第29話:境界線の邂逅。赤き瞳の調律者
静寂。
それは、嵐の去った後というよりは、時そのものが凍りついたかのような、不自然な静止だった。
「倒れた……? あんなに猛り狂っていた怪物が、一瞬で……」
ロゼリアが、信じられないものを見たという驚愕の表情で、共に死線を潜り抜けた仲間の顔を見回す。
その瞳には、安堵よりも先に、理解を超えた事象への警戒が宿っていた。
「……一体、どうなってるんだ?」
ヴァルガスが、衝撃でズレた重厚な鎧を苛立たしげに直しながら、地面に崩れ落ちた巨躯を見下ろした。
「とんでもないパワーだったぞ。俺がまともに受けて、これほど弾き飛ばされるとはな……。それを、ただの一撃で沈めるなど」
「お姉様、怪我はない!? どこか痛むところはないの!?」
リフルが、自分の煤けた服も顧みず、真っ先にロゼリアの元へ駆け寄った。
その瞳には大好きな姉への深い愛情と、状況を冷静に分析しようとする博学な令嬢としての鋭さが同居している。
「今のところは、大丈夫よ。それより……この眉間に刺さっている、矢のような、針のようなもの……。これ、何かしら」
ロゼリアの指摘に、ルシアがようやく重い口を開いた。
「……なんかいきなり、森の奥から何かが飛んできたんだ。一瞬、空気が震えたと思ったら、あいつの眉間にグサッと突き刺さってて……」
「誰か、近くにいるのでしょうな。それにしても、これほど正確に急所を射抜くとは、相当な腕の持ち主……恐るべしですな。おそらくは、高位のアーチャー系の術者でしょう」
エルドが、自身の魔力枯渇による眩暈を堪えながら、悟ったように言葉を継いだ。
世界は広いということか。ヴァルガスは真剣な眼差しで納得し、真相を確かめるべく、横たわるキメラへと一歩踏み出そうとする。
「――危ないわよ、その子」
突然、森の岩陰から染み出すように、一人の女性が姿を現した。
見慣れない、複雑な形状の弓を手にしたその女性は、燃えるような赤髪を無造作に斜めに縛り、エキゾチックな顔立ちに不敵な笑みを浮かべていた。
何より異質なのは、その赤い瞳。まるで深淵の焔が揺らめいているような、底知れない知性と狂気がそこにはあった。
「危ない……? 死んでないのね!」
リフルが、恐怖を好奇心で塗りつぶすように尋ねる。
女性は、弓を肩に担ぎ直すと、事もなげに答えた。
「そうよ。少しの間、強制的に眠らせているだけ。……理を少し書き換えて、深い夢を見せているの」
「なぜ、殺さぬ」
エルドが、司祭としての重みを持たせた言葉で問うた。
法の番人である彼にとって、目の前の女性が放つ異質な魔力は、無視できない警戒の対象だった。
「うーん、参ったなぁ……。殺生は好まないのよね。……あ、今の嘘だけど。まぁ、正確には『練習台』ってところかしら」
「練習台……。そうね、この正確すぎる打ち込み方、納得したわ。貴女、自分の力をこの魔獣で試していたのね……」
ロゼリアの言葉に、赤髪の女性――ストーリアは、楽しげに肩をすくめた。
「まぁ、そういうこと。でも、こんな辺境に人がいるなんて思わなかったから、悪いことしちゃったわね。怪我はないかしら?」
「怪我だと? この俺に、かすり傷一つもありゃしねぇぞ!ガッハッハ!」
ヴァルガスが虚勢を張って胸を叩くが、背後の部下たちは苦笑いでお互いに顔を見合わせた。明らかに満身創痍であったことは、誰の目にも明らかだったからだ。
「ところで、そこの貴方」
ストーリアの赤い瞳が、最後方に立つルシアへと向けられた。
「その禍々しい、緋色の剣は何? さっきから一度も戦おうとしないで、ただ引きずっているだけ。
それは飾りかしら、それとも……持ち主を選ぶ我儘な魔剣かしらね?」
彼女の言葉には、不敵な笑みと共に、ルシアの内面を見透かすような冷徹な響きがあった。
「……そうなんだよ。俺さ、なんか勝手に巻き込まれちゃって、何で自分がこんな重い剣を持ってここにいるのかさえ、分かってないんだわ」
ルシアが、隠し事などする余裕もなく、心底疲れ果てた様子で正直に答える。
その時。
――ズ、ズズ……。
不意に、キメラの巨躯が痙攣するように動き出した。
スリーブ・ニードルの効力が、そのあまりの狂気によって予想よりも早く弾け飛んだのだ。
だが、ロゼリアの反応は電光石火だった。
「終わらせるわ」
彼女は素早く身を翻し、華麗なる剣捌きで虚空を一閃した。
迷いのない一撃が、キメラの主頭であるライオンの首を、音もなく、しかし確実に刈り取った。
「グオオォォォォォ――……ッ!」
断末魔の叫びが、恐ろしいほどの衝撃波となって空気を揺るがすが、首を失った巨躯はやがて、崩れるようにして大地に沈んでいった。
「お、お姉様……! カッコよすぎるわ!!」
リフルが目を輝かせて歓喜の声を上げる。
その一部始終を見ていたストーリアは、ゆっくりと、そして素直に称賛の拍手を送った。
「やるねぇ、剣士さん。あんな極限状態から、これほど鮮やかなトドメを刺すなんて、キメラの首を一刀両断なんて、腕力のある剣士でも無理よ。相当の鍛錬をしたんでしょうね…」
ストーリアは弓を完全に下ろし、一行に向かって歩み寄った。
「私の名前は、ストーリア。……ちょっとした旅の途中で、理を調べているただの『観測者』よ。
さて、英雄候補さんたち。こんな結界の外で、一体何を企んでいるのか、ゆっくり聞かせてもらおうかしら?」
沈む夕日が、彼女の赤髪をさらに鮮やかに染め上げる。
ルシアたちは、この謎多き女性――ストーリアに、自分たちの身に起きた「福引」という名の不条理な宿命、そしてグレースランドから放り出された現状を、語り始めるのだった。
彼女は何者?
明日も20時予定です!




