1. 女執事
アイザムは手元の紹介状から、目の前に姿勢良く立つ人物に視線を移した。
──女性のように見える。
キャラメル色の前髪は斜めに流し、後ろで乱れなくまとめられている。綺麗な額が理知的だ。
色素の淡い茶色の瞳に長い睫毛が影を落とす。
体にぴったりのスーツ姿だが、線は細い。男とは明らかに違って、肩が華奢である。
アイザムは無意識に相手の体を視線でなぞろうとして、気付いてやめた。
相手の性別が何であろうと、初対面の人に対して不躾すぎる。
アッシュの髪を無造作にかきあげて、それから改めて手元の紹介状に目を落とした。
シェリ・エマーソン、二十三歳。
女性名だ。
「うーん……」
アイザム・ノーザンは、イースト・ノーザン・レールウェイという新興の鉄道会社一族の次男、二十七歳である。
技術者一家であるノーザン家の中でも特に秀でていたアイザムの父は、海軍士官技師だった経験を活かし、東方地域の物流網発達のため、息子たちと協力して鉄道会社を立ち上げた。
経営は順調であるが、新しい鉄道会社が乱立する中、アイザムは事業をより拡大するため帝都にやってきた。
そして屋敷を構えるにあたり、帝都での活動で自身の右腕となる執事を探しているのである。
本当は、それなりにベテランで実務経験のある優秀な執事を他家から引き抜きたかった。
しかしながらこれから帝都で活動するにあたり、執事を抱える貴族と下手な軋轢は生み出さない方がよい。
そのため、執事を養成するアカデミーに新卒生の紹介を依頼した。
結果、やって来た性別不明の人物と面談している真っ最中である。
アカデミーに依頼した条件は、『成績優秀者』というもののみ。
紹介状には『首席』と記されている。
そして性別はそもそも記載欄がない。
つまり、アカデミー側は依頼通りの学生を紹介してくれている。
悩んでいても仕方ないので、アイザムは思い切って聞くことにした。
「あの……、失礼だけれど、女性?」
「はい」
女性だった。
凛とした声で答えられ、アイザムは俯いた。
女性がダメなわけではない。予想外だっただけだ。
職業婦人は増えてきたものの、この国ではまだ男女で職務が別れている。
屋敷の中の使用人において、主人を支える執事は基本的に男性、女性の仕事は家政婦や侍女であることがほとんどなのだ。
だから、アカデミーからの紹介も当然男性だと思い込んでいた。
アイザムが執事の役割として思い描いていたのは、自分の相棒だ。
帝都における自分の代理。おそらく苦難が多いであろう今後の仕事において、助け合い、励まし合える相手。
女性で大丈夫なのだろうか。イメージできない。
アイザムは咳払いし、顔を上げた。
「ええと、アカデミーの卒業生には他にも女性が?」
「今年度の卒業生七十八名のうち、女性は私一人です」
「なるほど……、うちの面談を受けてくれたのはなぜ?」
シェリは間をおかずに答えた。
「御社の事業に共感したからです。これまで公共福祉が届きづらかった地方にも物流網を形成するという」
「調べてくれた?」
「はい。執事として間接的にでもそのお手伝いが出来ればと思い、志望いたしました」
近年、アカデミー卒の執事の需要は高く、卒業生は引く手数多。さらにその中でも唯一の女性で首席。
イースト・ノーザン・レールウェイのことも調べている。優秀なのは間違いなさそうだ。
どうしようかな、とアイザムは椅子の背にもたれた。
買ったばかりの新しいものだ。革張りのそれは、アイザムが体重をかけても音も立てない。
想像していた相棒像とは違うけれども、このまま雇おうか。有能なら文句はない。
女性ということで気を遣うことは必要かもしれないが、先ほどから無表情で微動だにしない雰囲気からは、少なくとも一部の女性に見られる感情的な面は微塵も感じない。
だが、雇うにしても制約は必要だろう。
「ひとつ、約束して欲しいことがある」
「はい」
「俺に対しては嘘をつかないでくれ」
「かしこまりました」
すぐさま返ってきた応えに満足して頷いたアイザムは、紹介状を閉じた。
立ち上がり、右手を差し出す。
「それじゃあうちで働いてくれ、よろしく、シェリ」
「よろしくお願いいたします、旦那さま」
手袋に包まれた手で柔らかく握り返されたが、「うん?」と首を傾げた。
今の呼び名は、ちょっと。
「旦那さまはやめてくれ。なんか違和感が」
「では何とお呼びしたら?」
「……アイザムで」
「かしこまりました、アイザムさま」
年下の若い女性から旦那さま呼びされるのはむずむずする。気持ち悪がられそうで言わなかったが。
上流階級の育ちではないのでアイザムさま、と呼ばれたことも今までなかったが、まあそのうち慣れるだろう。
面談は終わり、とアイザムがシェリを見送ろうとしたところで、彼女は足を止めた。
「なに?」
「アイザムさま、雇用契約を結ぶ前ですが先ほど嘘をついたので、念のためお詫びを」
アイザムは眉を顰めた。
「なんだよ早速」
「先ほどの志望動機は嘘です。本当は、高額な給与目当てです」
思わずずっこけそうになったが、正直なところは良い。
それから、きちんと主との約束を守るところも。
アイザムは苦笑してシェリの肩を叩いた。
「話が早くて助かるよ、これからよろしく」