第2話④
朝の教室は、いつもより少しだけざわついていた。
席に着いた瞬間、気づく。
――見られている。
ひそひそとした声。
私の名前。
「生徒会」「立候補」という言葉。
分かっていたことなのに、胸の奥がきゅっと縮んだ。
ノートを開こうとして、指が少しだけ止まる。
大丈夫。
今は、大丈夫なはず。
そう思おうとした瞬間、
ふっと、嫌な感覚がよみがえった。
理由もなく笑われたこと。
視線が集まるたびに、息がしづらくなったこと。
教室にいるのに、どこにも居場所がなかった、あの感じ。
具体的な場面は、思い出さない。
でも、身体だけが覚えている。
「……っ」
小さく息を吸う。
そのとき。
「樋口さん!」
前の席の女子が、くるっと振り返った。
「生徒会立候補したんだって?すごいね!」
「え、あ……」
「総務でしょ?向いてると思う!」
別の子も、会話に混ざる。
「榊くんと一緒なんだよね」
「あの二人なら安心だわ」
次々と、言葉がかけられる。
「応援してるよ」
「頑張ってね」
「演説、楽しみにしてる!」
……あれ?
思っていた反応と、全然違う。
怖さより先に、戸惑いが来た。
「……ありがとう」
そう答えると、みんな自然に笑って、元の会話に戻っていく。
特別扱いも、好奇の視線もない。
ただ、同じクラスメイトとしての距離。
胸の奥に残っていた重たいものが、少しだけ軽くなった。
休み時間。
詩友くんが、私の席の横に立つ。
「樋口」
「ん?」
「周り、うるさくないか」
心配している、というより、事実確認みたいな声。
「…大丈夫」
本当だった。
「むしろ、応援してもらってる」
「そうか」
それだけ言って、詩友くんは自分の席に戻る。
その背中を見て、私は思う。
今の私は、一人じゃない。
放課後。
生徒会室へ向かう廊下を、詩友くんと並んで歩く。
原稿は、ちゃんとファイルに挟んである。
「緊張してる?」
私が聞くと、詩友くんは少しだけ考えてから答えた。
「多少は」
「意外だな」
「それなりに人前は慣れてるつもりだったんだが」
剣道の試合の話だろうか、と思う。
生徒会室の前で、足を止める。
一瞬だけ、沈黙。
「……樋口」
詩友くんが、こちらを見る。
「頑張ろう」
「……うん!」
私も、詩友くんを見る。
「詩友くんも」
ドアをノックして、原稿を提出する。
それだけのことなのに、心臓が少し速く打っていた。
廊下に戻ると、緊張がほどけて、自然と息が出る。
「終わったね。」
「ああ」
「なんだか……思ってたより、怖くなかったかも」
詩友くんは、少しだけ驚いた顔をしてから、頷いた。
「今のクラス、いいやつ多いからな」
その言葉に、私は小さく笑った。
本当に、そうだ。
昔の記憶は、まだ胸の奥に残っている。
でも、それは“今”を壊すものじゃない。
今の私は、ここに立っている。
詩友くんと並んで、前を向いて。




