バレンタインデーを控えた女性軍人
1枚目と2枚目の挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
そして3枚目の挿絵の画像を作成する際には、ももいろね様の「もっとももいろね式女美少女メーカー」を使用させて頂きました。
空からは白い粉雪が舞い降り、街には北風が吹き抜ける。
そうした具合に南近畿地方には珍しい程に冷え込んだ、二月初頭の月曜日。
私こと園里香上級大尉は、普段と同じように配属先である陸軍信太山駐屯地へ登庁したの。
この信太山駐屯地は大日本帝国陸軍第四師団隷下の陸軍女子特務戦隊の専用基地で、最高指揮官であらせられる天王寺ルナ閣下から兵卒に至るまで女性軍人だけで構成されているんだ。
そんな環境も相まってか、バレンタインデーも間近に迫った今時分になると随分と賑やかに活気付くんだよね。
「御早う御座います、園里香上級大尉!差し出がましい質問で恐縮ではありますが、バレンタインの日に上級大尉殿へプレゼントを献上致してもよろしいでしょうか?」
「御心遣い感謝致します、北加賀屋澄乃少尉。とはいえ貴官も部下達に義理チョコを配る立場なのですから、私にはあまり気を遣わなくても構わないのですよ。貴官の誠意と真心は、常日頃の忠節振りに自ずと現れているのですから。」
腹心の部下である士官の子に笑い掛けながら、私はバレンタインに浮かれる部下達の遣り取りを静かに見つめていたの。
部下や上官への義理チョコに、同期生同士で交換する友チョコ。
そして当然、想い人への愛を込めた本命チョコだって考えられるだろうね。
御国の為とあれば死をも厭わぬ覚悟を決めているけど、乙女としての輝かしい青春も決して粗末にはしない。
そんな我が大日本帝国陸軍女子特務戦隊に特有の気風を改めて実感させられるのが、バレンタインシーズンを前にした喧騒なのだろうな。
−士官学校へ入学した時にも感じた事だけど、まるで女子校みたいな賑やかさ。良い意味で、あの頃と何たも変わらないなぁ…
ふと脳裏に過った考えに、思わず口元が緩んでしまう。
やはり私は、この大日本帝国陸軍女子特務戦隊の気風が好きなんだろうな。
こうして士官や兵卒の子達が楽しそうにしているのを聞いていると、まだ私が士官学校を出たばかりの新米少尉だった頃を思い出してしまうよ。
だからこそ、あの時と異なってしまった点が一層に際立ってしまうんだろうな。
−でも、何から何まで同じという訳じゃない。今では民間人に戻った美衣子ちゃんも、あの頃は私と同じ軍人だった。
戦場での凄惨な記憶から逃れる形で家業の和菓子屋を継いだ同期生の事を思い出すと、この場にいない寂しさが自ずと募ってしまう。
もしも軍に留まっていたなら、彼女は今頃「四方黒美衣子上級大尉」と呼ばれていたのだろうか。
だけど、美衣子ちゃんの場合はまだ良かった。
事前にアポを取って奈良町に出向けば、あの時と同じように直接顔を合わせて笑い合えるのだから。
もう一人の友達の場合は、今やそれすら叶わないのに。
−それに誉理ちゃんだって、あの頃はまだ生きていた…
岸和田で生まれ育った同期の桜は、熾烈を極めたモスクワの戦場で呆気なく散ってしまった。
戦死に伴う二階級特進によって「友呂岐誉理大尉」となった戦友は、もし生きていたなら今頃は何処まで昇級していたのだろうか。
そう思うと、ネガティブな考えが沸々と湧き出してきてしまう。
あの戦争で殲滅した敵への怒りや憎しみと、戦友を救えず生きながらえてしまった自分への不甲斐なさと。
今更考えても、詮無き事だけど。
そんな私の不毛な思考に終止符を打ってくれたのは、怖ず怖ずとした問いかけの声だったんだ。
「あっ、あの…園里香上級大尉?」
「うっ?!」
我に返って視線を上げると、顔馴染みの士官が不安そうな面持ちで私の顔を覗き込んでいたの。
「いかがなされましたか、園里香上級大尉?随分と険しい御顔でしたが…」
「アハハ!大した事ではないのですよ、太秦キネミ少尉。この所は何かと働き詰めでしたからね…」
笑って誤魔化したものの、咄嗟についた嘘に胸が痛くなってしまった。
とはいえ太秦少尉に打ち明けた所で、この無関係の少女士官を困惑させるばかりで何の意味もないだろう。
そんな時にどうすれば良いのか、私にはよく分かっていたんだ。
例の一件から数日後、休暇を取って近鉄線に乗り込んだ私が一路目指したのは、堺県の古都である奈良市だったんだ。
目抜き通りである三条通を十分も南に進めば、真っ赤な身代わり申の吊り下げられた町家が軒を連ねる奈良町の歴史情緒溢れる街並みが見えてくるよ。
この寺社仏閣と町家が仲良く共存する奈良町の一角で看板を守る老舗和菓子屋の「四方黒庵」こそが、此度の奈良行きの目的地だったんだ。
「そういう訳で、久々に美衣子ちゃんの顔を拝みたくなったんだよ。悪いね、跡取り娘として何かと忙しい身の上だってのに。」
「水臭い事は言いっこなし。私で良かったら何時でも気楽に遊びに来てよ。私と里香ちゃん、士官学校以来の友達じゃない。」
和菓子屋の奥に設けられた来客用の座敷で再会した旧友は、昔と同じ気さくな笑顔で出迎えてくれた。
だけどその装いは、「四方黒美衣子少尉」と呼ばれていた軍人時代とは似ても似つかぬ和服姿だったんだ。
除隊当時はぎこちなかった和服を見事に着こなすなんて、美衣子ちゃんも四方黒庵の若女将としての自分に慣れてきたって事だね。
あれから八年も経ったんだもの、それも当然だよ。
「そう言ってくれるとホッとするよ、美衣子ちゃん。ここ最近は、私の事を下の名前で呼んでくれる人も少なくなっちゃったからね。『園里香上級大尉』と呼ばれる機会の方が、断然多いんだ。」
「もう八年になるんだよね、誉理ちゃんが戦死してから。兵舎で三麻や花札に明け暮れたのが懐かしいよ。」
故人を偲びながら啜る緑茶は、普段よりも一層に苦く感じられた。
そんな重苦しくなり始めた空気を変えようと、美衣子ちゃんは新商品の和菓子を茶請けに勧めてくれたんだ。
「うちでもバレンタイン商戦に乗ってみようと考えてね。食べてみてよ。」
「へえ、チョコレート大福かぁ。和洋折衷とはお洒落だね…」
モチモチとした食感の大福生地を噛み砕けば、口の中一杯に香ばしいチョコレートの風味が広がってくるよ。
洋の東西の味覚を備えたチョコレート大福は、予想以上に美味しかったんだ。
「うん!良いじゃない、美衣子ちゃん!このチョコレート大福、誉理ちゃんの月命日の御供えに良さそうだよ!」
「そう言って貰えて嬉しいよ、里香ちゃん。何しろ例のチョコレート大福は、この私が試作したんだからね。」
謂わば美衣子ちゃんにとって、このチョコレート大福は手塩にかけた我が子も同然って事だね。
それならきっと、喜びも一入だよ。
「月命日の御供えに採用して貰えたのは光栄だけどさ、里香ちゃん。フィアンセへのプレゼントは、まだ決めてないの?お見合いパーティーで意気投合したっていう彼、かなりの良い男じゃない!」
「もう、美衣子ちゃんったら商売上手なんだから…よし来た!そういう事なら、もう一箱包んで貰おうじゃないの。二箱目はバレンタイン用だから、包装紙も華やかなのを所望するよ。」
商魂たくましい友人に笑い掛けながら、私は去年の陸海軍合同お見合いパーティーで知り合った婚約者へ思いを馳せたんだ。
第二海軍区所属の北中振善光大尉は堺警備府で事務仕事に従事している主計将校で、穏やかで実直な好青年なの。
結婚後も私が軍務を続ける事を快諾してくれた理解のある殿方だから、大切にしないとね。
仏教の世界に伝わる「愛別離苦」という言葉が指し示すように、大切な人との死別や生き別れは人生における不可避の辛い通過儀礼なんだ。
美衣子ちゃん達の除隊や誉理ちゃんの戦死は、私にとっては正しく愛別離苦といえるだろうね。
だけど別れの辛さがあるからこそ、出会いの喜びだって存在すると思うんだ。
北加賀屋澄乃少尉や太秦キネミ少尉みたいな先の戦争を知らない若い世代の士官達や、私には勿体無い程に理想的な婚約者である北中振善光大尉と出会う事が出来たのは、偏にこうして命を長らえる事が出来たからだよ。
そして仮に生き別れたり死別したりしてしまっても、こちらから投げ出さない限りは決して終わらないと思うんだ。
戦没者である誉理ちゃん達は護国の英霊となった訳だから、生きている私達が招魂の社へ御参りしたり月命日に偲んだりする事で、キチンと絆を保つ事が出来るじゃない。
除隊したけれども元気に生きている美衣子ちゃんとの縁に関しては、言わずもがなだよ。
そうして頂けた御縁を大切にする限りは、本当の意味での愛別離苦は訪れないと思うんだ。
年賀状や御歳暮といった季節の行事を「虚礼」と呼んで軽んじる風潮もあるみたいだけど、愛すべき人達と繋がり合える御縁の大切さは、軽々しく考えてはいけないんだね。
今回のバレンタインデーの一件で、その事を改めて実感させられたよ。
「そうだ、里香ちゃん!もしも里香ちゃんのフィアンセさんがチョコレート大福の事を気に入ってくれたなら、また来年も御贔屓にしてくれないかな?」
「はいはい、分かってますよ。全く、美衣子ちゃんったらシッカリしてるんだから…」
商魂たくましい和菓子屋の若女将には苦笑せざるを得なかったけど、少しも悪い気はしなかったの。
何しろ美衣子ちゃんとの友情も、私にとっては大切な御縁なのだからね。