第11話:断絶の迷宮と、理の不在
ドキドキのダンジョン!
その場所は、もはや「穴」と呼べるような生易しいものではなかった。
一歩足を踏み入れるごとに、背後の入り口から差し込んでいたはずの朝日が、泥に呑み込まれるように消えていく。
外の世界の喧騒も、鳥のさえずりも、風の音さえも、厚い岩壁に遮断され、そこには「世界の終わり」だけが濃密に沈殿していた。
松明の炎が、青白く、弱々しく揺れる。
一行を包むのは、カビ臭い湿気と、耳の奥が痛くなるほどの静寂だ。だが、その静寂を破るように、ある「音」が聞こえ始めた。
――ヒタ……ヒタ……。
どこか遠くで、水滴が冷たい石の床を叩く音。
それは不規則でありながら、執拗に一行の意識を弄ぶ。どこから流れてきたのかも分からぬ滴は、やがて細い糸のような流れを作り、暗闇の奥へと吸い込まれていく。
その水音は、まるで迷宮そのものが静かに呼吸をしているかのようであった。
「……ふむ。ただの水音に過ぎませぬぞ。お主ら、何を怯えておるか」
エルドが強がりの声を上げるが、その杖を握る手は心なしか震えている。
そんな中、先頭を行くロゼリア・ウォーハートの背中だけは、微塵も揺らがない。
ソード・オリヴィアの鞘に添えられた彼女の指先は、まるで氷で作られた彫刻のように静止している。
彼女の精神は、この異質な空間に呑まれるどころか、逆に闇を切り裂く刃となって突き進んでいるのだ。
ルシアは、そんな彼女の背中を、寝不足で充血した目で見つめていた。
極限の疲労と、死の予感。それが、彼に余計なことを口走らせた。
「ねえ、エルドさん。……ふと思ったんだけどさ」
低く、掠れたルシアの声が、湿った空気に反響する。
「もし俺がここで、伝説の剣だっけを見つける前に野垂れ死んだら……その剣はどうなるんだ?」
「……な、何を申すか! ルシア殿、不吉なことを申されるな!」
エルドが露骨にうろたえ、裏返った声を上げた。
「お主が死ぬなど、断じてあってはならぬこと! お主は『理』に選ばれた特賞なのだ。それを阻止することこそ、我ら騎士団と私の使命なのですぞ!」
「いや、だから、もしもの話だよ。……理の世界ってことは、また誰かが代わりになるんだろうけど。福引きの理だって、万能じゃないだろ? 俺みたいなのが選ばれるくらいなんだからさ」
ルシアの自嘲気味な問いに、エルドは二の句が継げなくなった。
万が一、理が定めた「特賞」が失われた時、世界はどう帳尻を合わせるのか。
それは、法を司るエルドにとっても、考えるだに恐ろしい「禁忌」の領域だった。
エルドは困ったように視線を泳がせ、ただ黙り込むしかなかった。
その重苦しい沈黙を、雷のような笑い声が吹き飛ばした。
「ガッハッハッハ! 英雄殿も隅に置けんな!心配召されるな、もしアンタがくたばっちまったら、その時はこの俺が伝説の剣を引き抜いて、竜の首を叩き落としてやるよ!」
騎士団長ヴァルガスが、ルシアの肩を砕かんばかりの勢いで叩く。
「い、いてぇよ、ヴァルガス、剣引き抜く前に、腕壊れるわ!」
豪快すぎる笑い声が迷宮の奥までこだまし、騎士たちの緊張がわずかに緩む。
だが、その笑い声さえも、どこか「作り物」のように空虚に響くほど、この場所の異質さは深まっていた。
ルシアは痛む肩をさすりながら、前方のロゼリアを見た。
彼女は振り返りもしない。ただ、その歩調がわずかに速まったように見えたのは、ヴァルガスの無礼な言葉への不快感か、あるいは――。
ふいに、ロゼリアの足が止まった。
彼女が掲げる松明の炎が、大きく左右に割れる。
「……みんな止まって。道が、分かれているわ」
ロゼリアの声は、短く、そして鋭かった。
松明に照らし出された先には、三つの巨大な空洞が、闇の深淵へと続いていた。地図にはない、記録にもない、未知の分岐点。
エルドが震える手で古びた羊皮紙を広げるが、そこには何も記されていない。
迷宮は、ついにその牙を剥き始めた。
「待たれよ……これは、お主、ルシア殿! 英雄としての『直感』で選ぶのですぞ。理に選ばれた者の目には、正しき道が見えているはず!」
エルドは、自分では責任を取りきれない判断を、すぐさまルシアに放り投げた。
ルシアは、三つの暗い穴を見つめた。
どれもカビ臭く、死の匂いがする。眠気で霞む頭の中で、彼はふとポケットの中の「運のタネ」に触れた。
(……直感? そんなもん、あるわけないだろ。
……俺が選んだら、一番最悪な道に決まってる)
だが、全員の視線が、血走ったルシアの目に集まっていた。
彼の一言が、一行を栄光へ導くのか、あるいは絶望へと叩き落とすのか。
ルシアは覚悟を決め、適当に指をさそうとした
――その時、一番左の穴から、さらなる「異質な音」が聞こえてきた。
ルシアどっちを選ぶのか?
続きは明日20時!




