第18話:緋色の残響と重すぎる責任
視界を真っ白に染め上げた光の奔流が、数秒、あるいは数分かけてゆっくりと引いていく。
ルシアの鼓膜を苛んでいた鋭い耳鳴りが止み、代わりに訪れたのは、深海に沈んだかのような、重苦しいまでの静寂だった。
「……はぁ、はぁ、っ……!」
氷の床に這いつくばったまま、ロゼリアが肺の中の空気をすべて吐き出すような激しい呼吸を繰り返している。
魔力の嵐は止んだ。だが、嵐が去った後の静寂は、それ以上に不気味な気配を孕んでいた。
ルシアは、自分の右手に伝わる異常な感覚に、危うく膝をつきそうになった。
「なんだ……これ?……」
重い。
とにかく、信じられないほどに重いのだ。
今までもさまざまな冒険により、筋力はそれなりについていたはずだ。
町で一番重い鉄床を片手で持ち上げているような、あるいは山そのものを腕一本で支えているような、理不尽なまでの重量感。
「自称・冒険者」として握ってきた、どんな粗末な鉄剣とも、重さの概念が根本から異なっている。
ルシアは、痺れる腕に必死に力を込め、自分の手に握られた「それ」を凝視した。
氷の結晶から引き抜かれたその剣は、今やその「悪魔的な全貌」を冷酷なまでにさらけ出していた。
まっすぐに伸びた刃は、透き通るような、それでいて深い――まるで最高級の赤ワインを極限まで凝縮したかのような、見事な、そして禍々しい緋色に染まっている。
氷の青白い反射光を浴びたその刃は、まるでそれ自体が血液を求めて脈動しているかのようにも見えた。
そして、柄の部分。
そこには人の手によるものとは思えない、緻密で複雑な紋様が刻み込まれていた。
龍の鱗を模したのか、あるいは古代の呪言を刻んだのか。見つめているだけで精神が削り取られるような、圧倒的な「格」の差を突きつけてくる。
(……こんなもの、本当に人間が振れるのか?)
ルシアの脳裏に、絶望的な予測が浮かぶ。
どれほどの筋力があれば、この緋色の鉄塊を自在に操れるようになる? どんだけ鍛えればいいのか見当もつかない。
若輩で、寝不足で痩せぎすな自分の腕では、一生かかっても無理かもしれない。
幸運の特賞? 冗談じゃない。
これは、手にした者の人生をその重みで圧殺する、巨大な「呪い」の塊だ。
「抜いた……。あぁ、本当に、抜きおった……」
背後で、エルド司祭が震える声で呟いた。彼は跪いたまま、恍惚とした表情でルシアを見上げている。
その瞳にあるのは、もはや敬意ではなく、自分の野望を叶える「神具」を見出した狂信者の色だった。
「見ましたか、ヴァルガス殿! ロゼリア殿! ルシア殿こそが、真の……真のドラゴンスレイヤー……っ! これぞ、我が法が予言せし、救世の光ですぞ!」
「……ああ、信じられねえ。あんな細腕で、あの剣を引き抜くとはな」
ヴァルガスもまた、冷や汗を流しながら、ルシアの背中に戦慄に近い畏怖を抱いていた。
だが、ルシア本人は、そんな称賛など耳に入っていなかった。
彼の耳に届いていたのは、もっと低く、もっと哀切な――。
(――……待って……。行かないで……)
あの、小さく丸い目をしたドラゴンの子どものような声。
脳裏に直接響くその声に導かれるように、ルシアが視線を巡らせると、氷壁の大きな亀裂から、一筋の「黒い影」が音もなく滑り落ちてきた。
それは、実体を持たない煙のようでありながら、意志を感じさせる確かな質量を持っていた。
影は、ルシアが握る緋色の剣に引き寄せられるように、氷の床を這い、彼に近づいてくる。
「っ、なにっ、あれは……!」
ロゼリアがいち早く異変を察知し、ふらつく足で立ち上がった。
だが、ルシアは動けなかった。
右手にある剣が、その影の接近に呼応するように、ドクン、ドクンと激しい鼓動を刻み始めたからだ。
「ルシア、離れなさい! それは……魔物の残滓よ!」
ロゼリアの叫びが響く。
しかし、ルシアには分かっていた。この影は、自分を害そうとしているのではない。
この影こそが、この「重すぎる剣」の対になる、何か大切な存在なのだと。
影がルシアの足元に辿り着いた瞬間。
緋色の刃が、氷の世界を真紅に染め上げるほどの輝きを放った。
どうなるルシア!
明日も20時予定です。
ご期待ください!




