5. 頼りにされたいけれど
ラックウェルでの一連の仕事は成功したといっていいだろう。
嵐の間、ゲストはホテルから出られなかったものの、シェリが手配した美酒を楽しみ、ラックウェルの特産品を使用した料理の数々に舌鼓を打った。
社員たちが夜通し行った試運転では問題なく、嵐の二日後に予定通り走行試験を実施し、成功した。
ゲストは十名ほど来た。その投資家や事業者たちの中には次の予定のため走行試験を見届けることなく帰ってしまった人もいるが、それはごく一部で、多くのゲストは走行試験の様子に満足した。
結果、数社から実際に投資の話を受けている。
全ての仕事を終えたアイザムは父や兄、それに社員たちに礼を告げ、シェリとともに帝都に戻ってきた。
今回の件はシェリのおかげであると感謝したアイザムは、予告通り女執事への臨時報酬を弾んだのだった。
「アイザム、なんか共同研究の依頼が来てる」
「なんだそれ」
大仕事を終えたアイザムは日常に戻っていたが、引き続き忙しい日々を送っていた。
会社の仕事と、有力者との懇親。そんな中、事務所でスコットが出してきた手紙を受け取った。
封筒の裏を見ると、綺麗とは言えない字で、帝都で最も歴史ある工科大学の名前が入っている。
「なんだこりゃ」
「鉄道の燃焼機関の研究してるんだってさ、有名なラボだ。一度うちに訪ねてもいいかって」
「おっ、いいな」
研究機関からの誘いは初めてだ。
父や兄とも相談しなければならないが、共同研究はよいかもしれない。開発スピードは上がるし、大学と連携ができれば新しい人材確保につながる。
もう遅かったので、商談の日程調整をスコットに任せて屋敷に帰ったアイザムは、夕食時にその話をシェリに聞かせた。
「良い相手だったら受けようと思ってるんだ。今より忙しくはなるけど」
「それは大変ですね」
「でも工科大学と共同研究すると融資も受けやすいらしくて」
「ええ」
「ま、ラックウェルとの行き来が大変だけどなー」
「はい、良いと思います」
「シェリ?」
会話が噛み合わず、おかしいなと思って女執事を見ると、彼女は珍しくハッとした顔をした。
「申し訳ございません」
「珍しいな、大丈夫?」
「失礼しました」
頭を下げ、後ろに下がるシェリを見送る。壁際に立った後も、どうにも顔色が冴えない。
珍しいことだ。
シェリはいつも冷静で、仕事中にぼんやりしていることなど見たことがない。
いや、彼女とて人間なのだ。体調が優れないこともあるのではないか。
──だとしても。
アイザムは食事の手を止めた。
「シェリ、体調が悪いならもう休んだ方がいい」
「いえ、問題ありません」
「そんなわけないだろ、顔色が悪い」
「大丈夫です」
頑ななシェリに苛ついて、小さく息をついて椅子の背にもたれる。
「シェリ、俺が具合の悪い部下に仕事を強要するような男だと?」
「…………」
無言で壁に立ち尽くすまま。
具合が悪いわけではない?
立ち上がったアイザムはシェリに近寄り、腰に手を当ててわざと尊大な態度を見せた。
「始めに交わした契約はなんだった、シェリ? 君は俺に嘘をついてはいけない」
「…………」
「本当に具合が悪くないならいいよ。その方がいい」
しばらく空を見つめたまま何も発さなかったシェリだが、急に静かに目が潤んできたので、アイザムはぎょっとして言葉を失った。
言いすぎてしまっただろうか。
しかし、涙はこぼさぬままでシェリが口を開く。
「…………家族から連絡がございまして、母が危篤と……」
「なんだって!」
予想外の言葉に驚き、アイザムは強い力でシェリの両肩を手で掴んだ。
「実家はロブソンだと言ったな、馬車の終着駅はどこだ!?」
「え……、ゴルド・ロブソンという駅からですが……」
「ゴルド……、日付が変わる前には着くな。シェリ、急いで荷物準備しろ。すぐに出るぞ。エルダ! エルダ!!」
「お、お待ちください!」
キッチンにいる家政婦を呼んだアイザムの腕を、シェリが引き留める。
「アイザムさま、私は帰る気はございません。母の最期に会えないことは覚悟して家を出てきました。仕事を優先します」
アイザムはシェリを見つめた。
──ではなぜ泣くのだ?
そうなじることは簡単だ。本当に仕事を優先するのであれば、仕事中に集中していないというのは執事として失格である。
しかし、本心はそうではないから、割り切れないから、家族からの知らせに動揺している。
アイザムが彼女を詰めれば、シェリは気を引き締めて業務に当たるのだろう。
ただそれは、アイザムの本意ではない。
「シェリ、家族より優先すべき仕事なんてあるか? 君は何のために働いている?」
「……それは」
「俺だって家から離れて働いている。でも、家族に何かあれば仕事は放り投げて家族の元に帰る。俺の下で働いている以上、優先順位を間違えないでくれ」
「アイザムさま……」
「早く準備しろ」
弱々しく頷いたシェリを部屋に向かわせると、キッチンから「はいはい、どうしましたか」とエルダが出てきた。
「エルダ、シェリの家族が危篤らしくて送ってくる。屋敷の戸締りして帰ってくれるか」
「まあ、それは!」
「それから日持ちする食品がなにか残ってたら詰めてもらえるか。菓子とかもあれば」
「ちょうど旦那さまがもらってきたお菓子がありますよ、すぐ詰めますね」
荷物を車に詰め込んでいたら、シェリが降りてきた。
ラックウェルに来た時と同様、最低限の手荷物のようで小さい旅行鞄が一つだけ。
荷物を積み、助手席にシェリを乗せて走り出す。
「……母は今までも体調を崩すことはありました。ひょっとしたら、行っても元気になっている可能性も……」
「元気になってるとしたらそれでいいじゃないか。何もなければロブソン土産を買って帰ってくれ」
闇夜の長距離運転中、車内は無言だった。
ロブソンのある南方に鉄道は走っていない。
南方へ向かう人は、大きな馬車駅であるコルド・ロブソンへ行き、そこから地方へ出ている乗合馬車を利用するのだ。
しかしこの時間はもう馬車も走っていない。
帝都から出るとすぐに住宅は減り、周囲の明かりはほぼ無くなった。
舗装が十分とは言えない道にスピードを上げる。
助手席のシェリは俯いたまま。
執事のスーツ姿だ。着替える時間も与えなかった。
もし、シェリの異変に気付かなければ、強引に連れ出さなければ、彼女はどうしていたのだろう。職場から動かずに母の訃報を待ち、主に知られないように部屋で泣いていたのだろうか。
そんなこと許すかよ、とアイザムは怒りを覚えた。
困った時や辛い時には助けを求めて欲しい。自分がラックウェルで助けてもらったように。
一人じゃないと思って欲しいのだ。
数時間運転し、少し大きな町に入った。
ゴルド・ロブソン。南方の主要な町だ。夜中だが、いくつか飲食店や宿屋に灯りがついている。
宿屋の前に車をつけると、アイザムは財布から紙幣を何枚か出してシェリに握らせた。
「今夜はここに泊まれ。それで明日の始発馬車で実家に帰れ。うちに戻るのが十日を過ぎそうなら、手紙を寄越してくれ、いいな」
「アイザムさま……」
「あとこれ、食料品。実家に持って行け」
エルダが用意してくれた、食料品の詰まった袋を押し付ける。
それをシェリは恐る恐る受け取った。
「アイザムさま、ありがとうございます……、このご恩は」
「礼は帰ってからな。今夜はよく休めよ。じゃあな」
街から少し出たところに車を停め、アイザムは仮眠をとってから来た道を帰った。
♦︎
シェリのいない生活は不便であった。
屋敷は届く手紙や事務所から持ち帰った書類であっという間に乱雑になり、それをさばく時間が足りない。
屋敷での食事や掃除などはエルダがやってくれているものの、会合などに出る時にはどの服を選べばいいのか頭を悩ませたし、手土産など見当がつかない。全てシェリに任せていたのだ。
結局諦めたアイザムは、シェリが不在の間は社交を諦めて事務仕事に注力した。
シェリはぴったり十日後に帰ってきた。
その日は料理人もエルダも休みだったので、事務所から帰ったアイザムはキッチンで自分で鍋に湯を沸かした。
そこにちぎったパンや、保冷庫に残っていた野菜くずを放り込む。味付けして卵を割り入れてミルクを足し、ぐるぐるかき混ぜた。
通いの料理人が作ってくれる食事も、会合で口にするご馳走も美味いが、たまに自分で作る適当なものが食べたくなる。
誰も見ていないので、立ったまま器にも移さず食べようとしたところで「アイザムさま」と声をかけられ、アイザムは「ぎゃっ」と飛び上がった。
キッチンの入口にシェリが立ち、怪訝な顔でこちらを見ていた。
「なんだ、シェリか。びっくりした。おかえり」
「ただいま戻りました。アイザムさま、何を召し上がっているのですか?」
右手に鍋、左手に匙を持ったままの手元を見る。
「何って……、別に名もなき食べ物だけど……。エルダが風邪気味で休みなんだよ」
「なるほど。何か作りましょうか?」
「いいのいいの、これが食いたいの。それで、親御さんの具合はどうだった?」
「亡くなりました」
「そうか」
さっぱりした表情に、アイザムもあえていつもの声色で答えた。
端的に告げたシェリの顔に悲壮感はない。
「絶対に無理だと思っていましたが、看取ることができました。出稼ぎに出ていた父が帰ってくることになったので、片付けやこれからのことを手配していたら遅くなりました、申し訳ありません。それから、ありがとうございました」
「いいえ、俺は何も。悪いけど、仕事は溜まってるぞ」
「かしこまりました」
嫌そうな顔も見せない、いつもの様子。アイザムは苦笑した。
悲しいことがあっても、気持ちの整理をつけることができたということだろう。よかった。
するとシェリの腹が、ぐうと鳴った。栗色の瞳がアイザムの手元に向く。
「…………やらないよ、自分で作れ」
「分かりました」
荷物とスーツの上着を置いてシャツの袖をまくり、キッチンに立つ。弟妹が多いと言っていたし、アカデミーでも寮生活だったはずだ。料理も慣れているのだろう。
保冷庫から食材を出し、手際よく切っていく。
その中に燻製肉があったので、アイザムは自分の鍋をシェリに向けた。
「俺にもその肉くれ」
「えっ、あまり減っていたらエルダに怒られますよ、ふふ」
「バレない、バレない」
リラックスした様子で微笑む姿が可愛いな、とアイザムは思った。
結果的に肉を勝手に使ったことは知られ、アイザムはエルダに怒られた。
しかしシェリは「自分は関係ない」という顔で知らんぷりしていたので、アイザムは女執事をじとりと睨んだのだった。