フェーズ4:昼の九つ
---もう少々おまちください----
二条邸。02:00PM。
二条邸の広間に、ようやく中川宮からの使者が平伏した。
「中川宮様より返信を言付かって参りました。『尾張の提案は退け、会津公に託すのがよろしいでしょう』というのが中川宮様のお考えにございます」
「…ずいぶんと素っ気ないのう」
二条は不満げに眉を寄せ、一橋慶喜を振り返った。
「貴公はどう思われる?」
「そう言う考え方もございますなあ」
二条はついに堪り兼ねたように膝を叩いた。
「あーイライラするのう!いい加減旗色を明らかになされよ!」
「とはいえ、最終的にお決めになるのは帝ですからなあ。私のような者が、ここで軽々しく口を開くわけにも参りますまい」
慶喜は二条の焦燥をあざ笑うかのような優雅な所作で、庭の方へと目を向けた。
「……少々、議論にも疲れました。外で風に当たって参ります。続きは、頭が冷えてからにいたしましょう」
そう言い残すと、止める間もなく、悠々と部屋を辞した。
と、ここでまた会津藩公用人、野村の視点に切り替えよう。
03:00PM。
公家屋敷のトイレを借りて、見たこともない漆塗りの「清筥」という名のおまるに苦戦し尽くした野村は、ようやく震える膝を抱えて母屋へと戻ってきた。
野村は、回廊の向こうから歩いてくる人影に目を見張った。
「あ・いた!」
一橋家の家紋、葵の紋を背負い、退屈そうに空を仰いでいる男。
「慶喜公! 慶喜公ではございませぬか!」
野村は腹の痛みも忘れ、なりふり構わず駆け寄った。
「一刻を争う大事にございます。少々!…少々、お時間をいただけませぬか!」
歩みを止めた慶喜は、まるでうるさいハエのように野村を見下ろすと、長いため息をついた。
「…申してみい。手短にな」
「二十日! 我々に二十日の猶予をくだされ! さすれば我が殿(松平容保)が必ずや、将軍を連れて戻ります!」
数秒の沈黙が、野村には永遠のようにも感じられた。
「…二十日か。んーそうねえ。それくらいなら」
野村は、感涙にむせびながら何度も畳に額を擦りつけた。
「あ、ありがとうございます!ありがとうございます!」
壬生、新選組屯所。15:00。
「どうしよう…さっき小便の帰りに覗いたら、なんかブツブツ言ってんすけど」
岸嶋が顔を引きつらせて戻ってくると、原田左之助は腕を組み、盛大に舌打ちをした。
「結局見に行ったんじゃねえかよ、バカヤロウ!だったら、追い払って来いよ」
「ヤですよ!あんなのどう見たってヤバいヤツじゃないスか!」
「相手は丸腰どころか素っ裸なんだぞ?どこがどう危ないんだ?!」
「じゃ原田さんが行けばいいでしょ!」
原田は、隊士たちの視線を感じた。
これ以上断れば、「死に損ねの左之助」の名に傷がつく。と思ったかどうか。
「わかった!じゃあ一緒にだ。これ以上は譲れんからな」
原田は妥協案を提示して、腰の引けた岸嶋と恐る恐る表門の方へと近づいていった。
しかし。
「うわああ!さっきよりちょっと近づいてる!」
「きゃー!!」
岸嶋の悲鳴に釣られて原田の腰も砕け、二人は這いながら撤退した。
…下らなさすぎるので、視点を変えよう。
江戸、赤坂本氷川坂下の勝邸。05:00PM。
西の空が血のような茜色に染まっている。
勝は机に向かい、何かを書き散らしている。
「今さら京で何が決まろうが、幕府には兵を動かす金なんざもう残っちゃいねえよ。そもそも幕府に自ら事を起こす気概があんなら、天狗党だって端っから攘夷決行を迫ったりしねえだろ」
柴山良助が、その冷酷な見立てにゴクリと唾を飲み込んだ。
「…ちゅうことは、水戸の者共ぁ無駄死にでございもすか」
勝は鼻で笑った。
「は!無駄かどうかは知らんがね」




