第2話⑪
選挙当日。
朝から胸の奥が、そわそわして落ち着かなかった。
制服に袖を通して、鏡の前に立っても、なんだか現実感がない。
――本当に、私が。
総務の立候補者として、演説する日。
廊下を歩いていると、視線を感じる。
応援の言葉も増えたけど、それでも心臓は正直だった。
「緊張してる?」
声をかけてきたのは、玲奈先輩だった。
生徒会室の前。
いつもの余裕のある笑顔で、私を見下ろしている。
「……してます」
正直に答えると、玲奈先輩はくすっと笑った。
「大丈夫。樋口さんは、ちゃんと前を向いて話せる」
「それに」
少し声を落として、耳元で言う。
「今日は味方が多い日だから」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
控室に入ると、詩友くんもいた。
椅子に座って、腕を組んで、いつも通り無表情。
……なのに。
「樋口」
名前を呼ばれて、顔を上げる。
「緊張してるだろ」
断定。
「……まあ、ちょっと」
「だろうな」
それだけ言って、少し間を置いてから。
「でも、原稿通りでいい」
「余計なこと考えると、噛む」
相変わらず、言い方は不器用。
でも。
「樋口は、ちゃんと準備してきた」
その一言で、胸の奥が温かくなった。
「……ありがと」
詩友くんは、ふっと視線を逸らした。
演説は、あっという間だった。
壇上に立つと、思ったよりも静かで。
原稿を読む声が、体育館に響いていく。
みんなの顔を、ちゃんと見られた。
最後まで、噛まずに話せた。
席に戻るとき、足が少し震えていたけど、どこか達成感もあった。
放課後。
昇降口で、玲奈先輩がわざとらしく腕時計を見る。
「じゃ、私はちょっと用事」
そう言って、にやっと笑う。
「二人で帰りな」
有無を言わせない感じで、去っていった。
……仕向けたな。
詩友くんと、並んで歩く。
夕方の風が、少し冷たい。
無言。
気まずいわけじゃないけど、何を話せばいいか分からない。
しばらく歩いたところで。
「……コンビニ、寄らないか」
詩友くんが言った。
「え?」
思わず、声が裏返る。
詩友くんから、寄り道の提案なんて、珍しすぎる。
「別に、用事があるならいい」
「い、行く」
即答だった。
コンビニの明るい照明が、少し眩しい。
アイスコーナーの前で、詩友くんが立ち止まる。
「……好きなの、選べ」
「え?」
「今日、頑張ったご褒美。奢る」
一瞬、言葉を失った。
「……ありがとう」
迷った末に、無難なアイスを取る。
会計を済ませて、店の外へ。
「はい」
詩友くんにアイスを渡されて、私は思い出した。
「それ、詩友くんもでしょ」
財布を出す。
「私も奢る」
「いや――」
「いいから」
詩友くんは、少し考えてから、同じようなアイスを取った。
二人で、並んで歩きながら、アイスを食べる。
夕焼けが、道をオレンジ色に染めている。
「……明日だな」
詩友くんが言う。
「結果発表」
「うん。楽しみだな」
そう言うと、詩友くんは少し驚いた顔をした。
「不安じゃないのか」
「不安もあるけど」
「でも、ここまで来たから」
正直な気持ちだった。
「……そうだな」
角を曲がるところで、足を止める。
「じゃ、また明日」
「うん。また明日」
別れて歩き出してから、気づく。
胸の中にあるのは、不安よりも、期待だった。
明日が、少し楽しみだと思えている自分に。




