8 帰宅
領地での療養を終え、王都の屋敷に戻ってすぐに、私は神殿へ行く準備をした。
領地で雇った家庭教師から礼儀作法を学んだ今の私は、誰が見ても完璧なリリアーヌだ。両親さえも騙せている。でも、ここにはいたくない。
「なぜ急いで神殿に行く必要がある? もう体は大丈夫なのか?」
父の心配する声に、私は笑顔を作る。口角をあげて口だけで微笑むリリアーヌの完璧な笑顔だ。
「体調はとてもいいのよ。だから、一刻も早く聖女になりたいの」
私が閉じ込められていた地下室は、跡形もなくなっていた。隣のワインセラーも書庫も全てが改装されていた。
ジュエのことを知る使用人は誰もいない。執事も、庭師も、下働きの召使いさえも全て入れ替わっていた。
あの、忌々しい運動用の迷路までもが壊されて、今はガーデンパーティ用に整えられた庭になっている。
それでも、思い出してしまうのだ。この場所の空気や匂い、黃薔薇の香りが、ジュエだった自分を苛める。
そして、いつも付きまとって心配する母も厄介だ。
「リリアーヌ、本当に体はどこもおかしい所はないの? いつもと違うことはない?」
心配そうな顔で毎日そう聞いては、確かめるように私の顔や手をさすってくる。そして、私の顔を覗き込んで、瞳をじっと見つめてくる。
「もう、お母様ったら心配性なんだから。私のことよりも自分の心配をしてちょうだい。いつ生まれてもおかしくないのでしょう? 元気な赤ちゃんに会えるのを楽しみにしているのよ」
「ええ、そうね」
「私はもう大丈夫だから、これからは、生まれてくる赤ちゃんのことを一番に考えてあげてね」
こんな家、さっさと出ていこう。
母の腹部は大きく膨らんでいた。この中に赤子がいるの?
子供が生まれる前に出て行かなきゃ。赤子なんて見たくもない。私はずっと地下室に閉じ込められていたのに、生まれてくる子は愛されて育つの?
そんなの、許せない。
聖女になったら婚姻するまでは神殿に住む。希少な聖属性の聖女は、神殿の結界の中で守られるのだ。聖属性を持っていて、聖女になれることに今は感謝したい。早くここから逃げ出さなきゃ。
心配そうな顔をする母の横で、父は神殿から迎えに来た聖女に包み紙を渡した。
「聖女オディット、娘を頼んだぞ」
「もちろんです。侯爵様にはいつもお世話になってますから、今度は私がご恩をお返しする番です!」
一つに結わえたピンク色の髪を揺らして、元気よく応える聖女に目をやった。渡された包み紙には、金貨が入っている。
オディットは、我が家が金銭的に後見している平民の聖女だ。以前、私のやけどを醜いと言った子。
「よろしくお願いするわね」
不快な思い出を微笑みの下に押し隠して挨拶すると、
「任せてください!」
と無邪気そうな笑顔で返された。
彼女は今一番、次の大聖女に近いと言われている。平民なのに、治癒力の強さと侯爵家の後見を武器にのし上がっている。でも、私が神殿に入るからには、この子の時代は終わりよ。血筋も魔力も非の打ち所がない私が一番になってやる。
「とても楽しみだわ」
私は馬車5台分の荷物とともに、神殿へ向かった。