第5話:聖職者の独白【理の守護者として】
福引きが世界を回す!
続きです!
深夜の聖堂。
高くそびえる円天井の下、ステンドグラスを透過した月光は、冷たい灰色の影を床に落としている。
祈りを捧げる者のいない静寂は、まるで巨大な怪物の胎内にいるような圧迫感があった。
エルド・アッシュマンは、祭壇の前で静かに膝をついていた。
彼の細い指先が、この国で最も重いとされる法典の、古びた表紙をなぞる。金糸で刺繍された紋章は、長年の摩擦で擦り切れ、もはや「法」という概念の骸のようにも見えた。
(……ようやくか)
エルドの脳裏には、先ほど駆け込んできた使者の、血走った眼が焼き付いていた。
「特賞が出た」
その一報は、彼にとって福音でも驚きでもなかった。それは、あまりにも長く停滞していたこの町の「空気」が、ついに澱を吐き出したという、不吉な予兆に等しい。
このグレースランドにおいて、福引きとは単なる娯楽ではない。
それは「抽出の儀」……この世界の不条理を分配し、人々に強制的に役割を与えるための、神聖な理そのものだ。
(世界は、常に澱みを嫌う。幸運も、厄災も、一箇所に留まれば毒となる。ゆえに我らはそれを薄め、バラ撒き、人々に『役割』として背負わせることで、今日という一日を買い叩いてきたのだ。それが、この平穏を維持するための、唯一の不浄な手段なのだから)
エルドは、祭壇に供えられた「無記名の福引券」をじっと見つめる。
ハズレ券を引いた者は、また明日も続く平凡な日常という名の刑期を。
四等を引いた者は、その日の酒代という名の小さな癒やしを。
そして――特賞を引いた者は、その命すべてを世界の歯車を回すための『潤滑油』として捧げることになる。
(今回の特賞は『伝説の剣』。それは、誰かが竜を屠らねばならぬ時が来たという、世界の悲鳴そのものだ。その悲鳴を、あの煤けた外套を纏った男が受け止めた……。
エルドは、ゆっくりと立ち上がる。
彼の長い法衣が、石床を擦るわずかな音。その微かな響きさえもが不敬に感じられるほどの静寂が、再び聖堂を支配する。
エルド自身、己の冷酷さを自覚していないわけではない。
聖職者でありながら、彼は神を信じてはいなかった。彼が信じているのは、ただ一つ。破綻なく巡り続ける「制度」という名の神のみだ。
一度でも慈悲を許せば、積み上げてきた数千年の安定は脆くも崩れ去る。法に感情は不要だ。あるのは法への絶対的な忠誠と、世界を維持するための冷徹な計算のみ。
(たとえ彼が、どれほど無能な風来坊であろうとも関係ない。特賞を引いたという『事実』こそが、彼を英雄へと作り替えるのだ。
本人の意思など、法の前では塵に等しい。彼が何を願い、何を望もうとも、私は彼に『伝説』という名の鎖を巻き付けるだろう)
彼は祭壇の影から、一通の重厚な封書を取り出した。
(逃げようとしても無駄だ、ルシア殿。あなたがその剣を手にし、ダンジョンへと消えるまで、私は決してあなたを逃さない。
たとえあなたが血を吐き、足掻き、許しを請うたとしても、私は微笑んで背中を押すだろう。それが、法を司る私の、たった一つの祈りなのだから。
……たとえそれが、あなたの魂を、死ぬまで解けぬ黄金の檻に閉じ込めることになろうとも)
エルドは細い指で、傍らに置かれた銀色の鐘を一つ、静かに鳴らした。
キィィィィン……という高く鋭い音が、深夜の聖堂に長く、長く尾を引いて響き渡る。その音色は、祝祭の鐘などではなく、一人の男の自由を永遠に葬り去る弔鐘であった。
狂った神話の幕が、今、静かに上がる。
舞台袖では、黒衣の演出家が、獲物を待つ蜘蛛のような笑みを浮かべていた。
夜明けまで、あと数時間。
明日、世界は「英雄の誕生」に酔いしれ、一人の青年は「絶望の始まり」に震えることだろう。
救われるのは、誰だ?
狂うのは、誰だ?
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次回ご期待ください。




