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cats fly high!  作者: 羽美
第一章
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二〇二三年三月一日 その3

 彼方春は疲弊していた。後の世に名を残す小説家といえども、二〇二三年時点ではまだ、社会の荒波に揉まれる一人のくたびれた女性に過ぎなかった。


 彼女は鬱々とした気持ちを抑えてスーパーに買い物へ行き、退勤後に残された僅かの時間をどのようにやり過ごすか考えこみながら夜道を自転車で駆けていた。


 暦上の春を迎えても、夜道は未だ凍える程寒い。白い息が自然と唇から零れ落ちる。


 彼方が自宅までの最後の曲がり角を乗り越えると、物陰からにゃあ、と、小さく猫の鳴き声がした。


 普段聞きなれないその声に物珍しさを感じていると、続けざまにまたにゃあにゃあと縋るような声がする。


 流石にペダルから足を離して見てみると、すぐ近くの電灯の傍にまだ綺麗な段ボール箱が打ち捨てられていた。鳴き声は段ボールの中から聞こえてくるようだ。


 少しだけ空気穴のように開きかけたフタを外すと、果たしてそこには一匹の茶トラの子猫がいた。


 大きな金色の瞳が自身を見つめる人間に視線を定め、キラキラと期待に潤む。既に喉をゴロゴロと鳴らして、口元はふにゃりと解けていた。


「捨て猫なんて初めて見た………」


 その愛らしい姿に、ぽつりと呟きは音になって零れ落ちた。



 大樹は幸福の最中にあった。前述の茶トラの子猫の正体は他ならぬ彼である。


「人間の男がダメなら、かわいい動物になればいいんだ!」


 閃いた男子高校生(又の名を愛すべき馬鹿という)の勢いは凄まじかった。そして、確かに正面切って突撃するよりは得策であった。


 ユキは万が一成功すれば良し、失敗しても人間と猫を同一存在として結びつける人間はこの時代には存在しないためリスクは低いと見積もり、致し方なく大樹の暴走に付き合った。


 ある程度発散させないと何をしでかすかわからなかったともいう。


 ユキは大樹がタイムトラベル時に施したものと同様の機能を使用し、大樹は子猫に、ユキの機体が捨て猫を入れる段ボール箱に見えるように迷彩を施した。


 更に、初回の接触時に記憶していたスマートフォンの電磁波を基に彼方春の現在地を割り出し、先回りして捨て猫らしく電灯の傍に待機していたというわけだ。


 大樹の時代以降の人間であればこの手の悪戯は皆一度は経験しており、手近のAIロボットに命じてわくわくと満面の笑みで体育座りをする少年とそれに従う球型ロボットを見破った事だろうが、二〇二三年の人間には技術的に不可能である。


 しかし、勿論全てが目論見通りに事が進んだわけではない。彼方春と再びの遭遇を果たすために、大樹達は少々のトラブルを巻き起こしていた。


 以下が、何やらユキがとかく細かく記録していた事の仔細である。



 ケース①マダム


「あらあらまあまあ、かわいい猫ちゃんだこと!」


 まず初めに大樹達の前を通りがかったのは優雅に手押し車を押すマダムだった。いかにも温厚そうな雰囲気を纏っており、猫が大変似合いそうな御婦人であった。


「ユキ、まずいぞ。春さん以外の人が釣れてしまった」


『可哀想に。正体がマスターだと知れたら寿命が縮まるでしょうね』


「どど、どうする? あの人、俺を拾おうとしてるぞ」


 マダムはおっとりと手押し車の中から小魚を取り出し、大樹の方へ放ってきた。その好意が眩しいが、地面に落ちた食べ物は遠慮したかった。


『致し方ありません』


 ユキが機体から出したアームを使い、小魚を加えて逃走する子猫を演じたところ、マダムはいつのまにか出していた携帯電話を仕舞ってやれやれと微笑んだ。


「ふふ、元気ねえ。お腹が空いたらまたいつでも私の前にいらっしゃい」


「……見透かされてるのか? 俺達」


 子猫の幻影ではなく、座り込む大樹の目を真っすぐに見てかけられた言葉の真意は不明である。



 ケース②紳士


 次に現れたのは、タンクトップと踝までの長さのジャージを身に纏った筋肉隆々の若い男だった。


 付け加えると、大変精悍なゴリラのような面持ちである。


「あっつ。知らない間に二、三か月先の未来に跳んだかな」


『それは不可能です。単純に彼は有酸素運動により放熱しているのでしょう。筋肉量が多いと、体内から発する熱量は多くなりますからね』


「なるほど。とても健康的な肉体と趣味をお持ちなんだな。それで、何でそんなスポーツマンがいたいけな俺らを見下ろしてるんだ?」


『それは恐らく……』


 ユキが返答を返すよりも早く、男は大樹の首根っこを掴み持ち上げた。


 大樹もとっさにユキを掴んだため、数珠繋ぎとなった二人を支える男の上腕二頭筋が大活躍だ。


 無論、大樹は躍動する筋肉など知ったどころではない。


「うぐっ、く、首が」


『マスター』


「かわいい猫だなあ。まったくこんなかわいい猫を捨てるなんて元飼い主の神経を疑うよ」


 それは存外温和な手つきと言動だったのだが、猫のように柔らかい脂肪のない大樹には拷問でしかなった。更に男は、危機的発言を繰り返す。


「とりあえず動物病院かなあ」


「っ、ユ、ユキ」


 その瞬間、大樹とユキは揃って同じ光景を思い浮かべていた。


 この肉感的な、心優しい紳士に抱えられ、動物病院であちこちを調べ回され、挙句の果てに動物用のワクチンを接種させられ、この男のペットになるという未来を。


 それからの行動は早かった。まずユキは大樹の手を抜け出すと、風に煽られた段ボールのように男の顔面に張り付いた。


 男は軽く驚愕の声を上げ、片膝をついたが、決して大樹を手放すことはなく、ひっしと片腕で大樹の顔を自身の胸元に引き寄せた。


 子猫の安全を慮ったやさしさも、大樹にとっては毒である。大樹の恋愛対象は女性だ。しかし、男が体勢を崩したことで大樹の足は地面に戻り、喉を伝って肺に酸素が回り始めた。


 大樹は渾身の力で男の腕を振り払うと、脱兎のごとくその場から逃走した。


「あっ、待って!」


「無理!」


 すぐさま追ってきた男は脚力も凄まじかったが、大樹の危機感が辛うじて上回った。


 男は、身も心も紳士だった。大樹はほんの少し、自分の吐いた嘘を悔いた。



 ケース③幼子


「つ、疲れた……」


『何とか撒けましたね。暫くは戻れませんが』


「あの人、すげえいい人そうだったもんな。ちょっと悪いことしたかも」


『はい。とても思いやりのある紳士的な御仁でした。マスターの陳腐な作戦に巻き込まれてお可哀想に』


「お前はもうちょっと俺に優しくてもいいんだぞ?」


『もう十分です』


 荒い呼吸を整え、地面にしゃがみこんだ大樹は若干作戦を切り上げて帰りたくなっていた。一か月は案外長い。そんな一抹の不安が大樹の疲労を押し広げる。


『マスター、どうしますか。これから』


「……まだ続行だ。春さんが来るまで、まだ時間はあるんだろ?」


 リュックサックを覗き込めば、いつでも彼方春の『友へ』が大樹の背中を押してくれる。大樹は古びた文庫本を取り出し、ひしと抱き寄せた。


「俺は、そう簡単にはくじけない!」


「にゃんにゃん!」


「にゃーにゃーだー!」


「にゃあ?」


『猫のオノマトペです』


「それはわかるって、うを!?」


 一際高い声と共にぐいと袖口を掴まれ、大樹は本日何度目かの驚きの声を上げた。


 大樹にへばりついているのは小さな双子だった。二、三才程だろうか。お揃いの服を身に着けていて、少し後方に大きな買い物袋と二人乗りのベビーカーを押す母親が慌ててこちらに走って来るのが見えた。


「にゃーにゃ」


「にゃーにゃっ!」


「あぶねっ」


 双子は左右に分かれて大樹を引っ張ったり、顔の辺りの皮膚を触ったりと、それはそれは大胆にはしゃいだ。


『申し訳ありません、マスター。思い切り触れられていますが、どうやらこの幼子達はマスターを本物の子猫だと勘違いしているようです。迷彩を今すぐ解除しますか?』


「そしたらこっちに向かってるお母さんにバレるだろ。……いてて、こら。爪をはごうとするな。背中に上るな! お前らいい加減にしないと怪我するぞ!」


「きゃー!」


 当然、大樹の言葉は幼子には届かない。そもそも猫語に変換されている。


 大樹が双子を引きはがして両脇に抱えると、丁度卒倒しそうな面持ちの母親と目が合った。


 そっと、双子を地面に戻してみる。


『母親にはニホンオオカミほどの大きさの猫の背に幼子たちが飛び乗ったように見えていますね』


「俺子猫って設定じゃなかった? 何で怖い方に改変したんだよ」


 逆効果だった。大樹はもう一度双子を抱き上げ、両の肩に乗せて設定を忠実に守ろうとした。動転していたのである。


『子供が空を飛ぶよりはいいでしょう』


「間に合わなかったなら素直にそう言え! ……ああっ、お母さんが荷物を捨ててベビーカーごと突撃してくる!」


『好都合です。そのままこの幼子たちを母親の元に返してやりましょう』


「安全には気を遣えよ!」


「えー、ヤダ!」


「あそぶのー!!」


「猫語を理解するな!! 末恐ろしいガキどもだな!!」


 服や指に纏わりつく双子の握力を機械の力で柔らかに突破し、大樹はベビーカーを受け止めた。ユキがお手伝いさんの本領を発揮し、実に滑らかに双子をベビーカーに乗車させる。


 あっという間に涙腺と喉が躍動を始めたが知った事ではない。


 大樹は平らに変形したユキに飛び乗り、またしても大脱走と相成った。そろそろ逃走のプロを名乗ってもいいかもしれない、などと無駄な考えが頭を過る。


「なあ、猫がこんなに人気があるんなら、捨て猫って概念はどこから現れたんだろうな」


『良くも悪くも、マスターはどうにもこの時代では人を引き寄せるようですね。興味深い事案ではあります』


「一言余計だぞ。俺は至って普通の男子高校生だ」


『普通の人間は、自身の事を普通だと思わない傾向にあるのだそうですよ』


「バカ、お前。ここで俺が特別だーとか言う奴だったらその方がイタイだろ」


『………』


「おい、何でそこで黙るんだ。お前が急に黙ると大抵やばいんだよ。どうした。今度は何があった」


『確率論の演算を行っておりました。おめでとうございます、マスター』


「はあ?」


『彼方春です』


「なんだと!? っ、す、すぐに準備だ! 作戦はこれからだぞ、ユキ!!」



 

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