前書き
とある小説新人賞に応募し、見事に散った作品をさらします。
よかったら楽しんでいってください。
我々は時空間航空時代の恩恵を余すところなく享受して生きている。二〇二〇年代には空想の産物でしかなかった宇宙艦は日夜宙を飛び回り、瞬間移動装置は水や酸素に等しく、もはや地球上で十分以上もかけて移動する場所などない。
西暦二二二三年三月一日。この日が人類史最も重要な刻である事に疑念を抱くものはないだろう。
それは、一般人による初のタイムトラベルが行われた記念すべき『刻』だ。この年を境に時空間航空技術は更なる発展を見せ、現代まで連綿と続く第三次時空間航行時代に突入していく。
しかし、我々はこの偉業を讃えながらも、その偉業を成しえた人物が歴史の表舞台に顔を出すことはほとんどない。その名でさえも知らずに生涯を終える者も多いだろう。
私は、その奇妙な現象に非常に興味を抱いた。何故その人物に対し、我々は無知であるのか。
そうしてかの偉人が何を思い、どのような信念を持って過去へと突き進んだのか……。その記録を、我々は後世に残す義務があると考えた。
この記録を読み進めていくうちに、諸君は驚嘆するだろうか。あるいは、何の益にもならぬ話と切り捨てるだろうか。
しかし私はこう思う。
これは、ある少年の運命的な出逢いの記録である、と。
この文書の表示を命じた賢明な諸君らには自明のことであろうが、この記録の元となる偉人、もとい一般向けタイムトラベル被験者第一号となった少年の名を、溝口大樹という。当時十七歳で、県立の普通科高校に通っていた。
彼は学業成績中の下。運動能力並み。素行並み。押しなべて平凡の二文字に相応しい記録ばかりが目立つごくごく普通の少年だった。
特筆すべき点は唯一つ、二一〇〇年代にはほとんど死滅しかかっていた紙媒体の書物を好んでいたことのみ。それも無類の書物愛好家であった両親の影響と、あまり面白みのない単純なデータが続々と続いていく。
この辺りで凡その歴史研究家は探求の価値なしと匙を投げたのだろうが、これは後々の大樹の物語の重要な布石となるため覚えておいて欲しい。
溝口大樹の学生時代はまさにタイムトラベル黎明期と重なる。卓越した技術を持つ日本が政府直下のタイムトラベル研究所を建設したのもこの頃である。
幾度とない実験の果てに既に研究所はタイムマシンを完成させており、一般人を用いた最初のタイムトラベル実験の公募を二二二二年八月に開始した。
しかし人々は存在こそ知りつつも一部の科学者を除いては誰もそれを試そうとする者はいなかった。
タイムトラベル先は二〇二三年の日本だった。マシンの性能上の都合で百年ごとにしか戻る時刻を指定できず、未来に帰還するエネルギーチャージには最短で一か月かかる。明らかに日常生活に支障が出る日数だ。未だ疫病の気配の漂う時代へ、自身の肉体を用いて危険に身を投じる時代はもはや遠く、希望者は想定を遥かに下回った。ヴァーチャルで十分だという意見が大多数だったのだ。
そんな中で、溝口大樹はいの一番にタイムトラベル参加を表明した。まだ学生だった彼が世界初の一般人タイムトラベラーとなった背景にはそのような後ろ向きな事情があったのである。
さて、導入はここまでだ。過去で大樹は何を体験したのか。大樹のタイムトラベルを経て、何が、どのように変化したのか。これより先は語り口を変え、より溝口大樹という人物に寄り添って物語らせて頂こう。
どうか肩肘を張らず、気楽に読み進めて頂きたい。