古いビルの屋上で
二作目、またまた短編です。
今回は前回と違い、人間的な面を書かせていただきました。
本来の自分の作風に近いものだと思います。
では、しばしの間お付き合いください。
「あら。こんなところで何してるの?」
振り返るとそこには、五十を過ぎた初老の婦人が立っていた。
上品な服を着た婦人もまた、劣らぬような気品を溢れさせている。
「いや、その、景色を見に」
突然の事だったので、思わず口ごもった。
古いビルの屋上で、ひとり暗い男性が居たら不審に思うだろう。ましてや、落下防止のための、端に付けられたフェンスを越えたところにいるのであれば、尚更だ。
「こんな町の景色を見に?」
婦人は可笑しそうにくすくすと笑い、俺のいる、フェンスを越えたところまでやって来た。
二メートルも無い低いフェンスな上に、コンクリの段差があるから、並程度の体力がある老人なら越えられて不思議では無い。
俺の住むこの町は、駅の周辺以外は活気が無く、寂れた町である。
灰色、という言葉がとても似合う、埃が舞う商店街。
こんな町に越してくる人間はまず居ないだろう。
「あの、あなたは何を」
「きっと、あなたと同じ理由よ。もう、何もかもが嫌になったの」
何故俺が自殺者だと分かったのだろうか。同類のにおいがしたのかもしれない。
「そうですか」
ずっと独りだった俺に、初めて近しい人間が出来たような、なんとも言えぬ嬉しさがあった。
「死ぬ前に話し相手が出来て嬉しいわ。少し、話を聞いてもらえない?」
婦人の声は、死ぬ前だというのに、ひどく落ち着いていた。
顔には穏やかな微笑を浮かべ、まるで悟りを開いたような、不思議な雰囲気が漂っている。
「ええ。俺で良ければ」
死ぬ前にいい事をしても、バチはあたらないだろう。
手すりによりかかりながら、婦人はゆっくりと話し始めた。
「…二年前に主人が死んだの。ずっと二人で暮らしてたから、息子夫婦が、高校生になる孫息子と三人で家に来たわ。そこから同居が始まったけど、やっぱり気を使ってしまって。次第に疲れて来ちゃったのよ。追い出すわけにもいかないし、困ったものよね。でも、そこまではまだ良かった」
流れるような婦人の声に、思わず聞き入っていた。俺は相槌も打たず、ただ真っ直ぐ婦人の顔を見る。
「一年が過ぎた頃、孫が暴力を振るうようになったの。それも、私だけに。きっと、か弱い老人だから何もできないと思ったのね。…全くその通りだわ。あんなに可愛かった孫が暴力を振るうなんて考えられなかった。最初は、ただショックを受けるばかりだったわ」
婦人は遠くの、霞んだ山を見ながら話していた。時折ため息を交えては、また話し始める。
「でも、放っておいたら段々エスカレートしてきてね。最近は金を盗んだり、皿をぶつけるようになったのよ。…もう、限界だった。余生を楽しむにしても、相手がいないんじゃあね。どうせ独りなら、あの世で待ってる夫のところへ行こうって。だから、私の全ての財産を持って、ここに来たのよ」
婦人は手に提げた小さなハンドバックを指差した。きっと、預金通帳や判子が入っているのだろう。
思わずそのハンドバックを凝視してしまう。
「あなたの理由は何?」
さっきと変わらない微笑を浮かべながら、婦人は言った。
俺は、元々田舎の出身だ。成功を信じ大学から上京したものの、全てが上手く行かず、結局やめてしまった。
バイト生活の日々が続いたが、やがてそれもやめてしまう。
恋人はおろか友達も出来ず、部屋にこもってネットをする日々。貯金が底を尽きると、借金をするようになった。
数百万にのぼった借金の取立てに耐えかね、今に至る。
「お…俺は」
ごくり、と生唾を呑んだ。冷や汗が出る。
「あなたに比べたら、小さい理由です。恥ずかしくなって来ました」
精一杯の笑みを作る。感づかれないだろうか。心配だった。
そうなの、とただ一言呟いた婦人は、また遠くの山を見始める。
今だ。
手すりを握り、婦人のハンドバックに手を掛け、思いっきり婦人を突き飛ばす。
片足が屋上のコンクリから離れ、体は既に助かる筈の無い角度に傾いている。
そこで婦人はバックを手放し、届かないはずの手を伸ばすと、まるで幼い子の頬を愛でる様に手を動かし、静かに微笑んだ。
がんばってね。
顔が見えるか見えないかの角度になった時、婦人の口が、そう動いた気がした。
時間にすればほんの0コンマ何秒な筈なのに、時間が止まったようにはっきりと目に焼き付いている。
間もなくして、砂袋を落としたような、鈍い音がビルの下に響く。
ただ涙を流し震えていた俺は、無我夢中で走り、自分の部屋へと帰って行った。
読んでいただきありがとうございます。
いかがでしょうか?
前回と似たところは、死や孤独を題材にした、ちょっと残酷なところだと思います。
いつか明るいお馬鹿なコメディーやファンタジーでも書けたら良いんですけどね…
頑張りますです。
感想やアドバイスなどありましたら、是非お願いします。