第13話②
文化祭準備が本格化してから、時間の流れが一気に変わった。
生徒会は生徒会で企画調整に追われ、
クラスはクラスで出し物の準備が佳境に入る。
気づけば、詩友と一緒に帰ったあの日から、
ちゃんと二人で話せた時間はほとんどなかった。
廊下ですれ違えば目が合う。
手を振るほどでもなく、声をかける余裕もなく、
ただ一瞬、視線だけで「お疲れ」「無理するなよ」をやり取りする。
それだけで、少し救われる自分がいた。
――でも、その日は違った。
放課後、校舎の一角がざわついているのに気づいたのは、
生徒会室で資料をまとめていたときだった。
「なに、今の音……?」
誰かの声がして、次の瞬間。
「誰か来て! 怪我人!」
廊下に飛び出すと、人だかりの中心に、
床に座り込んだ女子生徒が見えた。
御手洗圭。
同じクラスの子だ。
顔色が悪く、足を押さえている。
周囲には、倒れた脚立と、散乱した装飾資材。
「救急車、もう呼んだ!」
誰かの声がして、空気が一気に張り詰める。
私は息を詰めて、その輪の外側を見た。
――詩友。
少し離れたところに立ったまま、動けずにいた。
顔が、真っ青だった。
「……俺が」
かすれた声が聞こえた。
「俺が、支えきれなかった」
脚立の上で作業していた圭を、
下で支えていたのが詩友だったらしい。
ほんの一瞬のズレ。
それだけで、圭はバランスを崩して落ちた。
「俺がちゃんと見ていれば……」
誰かが「事故だよ」と言っても、
「気にするな」と声をかけても、
詩友はそれを一切受け取らない。
肩が、微かに震えている。
サイレンの音が近づいてきて、
救急隊が到着し、圭が担架で運ばれていく。
その光景を、詩友は最後まで見ていなかった。
視線は床に落ちたまま。
――まずい。
私はそう直感した。
剣道大会で負けたときより、
足を怪我したときより、
今の詩友の方が、ずっと危うい。
「詩友」
呼びかけても、反応がない。
「詩友!」
もう一度、少し強く言うと、
やっと、ゆっくり顔を上げた。
その目にあったのは、
怒りでも焦りでもなく、
ただひたすらな後悔だった。
「……瑞姫」
「一旦、座ろ」
私はそう言って、彼の袖を掴む。
詩友は抵抗しなかった。
力が抜けたみたいに、素直に従う。
廊下の端、壁際に並んで座る。
「俺のせいだ」
ぽつり、と落ちた言葉。
「圭が怪我したのは」
「詩友」
遮るように名前を呼ぶ。
「まだ、分からないでしょ」
「でも」
「“でも”は後」
私は、詩友の前に立って、視線を合わせた。
「今は、詩友が一人で抱える時間じゃない」
詩友の唇が、かすかに震える。
「……俺」
声が詰まる。
「人を怪我させたかもしれないのに、
文化祭なんて、楽しんでいいのか分からない」
その言葉が、胸に刺さった。
真面目で、不器用で、
責任感が強すぎる彼らしい。
「詩友」
私は一度、深呼吸してから言った。
「圭のこと、心配するのは当然。
でも、詩友が全部背負う必要はない」
「……」
「事故が起きた瞬間に、詩友は逃げなかった。
ちゃんと、向き合ってた」
詩友は、何も言わない。
でも、少しだけ顔が上がった。
「今は」
私は静かに続ける。
「圭が無事でいることを祈って、
先生たちの判断を待とう」
そして、ほんの少し声を和らげる。
「……一人には、ならないから」
その瞬間。
詩友の指が、私の袖を掴んだ。
子どもみたいに、ぎゅっと。
「……ありがとう」
小さくて、弱い声。
文化祭の準備は、止まらない。
校内のざわめきも、消えない。
でもその日、私ははっきり分かった。
この忙しさの中で、
詩友はまた一つ、大きな不安に飲み込まれかけている。
――今度は、私が離れない番だった




