第36話:喧騒の酒場、あるいは残酷な「特賞」
1. 隠された呪いと不器用な手
「……仕方あるまい。町には町の理がある。これ以上、この事務的な空間に長居をするのは無用というものだ」
エルドは吐き捨てるように言い、役場の重い石壁を背にした。
その横顔には、長年信じてきた聖域を汚されたような、隠しきれない疲労と困惑が滲んでいる。だが、彼はすぐに司祭としての冷静さを取り戻そうと、ルシアの腰元に視線を向けた。
「そうだルシア殿。その剣……『ドラゴンスレイヤー』は、この町では少々目立ちすぎる。
先ほどの管理課の男の言い分を聞く限り、余計な混乱の種になりかねん。布か何かで、その禍々しいまでの輝きを隠しておくべきでしょうな」
「ああ、そうだよエルドさん。正直、俺もさっきから視線が痛くてたまらなかったんだ」
ルシアは安堵したように応じた。彼にとって、この伝説の剣は誇りではなく、分不相応な重荷でしかない。
その様子を見ていたヴァルガスが、背負っていた巨大な荷物から、使い古されたが丈夫そうな厚手の布を引っ張り出した。
「ほらよ、ルシア。これでぐるぐる巻きにしちまいな。これなら、ただの『なまくらな大剣』にしか見えねえだろうよ」
「助かるよ、ヴァルガス」
ルシアは布を受け取り、慣れない手つきで剣の柄から鞘にかけて巻き付けようとする。だが、剣自体が意志を持っているかのように、布が滑り落ちる。
不器用な彼が四苦八苦していると、その横から香水の甘い香りと共に、呆れたような溜め息が漏れた。
「……もう、見てられないわね。貸しなさい、私が手伝ってあげるわ」
リフルが、いつもの勝気な笑みを浮かべて手を伸ばす。彼女にとってルシアの世話を焼くのは、もはや日常のルーチンになりつつあった。
しかし、ルシアは反射的に彼女の手を遮るように身を引いた。
「待て、リフル。……この剣には、あまり直接触らない方がいい。何が起こるか分からないからな」
「……っ。そうね、あなたのその『不運』が伝染るのも癪だわ」
一瞬、リフルは寂しそうな顔をしたが、すぐに強気な表情で隠した。
「じゃあ、私がこうやって布の端を持ってるから、あなたは上手いこと巻きなさいよ。いい? 弛まないようにね」
「ああ、頼む」
二人が共同作業で剣を隠していく。その最中、ルシアの手のひらを通じて、剣の鼓動が伝わってきた。
(頼むから……今は大人しく巻かれてくれよ。目立ちたくないんだ……)
ルシアが心の中で祈るように念じると、剣の中央に埋め込まれたコアが、一瞬だけ、返事をするかのように淡く、赤く拍動した。
それは周囲には気づかれないほどの、だが確かに意志を感じさせる輝きだった。
「……あ、ありがとう。これでよし、と」
意外なほどすんなりと、布は剣を包み込んだ。ルシアは、自分の「不運」が珍しく沈黙してくれたことに、小さな奇跡を感じていた。
2. 境界の酒場、メルディナの「呼吸」
「さて、それじゃあ少しこの町を案内するね。役場の理屈っぽい空気で、みんな頭が固まっちゃってるみたいだし」
ストーリアが軽やかな足取りで歩き出し、一行を連れ出した。
彼女の背中を追って大通りを少し進むと、ひときわ活気のある、窓から漏れる笑い声が石畳まで震わせるような大きな建物が見えてきた。
「ここは『境界の止まり木』。
どこの町にもお馴染みの、よくあるコミュニティ・パブね。
クエストの依頼、パーティーメンバーの募集、それに奥には腕のいい職人がいる武器屋も併設されてる。だから、ほら、こんなに広いのよ」
ストーリアが扉を蹴るように開けると、そこにはグレースランドでは見ることのない「自由」と「喧騒」の煮凝りのような光景が広がっていた。
「……あれは、何かしら」
ロゼリアが、鋭い視線を酒場の中央へと向けた。そこには一段高くなったステージのような場所があり、そこを取り囲むように大勢の冒険者たちが人だかりを作っている。
「ちくしょー! またハズレだ! マスター、これ本当に出る設定になってるのかよ!」
一人の若い冒険者が、悔しそうに頭を掻きながら、木製のカウンターを叩いている。
周りの仲間たちは「お前がツキがないだけだ!」と笑い飛ばし、酒を煽っている。
その光景は、一見すればただの遊びに興じているようにしか見えない。
「楽しそうね。あんなに、たかが遊びに一喜一憂して……はしゃぐ必要なんてあるかしら」
リフルが、いつもの「上から目線」を隠さずに鼻で笑う。ベルシュタイン家の令嬢である彼女にとって、ギャンブルに興じる庶民の姿は理解しがたいものだった。
「ここはいつも賑やかよ。一日の終わりに『運試し』をするのが、ここの冒険者のルーチンなの。
昨日話したでしょう? 福引きができる店。ここは町の管理下にある『制度』としての福引きとは少し違う……もっと俗っぽくて、それでいてこの町の空気を一番表している場所よ」
ストーリアが壁に備え付けられた景品リストを指差した。
特等: サムライソード(極東の地より伝わりし、鋭き片刃の妖刀)
一等: 魔力のリング(魔法行使時の負荷を軽減する補助装具)
二等: 帰還石(一度訪れた町へ瞬時に戻る、消耗型の転移石)
三等: 蒼天の鎧(軽量ながらも魔法防御に優れた騎士用の甲冑)
四等: 剛力の盾(衝撃吸収に特化した大型のタンク用防壁)
五等: 白銀の弓(速射性能を高めたアーチャー専用の逸品)
「……なるほどな」
リストを眺めながら、ルシアがポツリと呟いた。
「なるほど……『役割』とは言えない。ただの『装備品』だ。これなら、誰も人生が狂うなんて怯える必要はないし、当たって辞退することもないだろうな」
「ええ、その通りね」
ロゼリアが、事務的なリストの裏にある真理を見抜くように頷いた。
「景品が職業に特化している……つまり、引く前から自分の役割に合うものを選べる、あるいは当たった後に『自分に合う誰か』と交換することを前提としている。これが、この町における『理』の正体なのね」
「そうなの。それがこの町の、ちょっと奇妙で、それでいて合理的な空気感」
ストーリアは、どこか遠くを見るような目で続けた。
3. エルドの懸念:消えない「竜の爪」
しかし、エルドだけは一人、厳しい表情で顎に手を当てていた。
(確かに、この酒場の福引きは「装備」の範疇だ。だが……先ほど役場で見せられた、あの公式の管理リスト。あの膨大な『役割の交換記録』の中に、不気味に沈んでいたあの一行は何だ……?)
『特賞:竜の爪(交換済み/受取人不明)』
酒場の景品リストには、そんな名前はどこにもない。だが、メルディナという町が公式に「管理」している記録の中には、明らかに実戦用の武器とは毛色の違う、禍々しい名称が刻まれていたのだ。
(……竜の爪。それが何を意味し、誰が『交換』していったのか……)
その時。
――チリン、チリン、チリン、チリン!!!
「で、出ましたぁー!! 特等! 『サムライソード』ご当選です!!」
歓声の中心にいたのは、今朝出会ったばかりの、あの見習い剣士の少女だった。
「……あの子、さっきの……」
「そうですな。間違いない」
ルシアとエルドが顔を見合わせる。今朝、ルシアの剣を「ドラゴンキラー」かと尋ねてきた、ひたむきな瞳の少女だ。
「バカね。見習い剣士が、流派も使い方も違う東洋の『刀』なんて代物を持って、誰に習うっていうのよ!」
リフルの冷ややかな指摘は、ある意味で真実だった。当たってから悩むか、悩むことを承知で回すか。
それがこの街の理。
「やっぱ良いよな。ここは。不要なら変えられるんだもんな」
ルシアが思わず本音をこぼすと、ストーリアが静かに釘を刺す。
「……おそらく、特等だけは無理じゃないかしら。あの少女も、今日からあの刀と共に生きる『役割』を背負わされたのよ」
「まぁ、私たちには関係ないけどね。皆で祝福してあげましょう!」
ストーリアの明るい拍手と共に、一行は少女の方へと歩み寄る。しかしその背後で、エルドの脳裏からは、あのリストの不気味な記載――『竜の爪』の文字が消えることはなかった。
コレは一体




