4. 頼りにしている人
自分の知識を使っていい。
そう言われて以来、アイザムはシェリに遠慮することをやめた。
「議員の娘さんが演奏会に出るそうなんだが、何かした方がいい?」
「お花を手配しておきます。場所と日付を伺えますか」
「シェリ、急きょ葬儀に参列することになった。悪いが必要なものを準備してくれるか?」
「かしこまりました。商工会の会議は欠席ですね、知らせを出しておきます」
「事務所に来客が増えるようになってきて、茶菓子とか茶とか、いいのある?」
「購入しておきます。事務員の手は足りていますか?」
「いや、足りてない。補充が必要だ、求人をスコットと相談する」
どうせ取り繕ったって知識が無いことは事実で、シェリに助けを求めた方が効率的だ。
すでにシェリへの頼み事は執事の範囲を超えて、イースト・ノーザンの従業員のようなことまで依頼してしまっているが、その分、給与を弾むことで許してほしい。
そんな中、ラックウェルでの仕事が生じ、一度帝都を離れて故郷に戻ることになった。
イースト・ノーザン・レールウェイに新規車両を導入することになり、それの走行試験の立ち会いを行うことになったのだ。
同時に、物流事業に興味を持つ帝都で出会った投資家や事業者が視察に来ることになり、そのもてなしも必要だ。失敗できない。
「三週間くらいはかかると思うからその間不在にするけど、よろしく頼む」
「かしこまりました」
屋敷のことはシェリに、事務所の仕事はスコットに任せ、アイザムは久しぶりに帰郷した。
王都からラックウェルまでは、かつては馬車で片道五日はかかっていた。
しかし、イースト・ノーザン・レールウェイがラックウェル近郊の鉄道網を発達させつつある。そのため、帝都から駅まで乗合馬車で二日かけて行けば、残りは鉄道で一日で着くのだ。
三日かけて故郷に着いたアイザムを屋敷で出迎えたのは母だった。
「アイザム! 久しぶりね、お帰り。調子はどう?」
「特に変わりなく元気だよ、手紙も出してるだろ……、って、父さんと兄さんは現場?」
帝都に構える屋敷に比べてノーザン家の屋敷はずいぶんと大きいものの、華美な装飾は少なく、がらんとしている。
人が少ないのはいつものことだ。女主人である母と使用人以外は仕事で出ていることが多い。
「そうなのよ、何かトラブルみたいで昨日から帰ってきていないの」
「何だって、走行試験はもう三日後なのに? 俺も行ってくる」
「帰って早々、忙しないわねえ……」
「俺の工具と作業着は?」
「あなたの部屋よ」
設備導入に伴う走行試験や試運転などが予定より遅れることはまま発生し、修羅場に陥る。新しいものを取り入れるにはトラブルはつきものだ。
会社の車両基地に向かうと、父や兄、社員、関係会社の技術者たち十数名が試験車両の周りに集まっていた。
「みんな」
「おっ、アイザム、お疲れ」
「お疲れ」
「久しぶり、何かあったって聞いたけど?」
挨拶もそこそこに輪の中に入ると、設備の組み立て作業をしているようだった。
疲れた表情の父が小さくため息を吐く。
「部品の納入が遅れてな。ようやく機関室の性能試験に入れるところだ」
「えっ!! もう走行試験まであと三日だぞ?」
「ま、夜通しかけてでもやるしかないだろうな」
実際の走行試験を行う前の試運転。やらなければ走行試験は出来ないが、やるなら三日後はギリギリだ。
すぐにスケジュールが組まれ、早速アイザムが立ち合い担当になった。他の社員たちはここ数日出ずっぱりなので、少しでも休める時間を取るためだ。
残り三日。毎度のことではあるが、間違いなく修羅場の様相である。
しかし嫌なことは続くもので、アイザムが立ち合い担当してすぐに異変が生じた。
「なんか、圧力おかしくないか?」
「確かに。シリンダは問題なさそうなのに……。もしかして圧力計自体かな? もう少し様子見る?」
「いや、時間が惜しい。××社? 担当者来てるだろ」
仮眠をとっていた機器担当者を叩き起こして試運転を見せたところ、担当者は蒼白になった。
「も、申し訳ございません……、予定の型番と違うようです」
「何だって!」
「どうすんだよ」
担当者が言うには、本来の機器は別工場にあるという。
アイザムはすぐに身支度を整えた。
「俺が行ってくるわ。兄さん、車貸して」
「悪いな」
担当者を同乗させ、警察に見つかったら捕まりそうなほどの速度で闇夜を駆け抜ける。
目的のものを調達して帰って来ると、今度は父が唸っていた。
「ただいま、無事に持ってきたから試運転を再開……って、どうしたの」
「悪い知らせだ」
「今度はなに」
「嵐が来る」
屋敷からの知らせで、走行試験の行われる三日後──もう三日も無いが──に悪天候で嵐がやって来るということだった。
「えっ……、走行試験は?」
「延期せざるを得ないだろうな」
「時間的な余裕が出来たが……、どうするアイザム? 帝都から視察が来るんだろ?」
疲れた顔の男たちが揃ってアイザムに目を向ける。
部品納入の遅れ、機器の取り違い、夜通し行うべき試運転に加え、今度は嵐。
アイザムは唇を噛んだ。
今回の走行試験の視察に来る投資家や事業者たちは前日入りの予定だ。つまり、もうラックウェルに向けて出発してしまっている。途中で連絡することはできない。
今回は大きなチャンスである。今後事業を拡大していく、あるいは資金を得るための重要な視察になる予定だった。
ラックウェルまで来てもらって、『出来ませんでした』という事態は何としても避けたい。
「……走行試験は嵐が抜けた後に出来ないかな」
「機関室の試運転は間に合うからそれは出来るが……、二日は遅らせる必要があるだろう」
「だけど、ゲストたちはどうする、アイザム? 二日も追加でもてなせるか?」
兄が不安げに言う。
その点が問題だった。実家は広いが、女主人である母ひとりが帝都からのゲストをもてなすのは無理であろう。
ホテルは延泊が可能としても、煌びやかな暮らしをしている有力者たちをこの田舎で二日間も宿に閉じ込めておくことは出来るのだろうか。
いや、出来るかもしれないが、何もせず放置というのは問題だと、帝都暮らしの短いアイザムでもそう感じた。仮に走行試験が成功したとしても、ゲストたちからの印象が良くないだろう。
逆に言えば、嵐を乗り越えてゲストたちを満足させることが出来れば、今後の展望に繋がる。
だが、どうやって? と下を向いたところで、彼女の顔が頭に浮かんだ。
「シェリ……」
自分は無理でも、頼れる人物がいる。
アイザムは顔を上げた。
「父さん、うちの執事を呼んでもいいか? 電報を使わせてほしい」
「それはいいが……、執事?」
「帝都の屋敷で雇ってるんだ。そいつなら何とかしてくれる」
「でも、間に合うか?」
「そいつは車の運転が出来る。馬車で二日かかるところを車で来られるから間に合うはずだ」
「いいぞアイザム、急げ、車使え」
兄から車のキーを受け取り、また暗闇を駆けて本社に向かった。
少し前から広がってきた電報事業は、政府や報道、鉄道関係者に利用が限られており、イースト・ノーザン・レールウェイにも割り当てられていた。本社から各駅拠点、それから帝都の事務所にも繋げているのだ。
明日朝にスコットからシェリに連絡し、シェリがすぐに車で出てくれればゲストたちよりも少し早く着くことが出来るはずだ。
間に合ってくれと祈りながら、アイザムは帝都の事務所に向けて電報を打った。
♦
「遅くなりました、アイザムさま」
「シェリ……」
久しぶり──でもなく、たった数日ぶりなのに、シェリの顔を見たアイザムは心からほっとして涙が出そうになった。
『遅くなりました』とシェリは言ったものの、想定していたよりもずいぶん速い。
電報を受け取ってから本当にすぐ出て来てくれたのだろう。いつものスーツ姿で手荷物は最低限。帝都からのゲストは数時間後には到着するはずだ。
アイザムたちは嵐が来る前に試運転を終わらせるため、夜通し交代で作業に当たっていた。
試運転自体はなんとか終え、問題なく走行試験を迎える準備は整っている。
他の社員は走行試験本番まで休むが、アイザムはそうはいかない。走行試験までの二日間、ゲストをもてなさなければいけないからだ。
アイザム自身も疲労困憊だ。
しかし、シェリが来てくれたのでなんとかなるという自信と安心感で満たされていた。
「本当に急にごめん。来てくれてありがとう。時間がないから端的に言うと、明日嵐が来て走行試験は二日後に延期になった。帝都からのゲストを二日間もてなさないといけない。力を貸してくれ」
「かしこまりました。お客様のリストはございますか?」
「ある」
シェリはゲストリストをじっくり見てから顔を上げた。
「ホテルの延泊手配はお済みですか?」
「済んでる。ラックウェルで一番良いホテルを予約してある」
「明日はホテルに籠ることになりますね。事情を話して、部屋食ではなくラウンジかバーを借りられるか確認します。お相手頂くのはアイザムさまの他に、ご親族がもう一名はいらした方がよいかと」
「仮眠をとった後なら、父か兄が来られるはずだ」
「よろしいと思います。翌日は晴れるでしょうから外に出ましょう。こちらの地域だと外での娯楽はなにがよろしいですか?」
質問を重ねてから、シェリは綺麗な字で紙にまとめた。
明日はホテルに留まって、日中はカードゲームやビリヤードで時間を潰し、夕方からバーを貸し切って懇親会とすることとした。
その翌日はゲストの希望を聞きつつ、外で馬に乗って散策。昼食は屋敷で摂り、車両基地の見学や会社案内をすることになった。
てきぱきと物事を決めていくシェリに、アイザムは正直、感動していた。
急に知らない場所に呼ばれて、主から無理難題を押し付けられても落ち着いて対応、判断が出来るこの優秀さ。
金目当てだとしても、アカデミーからうちを受けてくれてよかった。シェリを採用して本当によかった。
「もうじきゲストがお着きになりますね。私はホテルの方で相談して……、アイザムさま? 大丈夫ですか?」
「アッ……、大丈夫です」
シェリをうっとりと見つめていたら聞いていないのがバレて目が合った。
綺麗な栗色の瞳を真正面から見てしまい、慌てて目を逸らす。思わず、どきどきしてしまった。
「ではアイザムさまはゲストの皆様のお出迎えをお願いいたします。私はホテルの方でお待ちしておりますので」
「分かった、よろしく」
手早く片付けて、立ち去ろうとする背中に「シェリ」と声をかけた。
シェリが立ち止まり、無言で振り返る。
「シェリ、来てくれて本当にありがとう、助かるよ」
「仕事ですから」
クールだなあと思って苦笑したら、シェリもわずかに笑った。
「……でも、鉄道に乗ったのは初めてで、来るだけでも少し楽しかったです」
「それならよかった。旅費は後ほど。臨時給与を弾むよ」
「期待しております」
シェリは嘘をつかない。
ほんの少し漏らした珍しい彼女の気持ちに、アイザムは嬉しくなった。