第2話⑥
「――そこまで」
張り詰めた空気を切ったのは、生徒会の先輩の声だった。
「ここは君たちの喧嘩のための場じゃない。選挙の説明は以上です」
別の先輩が、私に突っかかった男子生徒の方を見る。
「君、後で職員室に来てください」
男子生徒は一瞬だけ不満そうな顔をしたけど、何も言い返さなかった。
教室の空気が、ゆっくりと元に戻っていく。
視線が外れ、椅子が軋む音が戻る。
さっきまでの睨み合いが、嘘みたいだった。
詩友くんは、もう何事もなかったかのように席に戻っている。
……でも。
さっきの横顔が、頭から離れない。
怒っていた。
はっきりと、私のために。
説明がすべて終わり、立候補者たちは解散になった。
廊下に出ると、自然と詩友くんの姿を探してしまう。
すると――
「詩友くん」
聞き覚えのある、落ち着いた声。
生徒会長。
佐藤玲奈先輩だった。
長い髪をひとつにまとめた、凛とした雰囲気の人。
詩友くんは、驚いた様子もなく、普通に話している。
「さっきの、ありがとう」
玲奈先輩がそう言うと、詩友くんは肩をすくめた。
「当然のことですよ」
そのやり取りが、やけに自然で。
前から知り合いみたいな距離感で。
胸の奥が、きゅっとする。
……なんでだろう。
私はその場に近づかず、足早に廊下を曲がった。
教室に戻ると、ちょうど佳苗と垣端くんがいた。
「お、戻ってきた」
「どうだった?」
私は、鞄を置くなり、二人に向き直る。
「聞いてほしい」
声が、少し大きくなった。
「さっきね、立候補者集められて――」
男子生徒に言われたこと。
馬鹿にするような言い方。
胸が冷たくなったこと。
「でね」
息を吸って、続ける。
「詩友くんが、怒ってくれた」
「おお」
垣端くんが、目を見開く。
「詩友が?」
「静かだけど、めちゃくちゃ怖かった」
「それは相手が悪いな」
佳苗が、短く言う。
私は、少しだけ笑った。
「……ちょっと、嬉しかった」
そう言ったあと、言葉が続かなくなる。
佳苗が、私の表情の変化に気づいた。
「でも?」
「……そのあと」
声が、少しだけ落ちる。
「詩友くん、生徒会長の先輩と話してた」
「佐藤先輩?」
垣端くんが言う。
「そう」
「へえ、榊、前から目つけられてたしな」
その言葉に、胸がざわっとする。
「……すごく、親しそうだった」
自分でも、何を言ってるんだろうと思う。
でも、止まらなかった。
「なんか、私の知らないところで、普通に話してて」
佳苗は、少しだけ考えるように視線を落とした。
「それで、不安になった?」
「……うん」
正直に答える。
嫉妬なのか、置いていかれた気持ちなのか、分からない。
ただ、胸の奥に小さな影が残っている。
「まあ」
垣端くんが、軽く言う。
「生徒会長だし、話す機会は多いだろ」
「……そうだよね」
分かってる。
頭では。
でも。
私は、自分の机に座って、窓の外を見る。
詩友くんが怒ってくれたことは、確かに嬉しかった。
それなのに――
どうして、こんな気持ちが残るんだろう。
胸の奥の不安は、まだ小さい。
でも、確かにそこにあった。




