第3話⑧
始業前の教室は、まだ半分くらい眠っていた。
カーテン越しの朝の光と、まばらな話し声。
私は自分の席に座ったまま、机に突っ伏しそうになるのをこらえていた。
「で?」
前の席に腰かけた垣端くんが、にやっと笑う。
「続きは?」
「まだ何も言ってないんだけど……」
その横で、佳苗が腕を組んでこっちを見ている。
「瑞姫、昨日の放課後、何かあったんでしょ」
「……あのね」
声をひそめて、二人に顔を寄せる。
「詩友くんが、私のこと……名前で呼んだ」
一拍。
「「は?」」
二人の声が、きれいに重なった。
「名前って、下の?」
「そう」
「呼び捨て?」
「う、うん……」
言いながら、頬がじわっと熱くなる。
「しかも、何回も」
垣端くんが目を見開いた。
「え、やばくない?」
「やばいね」
佳苗は即答だった。
「それ、かなり進展してると思う」
「ほ、ほんと?」
佳苗にすがる。
「うん。あの榊がだよ?」
垣端くんが大げさに肩をすくめる。
「あいつ、基本距離取るタイプじゃん」
「そうだよね……?」
昨日のことを思い出す。
照れた顔。
区切って呼ばれた名前。
胸の奥が、少しだけ浮く。
「で、瑞姫はどうしたの」
「どうしたって……」
「嬉しかった?」
佳苗の質問は、容赦がない。
「……うん」
小さく頷くと、二人が顔を見合わせた。
「それさ」
垣端くんが、指を一本立てる。
「もう少しで落とせるんじゃない?」
その言葉に、心臓が跳ねた。
「お、落とすって……」
「だって、名前呼びは境界線越えてるでしょ」
佳苗が冷静に言う。
「瑞姫に対して、特別な意識はもうある」
「恋じゃなくても、ね」
「……そっか」
胸の中に、ふわっとした何かが広がる。
期待しすぎるのはよくないって、わかってる。
でも。
「……もうちょっと、頑張ってもいいかな」
そう言うと、
「もちろん」
「今さら引く理由ないでしょ」
二人が即答した。
ちょうどそのとき、廊下が少し騒がしくなる。
登校してくる生徒が増えてきたみたいだ。
私はそっと前を向いた。
もう少しで。
もしかしたら、本当に。
そんな希望を、胸の奥で大事に抱えたまま。




