第9話 ミノタウロス
駆ける駆ける。
ダンジョンの中で走るのって、本当はあんまり良くない。
どんな危険があるか判らないから。
ぶっちゃけ、足下にロープが一本張られてるだけで大惨事だ。だけど、悲鳴が聞こえてるのにのんびり歩いてるわけにいかないよな。
義を見てせざるは勇なきなり、なんて論語の一節を持ち出すまでもなく、助けを求めてる人がいるんだから助けるべきだ。
ましてここはダンジョン。
探索者同士が助け合わなかったら、誰が助けてくれるって話である。
「セシル! 魔力の反応が大きくなってる! 大物よ!」
少し遅れて走るアビーの言葉。
十五階層だからね。ここにいる探索者は弱くない。というより、全員が俺より強いって言い切っちゃって良いほどだ。
十階層のボスを超えて進むってのは、そういうことなのである。
そんな強者が悲鳴を上げるんだからよほどの強敵だろうし、よほどの状況だろう。
「いた!」
仄明るい回廊の先、牛頭魔人の巨大な姿が見える。
そしてその足下には裸の女!?
周囲に散らばってるのは服とか装備品っぽい。
ひん剥かれたのか!?
「やめろこのクソ野郎が!」
俺は怒鳴り声を張り上げる。
汚らわしい魔人の手が、いまにも女の裸身にかかりそうだったから。
くっそ。
まだ遠い。
「意思もちて踊れ地竜のアギト! 疾く走れ! 地竜牙! 乗ってセシル!」
詠唱とともに生まれた魔法が、まるでスケートボードのように滑ってきた。
こういうこともできるのか!
飛び乗れば、さらに加速する。
ミノタウロスまで瞬く間だ。
「その女性から離れろ! 牛タン野郎が!」
たぶん時速でいうと五十キロ近く出ているだろう。
勢いのままに剣を振るう。
ものすげー音とともに、ミノタウロスが戦斧で受け止めた。
ていうか、それ片手で扱うようなもんじゃねーだろうが。常識ってもんを、どこの焼肉屋に忘れてきたんだ。てめーは。
それでも速度の分こっちの勢いが勝り、ミノタウロスは大きく後ろに跳ぶ。
よっし。
五メートルほど間合いが空いた。
「逃げろ!」
言葉とともに、俺は左手で身につけていたマントの留め金を外す。
ふうわりと落ちる布。
身体を隠すのに使ってくれという意味だ。
本当はちゃんと身体にかけてやったほうが良いんだけど、とてもそんな余裕はないから。
視線はミノタウロスから一ミリも動かせない。
目をそらした瞬間に襲いかかってくるのは、火を見るより明らか。
アビーが戦域に入るまで、俺一人でこいつの相手をしなくてはいけないのだ。
「ふー、ふー」
にらみ合っているだけなのに、徐々に息が上がってくる。
プレッシャーがすごい。
頬を伝う汗がぽとりと落ちた。
ミノタウロスが動く!
五メートルの距離が一瞬でゼロになった。
横殴りの一撃。
サイドステップでは回避できない。かといって受けたら腕ごと持っていかれるだろう。
上体を反らすか、かがむか。
選択肢は二つ。
しかし、それを無視して俺は前に出る。
ミノタウロスの攻撃半径の、さらに内側に。
互いの息がかかるほど接近する顔。
ウシの目に、わずかな戸惑いが浮かぶ。
そりゃそうだろう。
こんなに接近してしまったらなにもできない。
お互いにね。
だけど、じつはちゃんと意味があるんだよ。
長柄の武器を振り回した場合、先端部に行くほど危険な威力になる。鞭なんかも同じだけどね。
反対に、支点になってる場所ってのは動きも小さいものなんだ。
「よっと」
俺は空いている左手をミノタウロスの腕につき、勢いに逆らわずに跳んだ。
ふたたび開く間合い。
また五メートルほど。
自分で跳んだとはいえ、こんなに飛ばされるんだもんな。
なんてパワーだよ。
ミノタウロスが吠え声をあげて突進する。
軽業のような俺の行動に腹を立てたのだろう。
「ただの曲芸、じゃないんだよ」
「意思もちて踊れ水竜のアギト! 貫け! 水竜牙!」
飛来した魔法がミノタウロスの胸に突き刺さる。
透明な水の槍。
どんどくと流れる血が槍を赤く染めていった。
なにか理不尽なものを見るように、紅の槍を見つめる牛頭魔人。
あんたの存在に比べれば、理不尽でもなんでもないんだけどな。
たんに位置関係の話なんだから。
正面から斬り合った俺をミノタウロスは左に吹き飛ばした。圧倒的なパワーでね。
勝利を確信したかもしれない。
でも、俺の後ろから走って戦域に近づくアビーから見たら、この状況ってどうだと思う?
ミノタウロスまでまっすぐに視線が通り、しかもそのミノタウロスは戦士の軽業に挑発されてしまっている。
「ここまでちゃんと狙いを定めて撃てるなんてね。あなたがバカで良かったわ。ウシ魔人さん」
左手を前に右手を後ろに。
まるで弓弦を引き絞るような姿勢で、アビーがうそぶいた。
正面から撃ったんじゃ抵抗されたり防御されたりするから工夫を凝らす。
床や天井から生やしたりね。
余計なことをしないで真正面から最大の威力でぶつけたんだから、威力だって普段よりずっと上。
がくりと両膝をつくミノタウロス。
「納得できたかい? ではごきげんよう」
狙い澄ました俺の斬撃が、牛の頭を切り落とした。
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