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フェーズ5:暮れの六つ

いまのところ、記録には残すべき話はあまりなさそうなので、視点をまた京に戻す。


二条邸。06:00PM。


関白・二条斉敬は、慶喜の横顔を盗み見るように一瞥いちべつし、軽く咳払いを入れてから口を開いた。

「一橋殿、立ち聞きする気はなかったのやが、会津に安請け合いなさいましたな。そなたには切迫感が欠けておじゃる」

慶喜はその苦言を一笑に付した。

「尾張と会津の綱引きに我らが一喜一憂する必要もございますまい。容保の説得が不調に終われば諸侯に頼るもよし、その逆もまた然り」

二条関白は、胸の内にむくむくと首をもたげる「これでよいのか」という疑念を無理やり押し込め、その理屈にすがった。

「な…なるほどのう…では明日の評議では『会津を是とするが、尾張の顔も立てる』という方向で…しかるべく」

慶喜は初めてにこりと微笑んだ。

「ではそのように」

座の脇で控えていた正親町三条実愛おおぎまちさんじょうさねなるは、無表情のまま、机上の議事録を手に取り、徒労に終わった一日を呪いつつ、綺麗に体裁の整えられた議事録をくるくると巻きとった。



会津藩邸、金戒光明寺こんかいこうみょうじ。07:00PM。

会津藩公用人あいづはんこうようにん野村左兵衛は藩邸に戻ると、着替えもそこそこに筆を執った。

行灯あんどんの火に照らされたその顔は、勝利の確信に上気している。

「フハハハ!してやったり!!!よおし!いいぞお!」

野村は筆を走らせながらほくそ笑んだ。

「『二十日の猶予ゆうよを得たり』わしの働きで天下が動くかもしれん。明日、三条実愛様にも念押しをしておかねば」


後世に遺された正親町三条実愛おおぎまちさんじょうさねなるの日記には、この日の出来事を「野村が来て時勢を語った」と簡潔に記されているのみである。



さて。

それでは新選組の方も一応どうなったか見ておこう。



壬生、新選組屯所。08:00PM。

「なんだあ、そういうことだったのかあ」

「ビビッて損しちゃったよーー」

火鉢を囲む隊士たちが、互いに顔を見合わせて肩をすくめている。

つい先刻まで、先陣を押し付けあっていたとは思えない手のひら返し様であった。

「なんかまた、ほら?ヤバいひとかと思っちゃったし」

「聞けば、ね?納得というか」

「事情が事情なだけに」

「ありゃ、しょうがないスよね。ああなりますよね」

ようやく血色の戻った原田左之助が、威厳を取り繕うように岸嶋の背中を叩いた。

「ホントだよ、だいたいお前たちも騒ぎすぎだぞ!」

「すんません。なんか俺、テンパっちゃって」

「そりゃねえ?いきなりあれ見たら誰だって…」

「あははは。けどまあ、よかったよかった」


…どうやら少し目を離しているうちに解決したらしい。


注:この一件は、昭和二十年代に「新撰組始末記」の著者子母澤寛氏が行った取材記録にも触れられているが、採用には至らなかったようである。



江戸、赤坂本氷川坂下あかさかもとひかわざかした。21:00PM。

行灯の灯りが二人の影を長く伸ばす。

「一橋公は、なしてこげんもコロコロと心を変えらるっとでございもそうか」

柴山良助が、腑に落ちないといった面持ちで口を開いた。

京から届く慶喜の動静は、朝と夕でさえ食い違っている。

勝は火鉢の灰を火箸でいじりながら笑った。

「別にどっちでもいいからだろ」

「は?」

「笑えるじゃねえか。要するに、だ。朝廷と幕府、主導権争いをしているように見えて、その実どちらも矢面に立ちたくねえってこった。

なんせ、対外政策には一番前のめりだった長州をみんなして都から追い出しちまったんだからさ。

内心では皆、今の日の本が列強に伍する力などないと見限っちまってる。それが何よりの証拠だろ?」

辛辣しんらつごわすなあ」

「つまり慶喜は様子を伺ってやがんのさ。皆がどうにも引っ込みのつかなくなっちまったところで落とし所を示してやりゃ、エサに飛びつくだろう。ってな」

「うがち過ぎではあいもはんか?」

「どうかね?ま、それも―もう遅くなけりゃいいがな」

勝はそう言って一方的に話を打ち切ると、ごろりと横になった。



歴史がつくられない夜もある。

いや、そのほとんどは、ただの夜に過ぎない。


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