第3話③
剣道場の空気が、いつもより少し重かった。
重要な大会を控え、レギュラー発表があった。これまで、一年生ながら中堅を務め、要となってチームを引っ張ってきた。そんな彼が今回も中堅に選ばれるのは当然だと、誰もが信じ込んでいた。
そうして発表の時。監督がエントリー表をもって前に立つ。
「稽古の時間は削りたくない。手短にいく。
先鋒 齋藤
次鋒………榊
その瞬間、時間が止まったように感じた。ざわつきすらない。誰もが呆然としていた。
それでも監督は、何らかまわず続ける。
中堅 神谷
副将 堀田
大将 君嶋
以上。自分のポジションを意識し、集中して稽古に取り組むように。」
そんな言葉を残し、監督はエントリーのため道場を去る。
次鋒が劣っているポジションなわけではない。ただこれまでうちの学園では、次鋒というのは経験の浅い選手や、欠席が出た時入る補欠の選手がはいるポジションだった。つまり、我が学園に限れば、次鋒というのはチームで一番力不足と判断された選手が入るポジションだった。
どんなに動揺していても、稽古は怠れない。誰もが真剣に稽古に打ち込んだ。
稽古の終了を告げる太鼓の音が響いた。
壁際に立てかけられた竹刀の列の前で、詩友は黙って座っている。防具はもう外しているのに、立ち上がる気配がなかった。
「……次鋒、か」
ぽつりと落ちた声は、私に向けられたものじゃない。
なのに、胸の奥がきゅっと縮んだ。
「中堅じゃ、頼りないってことだろ」
「――」
何か言わなきゃ、って思うのに、言葉が出てこない。
大丈夫だよ、とか。
詩友くんならできる、とか。
どれも、今の詩友くんには届かない気がして。
「どうせ俺は、器用でもないしさ」
詩友くんは笑おうとして、うまくいかなかった。
「前で目立つやつのほうが、向いてるんだよ。俺は……空いたところに置かれるだけ」
胸が、ざわっとした。
昔、同じような空気を吸ったことがある気がして。
「詩友くん」
名前を呼んでも、彼は顔を上げない。
「俺が次鋒でも、勝ち負けは変わんないだろ」
その瞬間、頭の中が真っ白になった。
考えるより先に、声が出ていた。
「……いい加減にしてよ」
自分の声が、思ったより強くて、びっくりする。
詩友くんが、はっと顔を上げた。
「そんな言い方、ないでしょ」
心臓が早鐘みたいに鳴っている。
でも、止まらなかった。
「次鋒だから何? 中堅じゃないから価値がないってこと?」
「樋口……」
「自分で自分のこと、そんなふうに言わないで」
声が少し震えているのがわかる。
でも、目は逸らさなかった。
「詩友くんがどれだけ真面目に剣道やってきたか、私は知ってる」
「……」
「それを、そんなふうに投げるみたいに言うの、嫌」
沈黙が落ちる。
剣道場に響く他の部員たちの話し声が、やけに遠くに聞こえた。
詩友くんはしばらく何も言わなかった。
ただ、床を見つめていて。
それから、ゆっくり立ち上がった。
「……ごめん」
短い一言。
でも、さっきまでとは違う声だった。
「俺、逃げてた」
詩友くんは私を見る。
真正面から。
「次鋒でも、やることは変わらないよな」
ぎゅっと拳を握る。
「ちゃんと勝って、見返す」
一瞬、言葉に詰まったみたいに唇を噛んでから。
「……言ってくれて、ありがとう」
胸が、どくん、と大きく鳴った。
「え、いや、私は……」
そこまで言って、急に全部が現実味を帯びてくる。
怒鳴った。
詩友くんに。
人生で初めて。
顔が一気に熱くなった。
「……じゃ、私、行くね!」
自分でもびっくりするくらい早口で言って、防具置き場のほうへ逃げる。
「樋口」
呼ばれたけど、振り返れなかった。
剣道場を出て、廊下に出た瞬間、肺いっぱいに空気を吸い込む。
心臓が、まだうるさい。
何が起きたのか、うまく整理できない。
ただ、詩友くんの目が、さっきまでとは違っていたことだけは、はっきり覚えていた。
私はそのまま、少し早足で校舎の奥へ向かった。
振り返らずに。




