7. 彼女にとっての良い選択
当日は快晴だった。
アイザムの屋敷の庭には白い丸テーブルが並べられ、臨時で雇った使用人が料理を並べていく。
集まっているのはイースト・ノーザン・レールウェイの二人と、共同研究先である工科大学の教授と学生。それにウェリントン伯爵夫妻とその子息や学友たち。
アイザムはシェリと相談した結果、夜会ではなく昼間のガーデンパーティにしたのだ。
その方が準備は楽だし、広大とはいえない屋敷のホールよりも開放感がある。
ラボの学生のうち、男子学生たちはテーブルを囲って食事を選び、女子学生は可愛らしい日傘を差し、木の下でお喋りを楽しんでいた。
その中には伯爵が連れてきた貴族学校の若い学生も混じっている。
「ようこそお越しくださいました、伯爵」
「こちらこそ、懇親の場をありがとう。なかなか工科大学の方の話を聞ける機会はないから助かるよ」
ウェリントン伯爵はアイザムの父親よりも少し若いくらいで、落ち着いた人物だった。その妻もおっとりとした雰囲気の美しい人だ。
今日来ている二人の息子は後継らしい。工科大学への進学を希望しており、同様に進学を考える学友を一緒に連れてきたという。
アイザムとスコット、ラボの教授と伯爵夫妻は学生たちから少し離れたところで、パラソル付きのテーブルを囲んで座っていた。
執事姿のシェリが紅茶を注いで回ると、伯爵夫人が口元に扇を当てたまま、目をパチパチさせた。
「あら……、あなたもしかして女性?」
シェリが目礼して一歩下がったので、アイザムが頷く。
「ええ、私が帝都で仕事を始めるに当たって、来てもらったんです。アカデミーで唯一の女性だったそうですよ」
「まあ、素敵ね」
紅茶を注ぎ終えてシェリが下がった後、ウェリントン伯爵が口を開いて仕事の話が始まった。
「我が家は研究者肌でね、私も進学したかったが、家を継がなければならなくて叶わなかった。だから息子には、家を継ぐまでは好きなようにさせたくてね」
ラボの教授が大きく頷く。
「素晴らしいお考えですね。我が校をご検討に加えてくださりありがたいです」
「うん。イースト・ノーザンとの共同研究の記事を見てね、いいと思ったんだ」
「イースト・ノーザンさんは技術開発にとても熱心ですよ。学生たちもこれからの共同研究を楽しみにしています」
教授と伯爵の会話に頷きながらシェリを探すと、食事を運ぶ使用人に指示を出していた。さすが若者が多いだけあって、料理の減りが早い。
「ノーザンさん、先ほどの執事の方はこちらで働かれてもう長いのかしら?」
「あ、いえ。最近ですよ。私自身、帝都に出てきてまだ日が浅いですから」
「そうなの」
伯爵夫人の問いに答えていると、反対側から「ノーザンさん」と教授に声をかけられた。
「はい」
「ウェリントン伯爵は先日の新規車両の試運転のお話を聞きたいそうですよ」
「ラックウェルでの試験ですよね、あれは──」
トラブル続きだったラックウェルでの試運転のことを面白おかしく語ると、伯爵も教授も興味深く聴いてくれた。
それからまた工科大学での学生生活の話などを聞く。
食事を終えた学生たちとも話をし、十分情報交換したところでガーデンパーティはお開きになった。
伯爵は非常に息子思いの父親だった。
息子にとって良い勉学先として、工科大学のことをよく知りたいという思いだったようだ。
工科大学側としても、貴族子息が入れば宣伝にもなるし、寄付金も見込める。ラボの教授にとっても良い話だった。
アイザムにとってもそうだ。
ウェリントン伯爵家のことを調べると、非常に堅実で歴史のある家であった。
息子の進学先ということで工科大学を支援してくれるのであれば、共同研究先であるイースト・ノーザンにとっても良い影響を与えるだろう。
アイザムは、初めての屋敷でのパーティを成功させてほっとした。
しかしその矢先。
再度ウェリントン伯爵夫妻がアイザムを訪ねてやってきた。
「突然悪いね」
「いえ、ご連絡を頂きありがとうございます。今日はどうされましたか?」
先触れを受け、急いでシェリに準備させた応接室に夫妻を案内し、自らも座る。
落ち着いたふりをしているが、内心は慌てていた。
事務所で連絡を受けてから、車を飛ばして帰ってきたのだ。
それに、わざわざ伯爵夫妻が訪ねてくる理由がわからない。先日のガーデンパーティはうまくいったと思っていたが、なにか不手際があったのだろうか。
椅子の背にはもたれず、ウェリントン伯爵が咳払いした。
「端的に言うが、君の執事を我が家で譲り受けられないだろうか」
予想していなかった内容に、アイザムは言葉を失った。
この家に執事は一人しかいない。譲り受けるというのは──。
「えっ……」
「実はだね、我が家には息子の上に娘がいて──」
ウェリントン伯爵が話したところによると、娘のために執事を探しているらしい。
跡継ぎの息子の姉である伯爵令嬢は非常に優秀で、自ら事業を起こし、すでに独立しているという。
本人に結婚する気はなく、仕事一筋。しかし男社会で揉まれてきた中で嫌な思いを多々しているせいか、若干の男性不信だという。
「優秀なんだが、プライドも高くてね……」
自分に厳しいが、自分の周りの人間にも厳しい。
しかもこれまでの経験から、身近にいる男性であっても侮られてはいけないと感じてしまうらしく、支えてくれるはずの執事をこれまでに何度も代えてきたのだと。
「しかし先日君のところで女性の執事を見て、妻が驚いてね」
「そうなの。素晴らしい執事だと思ったわ」
「シェリですか……」
同じ女性という立場なら娘をうまく支えてくれるだろう。伯爵夫妻はそう考えたようだ。どうりで、やたらとシェリのことを質問してきたわけである。
アイザムは手を組んで俯いた。すると、伯爵が素早く言い加える。
「もちろん、無理にとは言わない。それにもし受けてくれるようであれば、十分な給与は出す。申し訳ないが、考えてみてくれないだろうか。彼女本人の意志もあるだろうし」
「…………少し時間をください」
伯爵夫妻を見送って、アイザムは執務室に戻った。
「────くそっ!!!!」
革張りのソファに身を投げ出して、頭をかきむしる。
苛立ちと焦りでえづきそうになりながら、締めていたタイを緩めた。
傲慢だ。人の家の執事を欲しがろうとするなんて。
そう思って、はっと気付いた。
自分も帝都に来るとき、他の屋敷から執事を迎え入れようとしていた。
執事が他所の家に移ることは多くはないが、無いことはない。
例えば家の主が代替わりになったり、雇えなくなったり、執事や使用人側の事情で仕事を辞めたりといったことで雇用先を移ることはある。
アイザムも始めは実績を積んだ人間を雇い入れようとしていた。
しかし帝都に出てきたばかりで他家と余計な軋轢を生まないために、アカデミーに新卒生の紹介を依頼したのだ。
傲慢なのは自分も同じだ。
それに、ウェリントン伯爵は少なくとも強引に引き抜くような真似はしなかった。
先に主であるアイザムに話を通したし、シェリへ給与を弾むとも。
「シェリ……」
これはシェリにとっては良い話だ。
田舎から出てきた技術者一族の次男と、有能な伯爵令嬢。どちらに仕えるのが将来有利か、考えるまでもない。
給与は良いだろうし、キャリアも積める。伯爵本家との繋がりも出来るのだ。将来安泰である。
それに伯爵令嬢が他人に厳しいとしても、シェリならうまくやるだろう。
シェリのためを思えば、ウェリントン伯爵へ送り出すべきだ。
しかし、だとしても──。
「いや無理だろ……」
とはいえ、黙ってこの話を勝手に握りつぶすわけにはいかない。本人の意向が一番重要だ。
アイザムは気持ちの整理がつかぬまま、シェリを執務室に呼んだ。
「ウェリントン伯爵から、シェリを執事として迎えたいって申し出を受けた」
「えっ……」
「伯爵令嬢が自分で事業を起こしていて、合う執事を探しているらしい。女性の執事ならいいかもしれないと」
驚いた表情のシェリの目が不安げに揺らぐ。
いや、不安げに見えたのは自分の願望かもしれないとアイザムは思った。
深呼吸して、告げる。
「俺は……、正直に言えばシェリにはずっとこの家にいて欲しいと思っている。シェリの将来にとって、伯爵家の方が絶対にいいとは分かっているけど。でも、シェリの意見を尊重する。どう思う?」
いま伝えられる気持ちを一息で告げれば、シェリはわずかに目を伏せた。
なにを考えているのだろう。困ったような、悩んでいるような顔。
出会った頃はずいぶんと無表情だなと思っていたけれど、接する時間が長くなってくると、意外と表情豊かであることに気付く。
驚いたときは顔に出るし、時折見せてくれる笑顔も可愛い。もっと見せてくれるようになるといいと思う。
たっぷり待った後、覚悟を決めたような顔でシェリが言った。
「先日、アイザムさまのご結婚のお話がありましたが……」
「え? ああ」
確かにした。けれど、なんだ急に?
シェリが続ける。
「あれからたくさん考えました。ずっとこのお屋敷で働きたいと、アイザムさまのお役に立ちたいと思っていましたが」
「…………シェリ?」
「正直申し上げまして、将来に渡り、アイザムさまの奥さま、それからお子さまをお守りするというのは、難しいように感じております」
胸の奥が冷たくなるような感覚がして、言葉に詰まった。
面倒をかけている自覚はあったけれど、今後も続けて働いてもらうことを嫌がられているとまでは思っていなかった。
ショックだ。
嫌がられている相手に縋るようなことを言ってしまい、アイザムは猛烈に情けなく、そして恥ずかしくなってきた。
深くため息をついて、顔を手で覆う。
「……そうか」
「……それで、アイザムさま」
「分かった、もう大丈夫。シェリ、苦労かけたな」
「アイザムさま、待ってください、私は」
「紹介状を書く。もういい、下がってくれ」
「待ってください、あの」
「シェリ、下がれ」
彼女の方を見ずに手で退室するよう促す。
下を向いたまま少し待つと、遠慮がちに扉の閉まる音がした。それを聞いてから机に突っ伏した。
一方的に好意を抱いて、でも嫌われていただなんて最悪だ。
でも、彼女の気持ちも理解できる。
難しいアカデミーを首席で卒業してやって来た職場の主はただの田舎者で、執事がやらないような雑務や面倒事までやらされている。給与が良いにしたって、不満はあったのだろう。
気持ちを伝える前で良かった。
嫌っている相手、しかも雇用主から好意を告げられたりしたら断わりづらいし、嫌な気持ちにさせてしまう。
──だとしても。
仕事上の仲だとしても、助けてもらって嬉しかった。
少しでも、仲良くなれたかと思っていたのに。
「もうやだ死んでやる……」
アイザムは机に突っ伏したまま、少し泣いた。