第17話:静寂の魔力嵐。選ばれし者の孤独
氷の祭壇が、意志を持っているかのように脈動を始めた。
ルシアの指先が、ドラゴンスレイヤーの冷徹な柄にあと数センチまで迫った、その瞬間だった。
「あああああぁ……っ!」
氷の伽藍に響き渡ったのは、凛としていたはずの、ロゼリアの悲鳴だった。
ルシアが驚いて振り返ると、そこに理解しにくい光景が広がる。
先ほどまで誰よりも鋭い気迫を放っていたロゼリアが、その場に膝をつき、愛剣ソード・オリヴィアを杖にして、激しく肩を揺らしていたのだ。
彼女の白い肌には、祭壇から溢れ出した青白い魔力の奔流が、まるで生き物のように絡みついている。
「待って……それに触れないで……っ!」
彼女の声は、もはや警告ではなく、生存本能が上げる悲鳴に近かった。
ロゼリアだけではない。続いて、ヴァルガス率いる騎士団の精鋭たちが、一人、また一人と、目に見えぬ巨大な質量に押し潰されるように氷の床に這いつくばっていく。
「な……何だ、これは……。
体が、動か……ぬ……ぬぅおおおぉぉお…」
ヴァルガスが苦悶の表情で呻く。
そして、エルド司祭もまた、その例外ではなかった。彼は法衣を魔力の嵐に激しくなびかせ、血走った目でルシアを、そして祭壇の剣を見上げた。
「……お主ら、下がれ……ッ! 全速で、この場を……離れる……のだ……!」
エルドは絞り出すような声で叫んだが、その言葉を届けられるだけの気力すら、周囲の魔力嵐に吸い取られていく。
魔力を持つ力が強く、才に溢れている者ほど、この『伝説の剣』から放たれる「拒絶の重圧」を真っ向から受け止めてしまうようだ。
法を司るエルドも、ウォーハートの血を引くロゼリアも、この空間においては、ただの「魔力の餌」に過ぎなかった。
そんな絶望的な状況の中で、ただ一人。
ルシアだけが、何の影響も受けずに、呆然と立ち尽くしていた。
「……え、みんな、どうしたんだ?」
ルシアは、自分の体を見下ろした。
重圧? 魔力嵐? そんなものは微塵も感じない。あるのは、ただ一晩中歩き通したことによる脚の怠さと、脳を痺れさせる猛烈な寒さと眠気だけだ。
(……ああ、そうか。俺、魔力なんて一滴も持ってないもんな)
皮肉なものだった。
世界に選ばれたはずの「英雄」であるルシアが、この場を歩ける唯一の理由。
それは彼が、誰よりも「無才」で「空っぽ」な人間だったからだ。
福引きで特賞を引き当てたその幸運の正体は、皮肉にも、何の力も持たないがゆえに世界の法則から1人だけ「無視」されているという、残酷な事実だった。
「ルシア、逃げて……っ。それは……それは、人が触れていい……ものでは……」
氷の床に伏したロゼリアが、必死に手を伸ばす。
彼女の完璧だったはずの表情が、恐怖と苦痛で歪んでいる。その姿を見た瞬間、ルシアの中で「眠気」を上回る、妙に醒めた感情が湧き上がった。
(苦手なんだよな、この人。完璧で、高貴で、俺とは住む世界が違って……。でも、そんな完璧な人が、あんなに震えてる)
ルシアは、再び祭壇の剣へと向き直った。
皆が動けない。自分が逃げれば、ここで全員が魔力の嵐に呑まれて死ぬ。そう直感した。
ロゼリアも、リフルも、尊大なエルドも、豪快なヴァルガスも。
「……伝説の剣、だっけか」
ルシアは独り言を漏らす。
その声は、かつて町の道具屋で「おめでとうございます!」と言われた時のように、どこか他人事のように響いた。
ルシアは迷うことなく、右手を伸ばした。
魔力の奔流がルシアの腕をすり抜け、何の抵抗も見せずにその複雑な模様の柄に指が掛かる。
氷の祭壇が激しく鳴動し、氷壁に亀裂が走る。
「ルシア殿……お主……何を……」
エルドの驚愕に満ちた呟きを背に、ルシアは全身の体重を乗せ、一気にその「鉄の塊」を引き抜こうとした。
「……さっさと抜けてくれよ。俺は、帰って寝たいんだ」
その瞬間、氷の世界が真っ白に染まった。
ルシアの脳裏に、あの「小さく丸い目のドラゴン」が、今度ははっきりと、悲しそうな声を上げて鳴くのが聞こえた。
ルシア待て!
続きは明日も20時!




