第10話 風を継ぐもの
「大丈夫ですか?」
襲われていた女性にアビーが歩み寄り、服を拾ったり装備を手渡したりしている。
全裸マントのままって訳にはいかないしね。
それにしても間に合った良かった。
豚鬼が人間の女を性欲の対象として見るってのは知ってたけど、まさかミノタウロスもその類いだとは。
「なんとか。本気で助かったよ。もうダメだと思ったんだ」
ややハスキーな声だ。
「セシル。もう良いわよ」
アビーの許しが出たので、俺は改めて女性に向き合った。
「え?」
そして固まってしまう。
茶色く染めたセミロングの髪に、猫のような挑戦的な瞳。
背はやや低いが、それがむしろ敏捷さを感じさせる。
「レイナール……さん? 疾風レナ?」
「私のこと知ってるんだ」
「え? 有名人なの?」
「知ってるよ! ていうかなんでアビー知らないんだよ! そっちが驚愕だよ!?」
女性たちの言葉に頭を抱えちゃった。
超有名人だよ!
シーカーズチャンネルの人気投票で、いっつも上位にいるじゃん!
疾風レナに憧れて俺は風のセシルって名乗ってるし。アバターだって似せてるんだよ。
「あ、あの、握手してもらって良いですか? できればサインも」
「セシルがドルオタみたいになってる」
くすくすとアビーが笑う。
うっさいうっさい。
「いやあ、あたしの配信ほとんど形だけだったし、シーカーズチャンネルも見ないし」
「疾風レナだって配信はやってないよ。実力で……」
と、そこまで言って俺は気づいた。
カメラボールが配信を続けていることに。
「どぅわあああっ! 配信停止!」
慌てて命令する。
もう手遅れだけどね!
おそるおそるスマホを確認する。
そして左右から、アビーとレイナールのぞき込んだ。
自分の端末を使いなさいな。
この両手に花状態は、おもに俺の心臓が保たないって。死んじゃうって。
「ダメだったか……」
やはりレイナールの裸身が映り込んでしまっていた。
そして、ものすごい勢いで世界中に拡散されてる真っ最中だ。
こうなったらもう止めようがない。
「まあ、びーちくとか写ってないからセーフっしょ」
あっけらかんと笑うレイナール。
俺は海よりも深いため息をついた。
びーちくとかいわないでほしかったなあ。
憧れの女性が、こんな蓮っ葉っぽい態度だったらそりゃあ悲しいでしょ?
つらいでしょ?
「セシルは女の子に夢を見たい年頃なんだね」
半笑いで肩を叩き、アビーが慰撫してくれる。
「それにしてもコメ欄すごいね」
「みんなセシルを応援してるよ」
応援、でいいのかな?
視聴者は裸の女性がレイナールだって、けっこうはやく気づいてたっぽい。
戦ってるわけじゃないから、それだけ余裕があるってことなんだろう。
疾風レナじゃね? とか。
走れセシル! 爆速で確認するんだ! とか。
ミノは良いから裸を写せ! とか。
まーあ、勝手なコメントが流れてるよ。
走れ走れってのが応援ならそうだろうけどさ。こいつらあきらかにレイナールのヌードが見たいだけだよね。
だから俺がマントを外して、それをレイナールが身につけて肌が隠れたときには非難囂々!
まさに憎しみで人が殺せたらって感じ?
「そんなに私の裸が見たいなら写真集を買ってくれればいいのにね!」
「そんなの出してるんですね」
「人気のあるウチに形に残しておこうと思って!」
「度胸ありますねえ」
レイナールとアビーが盛り上がってる。
ダウンロード販売を含めて百万部以上売れてるんだ。
ほんとに見せられるぎりぎりまで見せてる感じで、そりゃもう刺激的な内容なんだよ。
ヌード写真集なんか目じゃないくらい。
「セシル、ほしいんじゃない?」
「…………」
からかうアビーに黙り込む俺。
言えない。
持ってるとは言えない。
見る用と保存用と布教用の三冊持ってるなんて、言えるわけないじゃない。
「しっかし私も焼きが回ったね。ミノごときに追い詰められるとは」
やれやれとレイナールが肩をすくめる。
疾風レナのスフィンクス討伐といえば伝説級のバトルだ。
そんな強者がミノタウロスごときに後れを取るなんて、ちょっと想像の外側である。
「体調でも悪かったんですか?」
「古傷も痛むし、あちこち限界なのよ」
俺の問いに、ちょっとだけ寂しそうに笑う。
彼女にとってミノタウロスは余裕で勝てる相手だった。
もちろん油断しなければって意味でね。
ところが戦闘中に異変が起きてしまったという。
具体的には左足に激痛が走ったんだって。
そんで踏ん張りがきかなくなったところに一撃もらって、あとはずるずると敗勢になってしまった。
もしミノタウロスが性欲に支配されていなかったら、俺たちが到着する前に殺されていただろう。
運が良いのか悪いのか。
「弓を置くときってやつかもね」
「そんな寂しいこといわないでくださいよ」
まだ二十代の半ばじゃん。
「珍しい話じゃないでしょ」
「そうですけど……」
探索者に定年はない。
けど、四十代五十代になっても現役っていう人は滅多にいない。むしろ三十を前に引退する人がほとんどだ。
「モンスターに負けて新人に助けられる。道を譲る良いタイミングだと思うよ」
そう言って、レイナールが俺に剣を差し出した。
鞘ごと。
「霊刀レラカムイ……」
疾風レナの代名詞ともいえる一振りだ。
「きみに使ってもらえるとありがたいな。私と違って、こいつはまだまだ戦えるから」
あっけらかんとしたものだが、焦げ茶の瞳にはやはり悲しみと寂しさが同居しているように見えた。
まだやれる。まだ戦える。
そんな叫びが聞こえる気がした。
だけど、だからこそ、俺は両手で剣を押しいただく。
無理をして戦い続けるのは、レイナールの命を縮めることになってしまうから。
ダンジョンはいつだって供物を要求し続けているのだ。
「頂戴します。疾風レナ」
「あとは任せたよ。風を継ぐもの、風のセシル」
風の神を手渡し、レイナールはぽんと俺の肩を叩いた。
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