第24話:垂直の凱旋。「光」の道標
静寂。
それは、暴力的なまでの沈黙だった。
ルシアが放った、あの太陽のごとき閃光の余波だろうか。
数瞬前まで回廊を埋め尽くしていたワーバットの群れは、塵一つ残さず消失し、肌を刺すような邪悪な暗闇もまた、どこかへと霧散していた。
壁面にこびりついた淡い燐光だけが、一行の行く先をぼんやりと照らしている。
誰もが言葉を失っていた。
己が振るう剣の鋭さも、培ってきた魔導の深淵も、ルシアという「特賞」が放った一撃の前では、あまりにも矮小で無価値なものに思えたからだ。
「……あ、あそこを見て。光が……漏れているわ」
重苦しい沈黙を破ったのは、ロゼリアの凛とした声だった。
彼女が指差した先――天井の一角に、直径1メートルほどの歪な穴が穿たれていた。
3メートルほど頭上。そこから差し込んでくるのは、迷宮が発する魔力的な光ではない。もっと力強く、どこか懐かしい「外の世界」の光。
「ここから出られないかしら……」
ロゼリアが独り言のように呟き、穴の縁を見上げる。
孤高の女剣士として名を馳せる彼女であっても、全身を包む騎士の重甲冑を纏ったまま、垂直に跳躍して縁に掴まるのは容易ではない。
「ちょっと、そんなの私の出番に決まってるじゃない!」
待ってましたと言わんばかりに、リフルが身を乗り出した。
その瞳は、獲物を見つけた猛獣……あるいは、最高の見せ場を前にした主役のように爛々と輝いている。
「ねぇヴァルガス、何かロープ状のもの持ってるんでしょ? ちょっと貸してくれる?」
「ああ、予備の登山用ロープがあるが……。嬢ちゃん、本当に行くのか?」
ヴァルガスが背中の巨大なザックから手際よく太いロープを取り出す。
リフルはそれをひったくるように受け取ると、不敵な笑みを浮かべた。
ベルシュタイン家の令嬢として、英才教育という名の過酷な修行を積んできた彼女にとって、これくらいの高低差は、庭の植え込みを飛び越えるのと同義だった。
「私がそこから出て、上からロープを垂らしてあげる。あんたたちは大人しく下で震えて待ってなさいよね。
……特にお姉様! 危ないから、私が安全を確保するまで無茶しちゃダメよ。わかった?」
ロゼリアへ向ける視線だけは、砂糖菓子のように甘い。
言うが早いか、リフルは強く地を蹴った。
ドォン、と重厚な踏み込みの音が回廊に響く。
重力を無視したような軽やかな跳躍。壁の僅かな突起をつま先で捉え、まるで一匹の豹が崖を駆け上がるかのような、無駄のない、そして圧倒的に美しい身のこなし。
「せーのっ!」
短く鋭い気合と共に、リフルは穴の縁に指をかけた。
そのまま、格闘家としての鍛え上げられた背筋と腕力で、懸垂の要領でひらりと体を翻す。
彼女の華奢な体が、眩い白光の中に吸い込まれるように消えていった。
「……行ったか。あのお嬢様、口だけじゃねえな。ベルシュタインの教育ってのは、伊達じゃねえってわけだ」
ヴァルガスが、額の汗を拭いながら感心したように声を漏らす。
一方で、ルシアは相変わらず、緋色の剣の柄を握りしめたまま、穴の下で呆然と立ち尽くしていた。
「……なぁ。あの穴。……俺、この剣を持ったまま上がれると思うか? どう考えても物理法則が『無理だ』って言ってるんだけど」
ルシアの切実な問いかけに、傍らのエルドが聖職者らしい穏やか(しかし、どこか空虚)な微笑を浮かべた。
「英雄殿、ご安心を。この世界の理において、不可能などという言葉は存在しませんぞ。
……そう、気合ですな! 英雄の魂が燃えれば、重力などという些末な理は容易に覆りましょう!」
「無責任すぎるだろ……! あんた、それでも法の番人かよ!」
やがて、穴の上からシュルシュルとロープが降りてきた。
「おーい! みんな上がってきて! こっち、すっごくいい景色よ! 早くお姉様に見せてあげたいんだから、もたもたしないでよね!」
地上から届くリフルの明るい声。
その声に導かれるように、一人、また一人と「日常」へと戻っていく。
ロゼリアが華麗にロープを伝い、ヴァルガスが巨体を揺らしながら登り、エルドが奇妙なほど軽快に穴の向こうへ消えていく。
最後に残されたのは、伝説の剣を抱えた、世界で一番不運で、そして忌まわしいほどに「幸運」な町人――ルシア一人だった。
彼は一度、手に持った緋色の剣を見つめ、それから真上の光を見上げた。
地上に戻れば、待っているのは平穏な町の暮らしだろうか。
それとも、あの「福引」が用意した、さらなる過酷な「役割」だろうか。
「……はぁ。帰ったら、絶対にこの剣、物置の奥底に隠してやるからな」
誰にも聞こえない独り言を吐き出し、ルシアは震える手でロープを掴んだ。
太陽の刻印が刻まれた額が、再び微かに熱を帯びたような気がした。
ルシア、どーする!
明日も20時予定です!
いつもありがとうございます!




