第27話:森の試験場
その鋭い牙は、確実に獲物の喉笛を狙い、空気を切り裂いた。
巨躯から放たれる圧倒的な質量攻撃。
だが、対峙する女――ストーリアの表情には、恐怖の欠片も浮かんでいない。
彼女がこの森に足を踏み入れた理由は、ただ一つ。
己の魔道の鍛錬、そして新しく手に入れた禁忌の武器の「感覚」を調整するためである。
ストーリアは、猛り狂う三首の魔獣キメラとの間合いを、数ミリ単位の精密さで調整していく。
それは戦いというよりは、冷徹な外科手術の現場に近い。
「このくらいが、一番効率的な間合いかな……。
じゃあ、次は『呪い系』で試してみようか。
――カース・ニードル」
彼女の弓から放たれた漆黒の魔力の矢。
その鋭利な切っ先は、キメラの山羊の頭の、さらにその目の上へと深く突き刺さった。
「グォォォォォーッ!!」
凄まじい咆哮が、森の木々を震わせる。
己の誇りを、そして肉体を弄ばれたことへの殺意を剥き出しにし、キメラはストーリアへと襲いかかった。
だが、彼女は水のようにその猛攻を受け流し、冷ややかに言い放つ。
「これくらいでうるさいわよ。……テストなんだから、もっと正確に動いてくれない?」
彼女が放つ魔弾の軌道は、どんな窮地にあっても一分の狂いもない。
性格無比。それは、対象への慈悲が一切欠如しているがゆえの精密さだった。
「せっかく正確に目の上を狙ってあげたのに。ちゃんとこちらを追ってくれないと、術式の蓄積データが取れないじゃない」
次は尻尾を狙う。
だが、キメラも森の王としての意地があるのか、その刺突を素早くかわし、灼熱の火炎ブレスを吐き散らした。
「……これは少し、厄介ね」
ストーリアは眉をひそめる。
呪いの浸透速度が、予測よりも数パーセント遅い。調整が必要だ。
「呪いがあまり効いていないみたいね。魔力の根源から書き換えないとダメかしら……。
まぁいいわ、今日はこれくらいで終わりにしてあげましょう」
ストーリアは流麗な、そして人間離れした俊敏な動きでキメラから距離を取る。
一度身を隠せば、彼女の気配は森の深淵へと完全に溶け込んだ。
「この程度なら、放置しても死にはしないわね。……殺しちゃうと面倒だし、また後で『相手』をしてもらわなきゃいけないんだから。ごめんね、キメラさん?」
背後で狂乱し、周囲を破壊し尽くす怪物の咆哮を子守唄代わりに、ストーリアは確実に足跡さえ消して森の奥へと消えていった。
――その直後のことである。
「今の叫びは何!?」
リフルが、恐怖よりも好奇心を爆発させた瞳で声を上げた。
彼女にとっては、この異形の声さえも「お宝」や「未知の知識」への呼び水に過ぎない。
ロゼリアの背後から身を乗り出し、期待に満ちた声を出す。
「まさか、本物の魔獣? こんな場所で聞けるなんて、ちょっと面白そうじゃない!」
「 ……ただの魔獣じゃなさそうね。この殺気、そして大気を震わせる魔力の質。エルド様の言う通り、ここは相当な危険地帯のようだわ」
ロゼリアが剣の柄に手をかけ、周囲の木々を鋭く見据える。ヴァルガスも既にいつもの「戦士の顔」に戻り、重い盾を構えて部下たちに無言で指示を飛ばしていた。
だが、エルドは杖を握る手に力を込め、苦々しく吐き捨てた。
「お嬢様、面白いでは済みませぬぞ。……ここは危険地帯、いや、それ以上の『災厄の通り道』かもしれませぬ」
ヴァルガスの目も、歴戦の戦士のそれへと鋭く切り替わる。
静まり返ったはずの森が、にわかに波打ち始め、
森の入り口の巨木が、まるで紙細工のようになぎ倒される。
激しく揺らめく枝葉の隙間から、血の匂いを撒き散らして飛び出してきたのは――。
「グオオォォォォォン!!」
それは、ストーリアによって極限まで「苛立たされ」、呪いによって「狂わされた」三首の魔獣。
ルシアの目の前に現れたのは、本来戦うべき時期を大幅に前倒しされた、理外の死神であった。
「げえっ! なんで、いきなり本丸が出てくるんだよぉぉぉっ!!」
ルシアの絶叫が、夕焼けの空に虚しく響き渡った。
怒り狂うキメラの視界に、ちょうどいい「八つ当たり」の標的として、ルシア一行が飛び込んできた。
「総員、散れ! ヴァルガス、正面を抑えろ! ロゼリア、横から斬り込め! リフル殿はコイツには部が悪い、下がっておれ」
騎士団ヴァルガス以下5名の精鋭たちも、キメラは初めて相手にする。
「こんな殺気は初めてだ!とにかく陣形を崩すな!」
一方、その戦場から数百メートル離れた樹上では、フードを深く被ったストーリアが、足を止めてわずかに振り返っていた。
(あら……。誰か別の『標的』が来ちゃったみたいね)
彼女は一体⁈
明日も9時くらいかもしれません!




