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cats fly high!  作者: 羽美
第二章
8/30

二〇二三年三月二日 その2


『自ら楽園を去る事で、私は楽園の崩壊を回避したーーー。』


 後に大樹は非常に悲痛な文面でこの時の心情をレポートに綴っている。


 とはいえ、その後二人は二度と顔を合わせませんでした、などと現実にありふれた結末ではこの物語は終わらない。それならば少年の名誉のため、この記録を歴史から抹消してやるのが幸福というものだ。


 僅差で理性に勝利を譲った大樹は、本能に出し抜かれる隙も与えず、猛虎の勢いで彼方邸を飛び出し、付近のインターネットカフェに飛び込んだ。


 インターネットカフェは個室完備で、時間帯もあり、人の気配が少なかった。大樹は一等高い部屋を値段も見ずに選ぶとすぐさまシャワールームへと飛び込み、三度賢者を召喚した後に静かに春の著「友へ」へと頭を垂れた。


 通りがかった店員は一瞬立ち止まったが、すぐにその場を離れた。賢明な判断である。


 やはり情報というものは、その情報が動き回っている時代が最も適当であるため、ユキが設備のパソコンを駆使し、電車の乗り方とホテルの宿泊方法を概ね把握した。


 大樹はその間に階下へと降り、いかにも鬱々としていそうなタイトルのコミックスを二、三冊引っ掴むと熟読し、落涙につぐ落涙をしてしっかりと気分をリフレッシュした。


 目元の腫れた大樹を見て、店員は気の毒そうに空を仰いでいた。恐らく失恋の類を想起していたと思われる。


 そうやって心身の穢れをさっぱりと浄化しインターネットカフェを出た後、再び魔が差す隙も与えずにユキの勧めるビジネスホテルの予約を取り、昨夜の筋肉隆々の紳士によく似た中年の男に化けて店員の審査を通過した。これらを終えたのは午後十五時半ばも過ぎた頃であった。


「今日中に拠点の確保ができてよかったよ。流石だぜ、相棒」


『いつになく色々と奔放でございましたね』


「そうか? ただ集中してただけなんだけど。おかげでお腹ぺこぺこだ」


『インターネットカフェでサンドイッチを二つ召し上がっておられましたが」


「全然覚えてないぞ。せっかくの過去初の外食なのになんか勿体ないな」


『マスターは一つの事に一直線ですから』


「おかげさまで一夜漬けが滅茶苦茶効果的だ」


『そこを誇るからマスターはマスターなのですよ』


「そうとも。どんなに努力しても数学と物理は俺に微笑まない」


『……その件に関しては、これ以上何も申し上げないことにします。ですがマスター、一つだけ』


 ユキはだらだらと宮ノ一中央駅の外周を十三回も回り切った主の目の前に文字通り進み出た。


『それで、これからどうなさるおつもりですか』


 そう。本人的に決死の覚悟で様々な事を行ったつもりではあるが、現状は彼方春のために家を出た。ただそれだけだった。行き当たりばったりで、今後の見通しが全く立っていない。


『色々とやりたい事があるとおっしゃられていましたが、同じ場所を歩き回るばかりで一向にやりたい事に辿り着いていません』


 レンズに映る自分のしょぼくれた顔から、大樹はふいと首を回した。


『彼方春に関することでしたね。もう欲は十分発露されたのでしょうから、会いに行くのは特に問題がないと思いますが、今度は何に怯えているのです? どうせマスターは何もできませんよ』


「お前からそういう事言われると一番萎えるの何でなん?」


『それは知りませんが』


 数秒、沈黙。大樹は思い切って向き直り、正々堂々と腕を組んだ。


「冷静に考えてみたんだが、俺はお姉さんに合わす顔がないんじゃないか」


 ユキはレンズを拡大し、じっと大樹の瞳を観察した。


「勿論、聞きたいこともやりたいこともお願いしたいことも山ほどある。だけど、それにはお姉さんにとって何の得もないんだよ、これが。


 俺はあの人がこの世に存在しているという事実だけでめっちゃ幸せになれるし、最高だ。だけど、それで迷惑かかるのはやっぱり嫌だなっていうか。

 ……また会いたいけど、一回出て行ったらもう会う口実ないのかなーとか、さ」


『つまり、真面目に考えた結果、相手にされる気がしなくてヘタレた、と』


「な、なんだよ。俺なりに配慮を覚えたんだって」


『ヘタレです。童貞。チキン』


「童貞は関係ないだろ!? 散々ストーカーだなんだって言ってたのはそっちじゃんか」


『言い訳は無用です。マスター』


 ユキには大樹の思考回路は手に取るようにわかった。大樹は煩悩を消すのに夢中になるあまり、その無駄に溢れる行動力も吹き飛ばしていたのだった。


 大樹は、適度というのができない性分だ。


『彼方春は、まだマスターを完全に拒絶していません。もしそうなら、あの発言の後すぐにでも追い出していたでしょう』


 そして、勢い余って無駄に走り抜けた後処理をするのがユキの使命である。


『大体一晩も世話になったお礼も伝えずに姿を消されては彼女の厚意が台無しです。せっかく頭が冷えたのですから、今度はきちんと彼方春の話を聞いてみればよいのではないですか』


「確かに。……お姉さんは優しいから急にいなくなったらびっくりするだろうし、お礼を言うくらいなら。いや、でも迷惑かな」


「それを決めるのは彼方春です。謝意を拒まれる程のことをしたとお思いなら別ですが、私にはそうは見えませんでしたよ」


「そうか? うん。そうだな。そうかもしれない」


 花が芽吹くように輝きだす大樹の瞳を見て、ユキは満足げに頷いた。わかりやすい主には常に健やかであって欲しいのが従者心というものである。


『では、彼方春の勤務先に向かいましょう。じっとしてはいられないでしょう。到着頃にはまた終業間際になるでしょうし、都合がよろしいかと思われます』


「いつのまに職場まで突き止めたんだ?」


『万が一を案じて勤務先の電話番号を教えていただきましたので。先ほどのインターネットカフェで勤務先データの出力ができました。詳しい情報を聞きますか?』


「やっぱりお前、知らない間にお姉さんと仲良くなりすぎじゃない?」


『無機物に嫉妬なさるのは流石に見苦しいですよ、マスター。元からですが』


「いったいどうやってそこまでお近づきになったんだ!? 教えろユキ!!」


『調子が戻られたようで何よりです。ところでマスター、あまり大声を出されると不審ですのでご注意を。見てはいけないものを見る目を感じます』


「お前のせいだろ! こら待て!!」


 ぎりぎり大樹の手の届かない位置でたゆたうユキを見上げ、大樹は今日一番の大声で叫んだ。






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