとなっ!」

「そ、そうだなっ!」


 ようやく麦穂が俺の身体から離れる。

 だがその動作は普段と違って、カクカクとしていてぎこちなく、まるでロボットのようだった。


「き、響平っ! 行くぞっ!」

「ささ、先行っててっ!」

「ど、どうしてだ!?」

「いい、い、今ちょっと立てないんでっ!」

「? どどど、どうしたんだ、お前? ストレッチで身体おかしくなったか?」

「あ、ある意味そう!」

「い、い、痛いとか言っている場合じゃないだろう! 早く立て!」

「まっ……」


 男の子の事情などはおかまいなしに、麦穂は俺の身体を起こそうと、俺の左手を引っ張る。

 だが、麦穂の身体の動きは、どこかおかしいままだった。

 身体をうまく動かせていないというか、身体にうまく力を伝えられていないというか。

 そのせいで、麦穂は俺の身体を引っ張り起こすのに失敗し、俺ともどもベッドの上に倒れ込んだ。


「い……っつ……」


 俺はハッと息を飲んだ。

 目の前に、麦穂の顔がある。

 ベッドの上で仰向けに倒れ込んだ俺の身体。

 その上に覆いかぶさるような格好で倒れた麦穂の身体。

 麦穂の胸は、今度は俺の胸に押し当てられ、弾力が伝わってくる。

 しかも致命的なことに、俺の下半身が麦穂の下半身と密着していた。


 ドサッ!


 隣の部屋でまた物音がしたので、俺と麦穂は至近距離で目を合わせたまま、さらに固まる。


 バタッバタバタッ……。


 隣の部屋では物音がさらに続く。

 物音がおさまるのを待って、ゆっくりと、まるでスローモーションのようにゆっくりと、麦穂は身体を起こした。

 そして、俺から身体を離すと、視線を俺の下半身に向ける。

 見ないでください。

 そんな俺の心の声が届くはずもなく、麦穂は俺の下半身を凝視して少しの間固まると、ゆっくりと、これまたゆっくりと、俺の顔へと視線を戻す。

 その顔は真っ赤で、唇がわなわなと震えていた。


「お、おま、おま、お前は……」

「ままま、ま、待って! 聞いて!」


 麦穂は俺の身体に馬乗りになると右手の拳を握り、その拳を振りかざすが、その手はぷるぷると震えていた。

 ヤバイ。

 殺される。

 これは絶対、殺される。

 言い逃れしようがないし。


「い、いい、い、今はっ! 今はっ! 三郎さんの部屋にっ!」

 

 俺の言葉を受けて、麦穂は拳を震わせたまま俺を見下ろすが、


「……粛清はあとだっ!」


 叫ぶと俺の上から立ち上がり、ぎこちない動きのままドアへと向かう。

 俺もベッドから起き上がり、同じくぎこちない動きのままドアへと向かう。

 俺たちはドアを開けて廊下に出ると、すぐ隣の三郎さんの部屋の前まで行き、ドアを麦穂がノックした。


「はい」


 ……あれ?

 中から普通に三郎さんの声がする。

 俺はドアを開けて三郎さんの部屋へと入った。

 麦穂が俺のあとに続く。

 室内には荷物が散乱していて、三郎さんが荷物の中に立っていた。


「三郎さん、今何か物音が聞こえましたけど」


 俺の問いかけに三郎さんは、


「そんなにうるさかったですか?」


 と真顔で返す。


「いえ、うるさかったわけではないんですけど、物音がしたから何かあったのかなって思ったんです」

「ああ。ちょっと探し物をしていたんで、キャリーバッグをひっくり返して荷物を全部出していたものですから」

「そうなんですか」

「ええ。ご迷惑をおかけしまして」

「いえいえ、すみません、こちらこそ」


 まったく紛らわしい。

 俺たちは、三郎さんを残して部屋を出た。

 廊下に出ると、専務さんだろうか、人影が階段を降りて行くのが見えた。

 

「よかったな、何もなくて」

「…………」


 軽い調子で俺の前を歩く麦穂に話しかけてみたが、返事はない。

 ……怖い。

 さっきまでひそんでいた春子さんの部屋の前に着くと、麦穂は無言でドアを開けた。

 麦穂はドアを開けたまま、無言で、目だけで、俺に先に入れとうながす。

 正直、このまま逃げようかと思っていたが、どうやらバレていたみたいで、そうはいかないようだった。

 俺は逃げるのを諦め、無言で春子さんの部屋に入るが、今の俺にはこの部屋は拷問部屋にしか見えなかった。


 俺は部屋に入ると少し進んで立ち止まり、麦穂の方に向き直る。

 麦穂はドアを閉めると、無言で俺をにらみつけた。

 その目はまるで、寝る前に耳元を飛び回る蚊を見るかのような目だった。

 俺にできることは一つしかない。

 とにかく謝ろうと思い、頭を下げようとするが、麦穂の拳が飛んでくる方が早かった。

 左頬に衝撃を受けるのと、俺の視界が回転するのが同時だった。


 ドサッ。


 宙を舞い、床に崩れ落ちた俺は、床にうずくまりながら左の頬を押さえる。

 本気で殴りやがった。

 マジで痛い。

 床にうずくまっている俺の目に、麦穂が迫って来るのが映る。

 麦穂は俺を殴ったときに右足のスリッパが脱げたようで、左足はスリッパを履いていたが、右足は裸足になっていた。

 けれど、麦穂はスリッパを履きなおそうともせず、俺に近づいてくる。

 一歩ずつ着実に。

 全身から殺気をほとばしらせながら。

 このままだと殺される。

 何とか、二発目をくらうより、先に。


「申し訳ありませんでしたぁっ!」


 土下座した。

 ぐっと。

 俺の後頭部に圧力が加わる。

 感触からすると、麦穂が生足で俺の後頭部を踏んでいるようだった。


「……言い訳があるのならしてみろ」

「……せ、生理現象なんです……」

「ゲームに生理現象も何もないだろう」


 本当だよっ!

 何でこのゲーム、ここまで再現してるんだよっ!

 この機能絶対いらねえだろっ!


「で、でも、麦穂、」

「お前ごときが私を呼び捨てにするのか?」

「む、麦穂……さん」

「……さん……?」

「麦穂……様……?」

「何だ? まだ言い訳があるのか? くだらんこと言ったら殺すぞ」


 ぐりぐり。


 後頭部に麦穂の足の指の感触が伝わる。

 下手な言い訳はしない方がよさそうだった。


「……俺が悪かったです。反省してます。申し訳ありませんでした……」

「……言いたいことはそれだけか?」


 冷ややかな声が響く。


 ぐりぐりぐりぐり。


 殺される。

 迂闊なことを言うと殺される。

 迂闊なことを言わなくても殺される。

 どうあがいても殺される。


「選べ」


 ぐりぐりぐりぐりぐりぐり。


 死を恐怖せざるをえない、いや、死を覚悟せざるをえないような冷たい声が聞こえる。


「みんなにバラされるのと、今ここで私にもっと殴られてそのまま死ぬのと、どちらか選べ」


 ぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐり。


 選択肢なんて、あるわけがない。

 ここで死んでもしょせんはゲームだ。

 リアルで死ぬわけじゃない。

 けれど、みんなにバラされたらリアルで死ぬ。

 ことりんに知られたら学生生活が終わる。

 まだ始まってすらいない気もするけど。

 小町さんにバラされたら、お説教ではすまないかもしれない。

 結渚ちゃんにバラされたら、それをネタに金銭を要求されるのが目に見えている。

 一択だった。

 どう考えても、麦穂にもっと殴られた方がマシだ。

 あまり言いたくないセリフだけれど、一気に言うしかない。

 俺は決意を固め、息を大きく吸い込んだ。


 コンコン。

 ガチャ。


「麦穂ちゃん、響平君、何か動きは――」

「麦穂様っ! もっと殴ってくださいっ! お願いしますっ!」


 …………。

 …………………………ん?

 何か今、すごくよくないことが起こった気がする。

 おそるおそる、俺は顔を上げようとするが、麦穂に後頭部を踏まれたままの俺は、顔を上げることができなかった。


「小町お姉さまー、あれ何やってるんですかー?」

「見ちゃいけません」

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