第26話:迷い子たちの見知らぬ空の下
眩いばかりの陽光が、網膜を刺すような鋭さで一行を襲った。
地下迷宮の濃密な闇に慣れきっていた彼らにとって、それは祝福というにはあまりに暴力的で、容赦のない光の洗礼だった。
ルシアたちは、岩場の深い影に身を潜めるようにして、ただ呆然と立ち尽くしていた。
背後には、今しがた自分たちを異物のように吐き出したばかりの、歪な形状の穴が沈黙している。
まるで、巨大な怪物が食い散らかした跡のように、不気味な暗い口を開けたまま。
だが、前方から押し寄せる光景は、その背後の闇よりも遥かに、彼らの心を絶望へと沈めた。
沈みゆく夕日に赤々と、血の色よりもなお濃く染まった未知の連峰が、視界を埋め尽くしていた。
それは巨人の不揃いな歯並びのように険しく連なり、空を突き刺している。
迷宮の中に漂っていた死臭に満ちた空気は、ここにはない。
だが、代わりにそこを満たしていたのは、肺腑を刺すような刺々しい「気配」だった。
「……空気が、違うわね。淀みが、あまりにも……」
ロゼリアが、祈るように両手を天へと翳した。
その細くしなやかな指先が、目に見えない大気の流れを――この場所に渦巻く、暴力的なまでの「力」を繊細に手繰り寄せる。
孤高の剣士として、そして魔導の真髄に触れた者として研ぎ澄まされた彼女の感覚が、この場所の異常を敏感に察知していた。
「エルド様。……この辺りの魔力の澱み、ただ事ではありません。我らが聖地グレースランドのような清冽さが微塵も感じられない。
それどころか、野生の魔力の奔流が、あまりにも無防備に、剥き出しのまま大気を暴れ狂っている。
……私たちは、グレースランドからは想像もつかないほど遠い場所にいるのではないかしら」
ロゼリアの碧い瞳に、隠しきれない焦燥が宿る。
その問いに、エルドは深く、そして鉛のように重苦しく頷いた。
装飾の施された司祭の杖を地面に突き直し、沈む夕日を睨みつけるようにして、法の番人は重い口を開いた。
「いかにも。ロゼリア殿の申す通り、ここはもはや、グレースランドの加護が及ぶ地ではない……。
我らが聖地は、領土全体が古の王によって敷かれた特殊な『理』のシールドによって守られておる。
モンスターを寄せ付けぬ聖なる結界――それがいつの時代に、誰によって敷かれたものかは、もはや最古の古文書にすら記されてはおらぬがな。
だが今、我らの肌を打つのは、神の加護を失った『野蛮な世界』の風だ」
エルドの言葉が、冷たい風となって一行の背筋を吹き抜けた。
それは、自分たちがこれまで信じていた「安全」という名の天蓋から、完全に放逐されたことを意味していた。
一歩間違えば死が隣り合わせにある、剥き出しの現実が牙を剥いているのだ。
「ええっ!? せっかく地上に出られたのに、ここからまた冒険かよ……」
ルシアが、緋色の剣を杖代わりにして、その場に崩れ落ちた。
膝にくる。腕にくる。そして何より、絶望という名の重圧が、彼の脆弱な精神を押し潰そうとしていた。
彼の頭の中では、今ごろどこかの馴染みの町に戻り、清潔なベッドにダイブしているはずだったのだ。
湯気の立つ極上のコーヒーをすすり、使い古された毛布にくるまって泥のように眠る。
そんなささやかで、贅沢な平穏が、今や星の彼方へと消え去ろうとしていた。
ルシアの瞳に宿るのは、英雄の輝きではなく、ただ帰路を失った迷い子の深い混迷であった。
「そんな……! じゃあ、今夜の食事はどうなるのよ! 私、もうお腹ぺこぺこなのよ!
ベルシュタイン家の娘をこんな人気のない場所に遭難させるなんて……!
不敬罪どころか、世界の理に対する反逆罪で、教会を丸ごと訴えてやるんだから!」
リフルがぷんぷんと、煤で汚れた頬を膨らませて怒鳴るが、その勝気なお嬢様然とした声も、広大な山脈の威容に吸い込まれて虚しく消えていく。
博学な彼女だからこそ、エルドの言った「結界の外」という言葉の恐ろしさを、誰よりも肌で理解していた。
ここには、財閥の力も、福引によって決められた「安全」も、何一つ通用しない。
「がっはっは! まぁそう言うな。歩ける足があるなら、どこだって道だ。
このヴァルガス様が先頭を歩いてやるから、安心しろ!
腹が減ったら、その辺の魔物でも狩って、焚き火で焼いて食えばいいだけのことだ!」
ヴァルガスの豪快な笑いだけが、唯一の頼もしさとして岩壁に響く。
だが、現状、彼らの手元には正確な地図もなければ、保存食の袋も無惨に凹んでいる。
彼らが今手にしているのは、未知への恐怖と、一振りの「重すぎる剣」だけであった。
ロゼリアが再び、ルシアの額に刻まれた黄金の紋章を、そして彼が死守するように握りしめる緋色の剣を、射抜くような視線で見つめた。
「ルシア。……もしかしたら、この剣が、私たちを『ここ』へ呼んだのかもしれない。
グレースランドに戻るのではなく、このドラゴンスレイヤーが、最初に行くべき場所へ。
理が、私たちを、選ばれた戦場へと導いたのよ」
「勘弁してくれよ……。俺が呼びたかったのは、温かい夕飯と安眠だけなんだ。
剣の行きたい場所なんて、知ったことか。俺を置いて勝手に行けばいいだろ……」
ルシアは、まだジンジンと不気味な脈動を続ける額の紋章を抑えた。
見知らぬ土地。制御不能な魔力の奔流。そして、己の意思で空を飛ぶような「意思を持つ魔剣」。
最悪の遠足は、まだ終わりの兆しすら見せていなかった。
ルシア一行が、重い足取りで最初の一歩を踏み出した、その時だった。
ズゥゥゥゥン……。
大地そのものが悲鳴を上げるような、巨大な振動が一行の足元を突き抜けた。
遠く、黒く広がる森の奥深くから、空を、そして魂を直接掴んで震わせるような「咆哮」が響き渡った。
それは、これまで戦ってきたワーバットのような下等な魔物とは、根源的に格が違う「神話の怪物」の声だった。
ルシアの握る緋色の剣が、再びドクンと、歓喜に震えるような脈動を返してきた。
それはまるで、宿命の敵がすぐそばにいることを告げる、死の鐘の音のようでもあった。
何があった?
明日は土曜日!
9時くらいになるかもしれないです!




