第8話:英雄の朝、あるいは死刑台の夜明け
いつもありがとうございます。
無情にも、朝日が窓から差し込んできた。
豪勢なカーテンの隙間を抜けてきた黄金色の光は、俺にとっては希望の光などではなく、逃げ場のない現実を照らし出すスポットライトだった。
(……ああ。朝が、来ちまった)
昨晩、あれだけ浴びるように飲まされた最高級の酒。普通なら泥のように眠り、昼過ぎに酷い二日酔いで目覚めるはずだった。だが、一睡も叶わなかった。
目を閉じれば「伝説の剣」を巡る血生臭い想像が膨らみ、目を開ければ豪華な女神の天井画が俺を監視している。
結局、俺はベッドの上で、ただ「運のタネ」を握りしめたまま朝の5時を迎えてしまった。
現在のコンディションは、人生最悪と言っていい。
睡眠不足で頭はガンガンとし、目は血走ってギラついている。皮肉なもんだ、歴戦の冒険者という「脳内設定」での俺は、いつでも鋭い眼光を放っているはずだが……
今の俺の目は、ただの深刻な不眠症による充血だ。しかも今になって、強烈な眠気が波のように押し寄せてきやがる。
(……最悪だ。今すぐこのふかふかの枕に顔を埋めて、三日間くらい気絶したい)
だが、運命はそれを許さない。
――コン、コン。
心臓を直接叩かれたような、硬いノックの音が響く。
「英雄殿。朝が来ましたが、如何ですかな。ご気分の方は
……早速ですが出陣の刻が参りましたぞ」
扉越しに聞こえるのは、あの司祭エルドの冷徹な声だ。
これから俺は「拉致」される。
名目は冒険だが、実態は連行だ。訳のわからない、暗くて、湿っぽくて、カビ臭いダンジョンの奥底へ。
あの冷酷そうな女剣士も一緒だったらどうしよう……。ちっともワクワクしない。
重い。全てが。
足が鉛のように重い。心も、肺も、胃袋の中の酒も、すべてが地球の重力に逆らおうとしている。
普段なら「おっと!」なんて言って段差でコケる程度のドジで済んでいた俺の不運が、ついに世界規模の厄災に化けやがった。
「……ああ、今行く」
俺は精一杯、声を低くして答えた。
せめて、扉を開ける瞬間だけは「英雄」のフリをしなければならない。そうしなければ、あのエルドやロゼリアの視線だけで射殺されそうな気がしたからだ。
俺は震える手で外套を羽織り、絶望の朝へと踏み出した。
城の重厚な扉が開かれた瞬間、エルド・アッシュマンの背筋に冷たい戦慄が走った。
現れたルシアの姿は、昨晩の情けない風来坊のそれとは一線を画していた。
一睡もせず、極限まで研ぎ澄まされた(と、エルドには見えた)精神が、その瞳を獣のように赤く、鋭く輝かせている。
「……英雄殿。その眼光、どうやら一晩で完全に『覚悟』を決められたようですな」
エルドは密かに驚嘆していた。扉を叩いた時、わずかに感じた「重苦しい空気」は、ルシアから放たれる圧倒的な重圧感であったと確信する。
一歩、また一歩と石床を踏みしめるその足取りには、自らの死をも辞さないような重厚な覚悟が宿っている。
その背後に控えるロゼリア・ウォーハートも、わずかに眉をひそめた。
愛剣ソード・オリヴィアの柄を握る指先に、無意識に力がこもる。
(……あの感じ。昨日までの、隙だらけのドジな男とは何かが違う。あのギラついた目、まるで深淵を覗き込んできたような……)
ロゼリアは、ルシアから放たれる「正体不明の殺気」に、本能的な警戒心を抱いた。それが「ただの深刻な寝不足」から来る、世界に対する八つ当たりに近い苛立ちだとは、この時の彼女には知る由もない。
「……逝くとするか。(自虐的にでもしないと心が折れる)」
ルシアは、眠気で震える声を押し殺し、低く呟いた。
それが、騎士団やエルドには「余計な言葉を削ぎ落とした、戦士の決意」として響き渡る。
「出陣だッ!! 英雄殿に続けッ!!」
騎士団長ヴァルガスの号令が、冷ややかな朝の空気を切り裂いた。
こうして、世界で最も「勘違い」された英雄と、彼を監視し、期待し、あるいは憎む猛者たちの、終わりの始まりが告げられた。
ルシアはもう逃げられないのか?
続きは明日の20時!




