6. 飾り付けたいわけじゃない
「結婚、ですか」
「そうよ!」
仕事先の邸宅で行われている夜会で、アイザムは顔見知りの婦人に腕を掴まれていた。
「ノーザンさん、おいくつだった? …………二十七? どうして自分の年齢を迷うの? まあいいわ、二十七なんて適齢期、いえもう遅いくらいじゃないのぉ! 私が夫と結婚したのは二十三だったのよ。早くしないと若い子は売れていくわよ。うふふ、そうそう私みたいにね。よかったら知り合いの子をご紹介……、あらやだ夫が呼んでるわ! この話はまた今度ね!」
嵐のように去っていくのを見送って、アイザムはため息をついた。
最近、こういったことが増えた。
男ばかりの会合だけではなく、女性もいる夜会に参加する機会が増したからだろう。
ラックウェルにいた時には気にならなかったが、帝都では既婚であることは信頼のバロメータの一つであるらしい。貴族はもちろん、実業家や経営者などは妻帯していることがほとんどである。
アイザムは基本的に一人か、スコットを伴っていることが多く、パートナーがいないことは明らか。
顔見知りの婦人が増えるにしたがって、結婚を世話してくれようとする誘いが多くなってきた。
「結婚ね……」
「なに暗い顔してんだ?」
「将来を心配してくれる大層親切なご婦人から、パートナー探しについて助言を頂いていたところ」
離れていたスコットがグラスを手に戻ってきた。
先ほどの婦人が夫と談笑しているのをグラスを受け取った手で指差すと、スコットも目を向ける。
「紡績会社の社長夫人だろ? ありがたいじゃないか、紹介してもらえよ。アイザムだっていずれ結婚するんだろ」
「分からないけど……、お前はどうするんだ」
「俺は落ち着いたらラックウェルからメアリを呼ぶから」
「くそがよ……」
さらりと惚気られて舌打ちが出た。
スコットは故郷ラックウェルに幼なじみの恋人がおり、彼女のことはアイザムも知っている。
純愛を貫いている同僚が恨めしい。アイザムは過去に恋人がいたことはあれど、帝都に出て来てからはいない。
「でもまあ、大変だよなあ。アイザムは結婚自体が仕事の切り札にもなるんだもんなあ。恋愛結婚出来ないのってしんどいよなあ」
「それは別に……」
しかし、スコットが言ったことは正しい。
独身であるアイザムが実家から帝都に送り出されたのも、婚姻によって有力な仕事先と繋がることを見越しているのは明白。
実際、アイザムも出来るだけ上流階級の女性と縁を持たなければならないと思っていた。
自分自身は結婚に興味がなかったため、相手が誰でも大して変わりないと思っていたし、家のためになる相手であるべきだろうと。
しかしながら今は、積極的に結婚相手を探すということに前向きになれない。
「色々夜会にも出るようになってきて、いいなって思う女性いなかったわけ?」
「俺が出てる会合なんて、女性は大体誰かのパートナーとして来ていることが多いから、そもそも独身者が少ないんだよなあ。多分、こういう仕事の集まりと、出会いを求める夜会は別なんだよ」
「じゃあそういう夜会に出て、お前好みの妖艶な女を探すしかないか」
スコットの言葉に、口に含んでいた酒を噴き出しそうになった。
「だっれが……!」
「だってお前の昔の女ってそんなのばっかりだったじゃん。嫌なの?」
「嫌っていうか」
正直に言うと、憂鬱なのだ。
出会いを求める集まりに出て、あるいは誰かから女性を紹介してもらって、全く知らない状態から関係を深める。
ようやく帝都に慣れてきたとはいえ、田舎から出てきた自分はもともと帝都に暮らす女性からすると退屈な男だろう。ファッションや美食も分からなければ、女性を楽しませる場所も知らない。
運よく誰かを妻にすることが出来たとして、その人に屋敷の女主人になってもらう。
シェリに紹介して、侍女を雇って、屋敷の準備をして──。
「うーーーーーーん」
「大丈夫?」
先のことを考えれば考えるほど、既定路線に乗りたくないと考える自分がいた。
屋敷に帰ったアイザムは、執務室でシェリにもその話をしてみた。
「シェリ、俺が結婚してうちに女主人が来るとしたらどうする?」
シェリはアイザムの上着を受け取ったまま一瞬固まり、しかしすぐに頭を下げた。
「おめでとうございます。時期はいつ頃でしょうか? 侍女を手配しましょう」
「いや待って待って違う違う、もしもの話」
わずかに怪訝な顔をしたシェリに、最近出会いの場や紹介を勧められる旨を話すと、優秀な女執事は理解した様子で頷いた。
「やはり侍女は早めに手配しておいた方がよいので、時期が来ましたらお知らせください。使用人も増やした方がよろしいかと。結婚式の準備も時間がかかります」
「アッ、はい……」
「それから手続きも──」
頭の中では、主の結婚に伴う様々な準備について考えを巡らせているのだろう。最低限であろうこと(それでも多い)を話してから、シェリは部屋を出て行った。
扉が閉まる音を聞いてから、ネクタイを緩めて盛大にため息をつき、机に突っ伏す。
「あーーーー、もう…………」
自分が社交界から妻を迎えることに前向きになれない理由。
分かっている。自分で気付いていた。
シェリがいるからだ。
「無理……」
シェリがいるのに、他に好きな女ができるだろうか?
仮に、好きでもない人を妻にして家に来てもらう? 無理だ。あまりにも不誠実であろう。
しかし結婚の話を出しても、シェリの顔色は全く変わらなかった。
当然、シェリは自分のことをただの雇用主としか見ていない。
でも、もしかしたら。
少しずつ彼女のことが分かってきて、わずかでも意識してもらえないかと思っていたけれど。
「どうしよ……」
考えても答えは出ない。
アイザムは自分の結婚問題を一度棚上げすることにした。
♦︎
仕事の打ち合わせで屋敷に来ていたスコットに「当面結婚は考えない」と告げると、純愛を貫く同僚はさほど興味なさそうに頷いた。
「ふうん、まあいいんじゃん。帝都に来てまだ日が浅いし。それよりこれ」
「なに?」
資料に添えられた手紙を受け取って開く。
「この間、工科大学のラボと共同研究契約締結したろ。そしたら貴族学校の理事の家から興味があるって声かけられたってラボから言われてさ」
「ふーん」
ラボからの手紙には、ウェリントン伯爵というアイザムも聞いたことのある名前が記されていた。
伯爵の子息が貴族学校からの進学先として工科大学を検討しており、伯爵自身はイースト・ノーザンとの共同研究内容にも興味を示しているという。
「そんでウェリントン伯爵と懇親の場を設けられないかって、ラボが」
「うちの会社に招くってこと?」
「いや、それがこういった貴族との交流は違うんだってさ。会社代表の家でパーティしてくれって」
「ほお?」
「端的に言えば、この家で夜会を開けってこと」
うわ、と呟いて天を仰いだ。
この独身男性一人+執事一人の家で貴族を招いてパーティを? 無理だろう。
するとノックの音がして、シェリが入ってきた。
ティーカップと茶菓子を並べていくシェリに、スコットが気楽に声をかける。
「なあなあ、シェリ。この家でパーティ開くのってできるか?」
「パーティですか?」
「おい待て、やるって言ってないだろ」
しかしスコットが彼女に、人数やゲストの内容を伝えていく。
聞いたシェリは少し考えた後、頷いた。
「臨時で使用人を雇う必要はありますが、可能だと思います」
「おっ、よかったじゃんアイザム。出来るってさ、さすが」
「お前ね……」
そりゃあ、やると言ったら出来るのだろう。うちの女執事は出来がいい。
だが準備も大変だし、気苦労も多い。アイザムはため息をついてシェリを見上げた。
「じゃあ悪いんだけど、ちょっと考えてみてくれるか? あまりにも大変そうだったら別の方法を考えるから」
「かしこまりました」
すると頭を下げたシェリが、ティーポットから紅茶を注いでくれようと手を伸ばす。
「いいよ、自分でやる」
タイミングが合ってしまい、アイザムは手袋に包まれたシェリの手をきゅっと掴んだ。
「うわっ、ごめん!」
白い手袋越しの指が細くて柔らかかった。
ぱっと手を離して自分の胸元に仕舞い込んだが、今の反応はあまりにも恋に不慣れな乙女のようで変だったと恥ずかしくなる。
視界の隅でスコットが目を瞬いているのが分かった。
「いえ、失礼しました」
「…………」
何事もなかったかのようにシェリは紅茶を注ぎ、ティーポットを持って部屋を出ていく。
アイザムは黙ったまま、時が流れるのを待った。
今、顔面がひどく赤くなっているだろう。
執事の手を握ってしまったくらいで狼狽えて大袈裟な反応をしてしまい、さらにそれを同僚に見られた。
いや、でも、握った指が細くて柔らかくて、見たことのない白い手袋の下をリアルに想像してしまったのだ。
扉が閉まってすぐ、スコットが身を乗り出した。
「嘘だろアイザム……!?」
「…………なんだよ」
「なに今の反応!!」
「………………」
「うわマジかよ、本気なの!? お前もっとおっぱいバインのエロい女が好きだったじゃん!」
「うわ馬鹿! 声がでかい! マジで黙れマジで!!」
物理的にスコットの口を塞ぎ、慌てて扉の方を見る。よかった、シェリが戻ってくる様子はない。
スコットの手から口を離すと、同僚は興味深そうに目をキラキラさせた。
「結婚棚上げとか言ったのはそれが理由かあ。ま、でもいいじゃん別に。プロポーズすれば」
「馬鹿、無理に決まってるだろ」
「なんで?」
「なんでって……」
シェリへの気持ちに気付いてはいるものの、本人に伝えるつもりはなかった。
雇用主と執事なのだ。立場が上の人間から気持ちを告げるなどしたら、シェリは断れないはず。
力で従わせるようなことはしたくないし、言えば互いの関係が気まずくなることは明らかである。
「主従関係でそういうのはよくないだろ。シェリは逆らえないじゃないか」
「そうかなあ」
「それより夜会をどうしよう。うちは表に出られるのが俺しかいないんだぞ」
まだ話を聞きたそうな様子を無視して話を変えたが、スコットはにやにやとアイザムを見やった。
「確かにこの家は華が足りないな」
「だろ」
「シェリに着飾って出てもらえよ」
「お前ね……」
脱力して肩を落とす。
「だってアイザム、家に貴族を呼ぶんだぞ。なのにお前はパートナーもいない。シェリに付き合ってもらえばいい」
「やだよ」
「なんで。好きな女を自分好みに飾り付けるのは男の夢だろ」
品がいいとは言えない想像をする同僚に、思わず舌打ちが出た。
「シンデレラの魔法使いになれってか? 嫌だね。それに現状は、逆だ」
「?」
「俺がシェリに飾り付けられてるからな」
スコットが目を丸くして口笛を吹いた。
事実、いまだに夜会の服装はシェリに選んでもらっている。
それに、シェリは今の執事姿が似合っている。
シェリはシェリのままで美しいので、自分好みに変わって欲しいわけじゃない。そのままでいいのだ。