番外編④
家に着いて、靴を脱いだところで、ようやく息を吐いた。
……なんなんだ、今日は。
頭の中に浮かぶのは、教室での瑞姫の顔ばかりだ。
泣いた顔とか、笑った顔とか――そういうのじゃない。
「……名前」
無意識に呟いて、自分で眉をひそめる。
瑞姫に
「もう名前では呼んでくれないの?」
そう言われただけだ。
それだけなのに。
どうして、あんなに顔が熱くなったんだ。
別に、特別な意味なんてない。
恋とか、そういうのでもない。
瑞姫は、生徒会の仲間で。
剣道部のマネージャーで。
俺を、ちゃんと見てくれるやつで。
それだけだ。
なのに。
「瑞姫」って呼んだ瞬間、
胸の奥が変に跳ねて、喉が乾いた。
名前を呼ぶだけだろ。
それ以上でも、それ以下でもないはずなのに。
「……意味わかんね」
そう呟いて、壁に頭を軽く預ける。
呼び方なんて、ただの音だ。
樋口でも、瑞姫でも、同じはずだ。
それなのに、
明日も練習な、って言ったとき。
「み・ず・き」
わざわざ区切って呼んだ自分を思い出して、
また少し、顔が熱くなった。
……おかしい。
別に、恋してるわけじゃない。
そんな自覚は、どこにもない。
ただ。
名前を呼んだだけで、
あんな反応になる理由が、自分でもわからない。
詩友は天井を見上げて、静かに目を閉じた。
考えても答えは出ないまま、
胸の奥に、引っかかる感覚だけが残っていた。




