2. 愛想がなくても十分
女執事として迎え入れたシェリは、アカデミー首席の名の通り非常に優秀だった。
シェリ以外の使用人、例えば家政婦や料理人、それから庭師を雇い入れたい旨をアイザムが告げると、早速求人と面接を手配した。
どうやらアカデミー卒業生の伝手があると人材紹介所で融通されるらしい。
あっさりと良い人物が決まり、屋敷には通いの家政婦エルダと、二日に一回、料理人が来るようになった。
逆にシェリからは侍女が必要かどうか問われたが、それは断った。
まだ妻を迎える具体的な予定はないし、自分のことは自分でできる。今のところ身軽に動けるようにしておきたい。
さらに、庭師が庭を整えて屋敷の装飾を行えば、がらんとしていた屋敷は急に由緒あるような雰囲気に変わった。
「へぇ、大したもんだなあ。アカデミー卒というのは」
「だろ」
アイザムは屋敷とは別にイースト・ノーザン・レールウェイの事務所を構えており、毎日自動車で通っている。
シェリは車の運転も出来ると言ったが、それは断った。自分で運転したいからだ。
今日は、事務所に出ていた技術者スコットが屋敷を見たいというので連れてきた。
ふわふわの一人がけソファに大きな体を縮め、華やかな陶器の茶器を慣れない手つきでスコットが扱う。現場仕事が多い技術者の荒れた指が触れている様子がなんとも可笑しい。
「取手が華奢で壊しそうなんだけど」
「何言ってんだ、もっと繊細な作業してるだろ」
イースト・ノーザン・レールウェイは国の東方、ラックウェル地方の交通網をメインで抑えている。
よって本社はラックウェルにあり、社員はもちろん、父や兄の経営層・技術者もラックウェルにいる。
帝都の事務所は都市部での活動の拠点であるが、今のところアイザムとスコット、事務員が数名のみ。
二人は事業拡大のために期待を込めて送り出されてきたのである。
「そう言ったってなあー、やっぱりこんな都会は慣れないぜ。皆と図面見てるほうがよかった」
「俺だってそうだけどさ」
帝都で求められている仕事といえば、端的にいえば資金集めと人脈作りである。
貴族や商社と繋がりを持ち、資金提供を受け、鉄道に限らず今後の新規事業に繋げるというのがアイザムたちの使命だ。
そのため今後社交界への出入りも踏まえ、屋敷を準備し、使用人を揃えた。
しかしながらアイザムとて元々は技術者である。現地視察し、図面を引き、資材調達から工事まで対応する日々であった。
磨かれた食器や色とりどりの花に囲まれる生活にはまだまだ慣れない。
「そうだアイザム、事務所に届いてた。夜会の招待状」
「おっ」
アイザムはスコットから封筒を受け取った。
すべすべの手触り。父の伝手で知り合った商社経営者からの、初めての夜会の招待状だ。
「商社の連中もたくさん来るらしいからな。しくじるなよ」
「分かってるよ。……っつっても、服をどうするか……」
「アカデミー卒に頼めばいいだろ」
「いや、いくらなんでも」
軽く言うスコットに対し、アイザムは呻いて体をソファに沈めた。
社交界では相手の見た目、身に纏っている衣類、気品、マナーなどで評価されると聞く。もはや気品は仕方ないにしても、衣服は金を払えば手配可能だ。
上流階級の人間は、その衣服を見れば、そのブランドが分かるのだという。そしてそのブランドの価値や特徴が身の丈に合っているかどうかが非常に重要になると。
例えば、貴族の子息が庶民でも着るようなブランドを着ていればおかしな目で見られるし、反対に庶民が国内最高メゾンの服を着ていれば嘲笑される。
以上が、アイザムが大衆紙で得た情報である。
しかしアイザムが懸念しているのはそれ以前の話であった。
そもそも、服飾ブランドを知らないのである。
「どのブランドだと妥当か」を考える以前に、ブランドを知らない。
ラックウェルで着ていたのは汚れてもいい普段着か、油にまみれた作業服。自分が非常にその方面に疎い自覚がある。
「アカデミー卒でないとしても、女性なら色々詳しいだろ」
「そういうことじゃないんだよ」
「?」
「いいかスコット、普通の上流階級の主人であれば執事にきっとこう言うんだ、『一番街からメゾン・エルジェを呼んでくれ』って」
「うん」
「だがな、俺は自分に何が合うかも知らなければそもそも店を知らない。シェリに『俺に似合う服飾店を呼んでくれ』と正直に言うか? 執事だぞ? それは執事の仕事の範囲内か? うちへの就職を後悔するかもしれない」
スコットがアイザムに呆れた目を向けた。
「ダセェのは仕方ないだろうよ。執事に見栄を張りたいなら、それこそ一番街から店を呼べ」
「無理に決まってるだろ!」
とはいえ、スコットの言う通り悩んでいても答えは出ないのは明白。
彼を帰らせた後、仕方なくアイザムはシェリを呼んだ。
「悪いんだが……、夜会に出なければならないので服を見繕ってくれないか」
「かしこまりました。ご指定の店はございますか?」
一瞬答えに詰まり、目を逸らす。
「…………それが、店を知らなくて……、面倒をかけて悪いんだが、無難な店を選んでくれないだろうか」
「かしこまりました」
間を置かず瞬時に返ってきた綺麗な声に、アイザムは顔を上げて目を丸くした。
ひょっとしたら呆れられるか笑われるかと思っていたが、シェリはいつも通りの無表情である。
「で、できるの?」
「少々お時間を頂ければ」
少々、と言ったものの、シェリの仕事は速かった。
数日後、部屋には三着の燕尾服が並べられていた。
「いずれも二十代から三十代の紳士を対象とした店です。トップメゾンからワンランク下ですが仕立ては良いです」
「わざわざ取り寄せてくれたのか? 俺が店に行ってもよかったのに」
「お忙しい中出向く必要はございません。これらは見本として取り寄せた既製品ですが、オーダーメイドで仕立てた方がよいかと」
「なるほど……」
「お好みがあるかと思います、どれがよろしいですか?」
並べられた服にもそうだが、アイザムは有能な執事に感動していた。
アイザムはぽっと出の成金平民なので、前述の通りあまりにもハイブランドの服を着ては白い目で見られるであろう。
しかしながら、シェリはアイザムが抱えていた懸念も理解した上で店を選んでくれたのだ。
「シェリ、ありがとう!!」
細い手をがしりと掴んで礼を言うと、珍しくシェリが目を瞬かせた。
「本当に何を選べばいいか分からなかったんだ。しかもそんな子どもみたいなことを執事に依頼するのも申し訳なく思っていて」
「お役に立てたようで光栄です。で、服はいかがしますか?」
「そうだ」
並べられた服を見て、一番惹かれたものに手を伸ばした。
他のものと違い、ボタンがシンプルだし、全体的に線が細くて好きだと思ったのだ。
「そちらの店のオーナーはアイザムさまと同年代の若い方です。最近帝都に出てきて、紳士服を中心に評価が伸びてきています」
「これにしよう」
オーナーの背景が自分に近いのもいい。
アイザムはそのブランドで仕立てることにしたものの、夜会まで時間が無い。とりあえず今回は既製服を購入し、近日中に店に行って仕立てることにした。
♦
初めて出席した夜会からしばらくして。
屋敷の応接室で、アイザムは得意げに笑みを浮かべていた。
机の上には、多数の封筒が重ねられている。事務所からやって来ていたスコットが目を丸くした。
「おおお、すげぇ数じゃないか、アイザム!」
「ふふふ」
「おー、こっちはサムス商会の懇談会」
「ふふん」
「おっ、こっちなんか貴族の夜会だぞ!」
「はっはっは! すごいだろ!! 招待状でポーカーでもするか?」
初めて出席した商社の夜会。
首尾は上々であった。
アイザムは主催者である父の知り合いに関係者を紹介してもらいながら、イースト・ノーザンの名を織り交ぜて自らを売り込んだ。
シェリの選んだ燕尾服に身を包み、アッシュの髪をきちんと撫でつければ、見た目だけはやり手の青年実業家のように見えただろう。元々、容姿も褒められることが多い。
酒に弱くはないし、カードゲームやスポーツなど一般的な知識は豊富で会話の守備範囲は広い。
仕事だと割り切れば初対面の人間との世間話は得意だ。さらに本業の話ならば、第一線にいたので言うまでもなく。
こういったところも、一族の中で帝都での調整役に選ばれた要因だろう。
出席者の名前や立場を覚えて会話を重ねれば、自然と「じゃあ今度ある会合に来る?」と誘いをもらう。
結果、屋敷や事務所に招待状の類の郵便が激増した。
「さすが。お前、人当たりはいいもんな」
「ふっふっふ、スコット、これから忙しくなるぞ……」
「お前はな。そんでこれが仕事に結びつけばいいけど」
「うっ」
確かにスコットの言う通りではあった。
人脈を広げるという目的は第一段階で、本来の使命はそこから新たな事業や出資者を募ることだ。
「で、でも出だしはいいだろうが。顔を広げないと商談も出来ない」
「もちろん、すげえよ。アカデミー卒にも感謝だな……っと」
扉がノックされ、スコットが言葉を切った。
ティーセットを運んできたシェリが、アイザムとスコットの間のテーブルに完璧な動きで配膳する。
「ありがとう」
シェリが目礼だけして下がろうとしたところで、スコットが声をかけた。
「君、シェリっていった?」
「おい」
スコットがいきなりなにか失礼なことでも言い出すのではないかと思わず止めたが、シェリが「はい」と姿勢を正す。
「俺はこいつの同僚なんだけど、君みたいないい子が来てくれて本当によかったよ。色々無作法なところもあるけど、これからもよろしく頼む」
「お褒め頂き光栄です。こちらこそよろしくお願いいたします」
美しく頭を下げ、シェリが応接室を出て行くのを二人で目で追う。
体にぴったり合ったスーツの後ろ姿を見て、そういえばシェリはどこのブランドの服を着ているんだろうとぼんやり思った。従業員の被服費は支給だが、詳細まで把握していないのだ。
扉が閉まって、アイザムと顔を見合わせたスコットは肩を竦めた。
「なんつーか、人間味ゼロだよな。お前、主人として執事が機械仕掛けみたいなのでいいわけ?」
「えっ、いいもなにも、めちゃくちゃ助かってるんだが……」
「どうせ女なら、もう少し愛嬌ある方がよくねえ?」
「お前が雇用主としての適性が無いことが今の一言で分かった」
「なんでだよ!」
ともあれ、帝都での仕事については、有能な女執事のおかげで出だしは順調である。