6 療養
魔力核の移植手術をしたら、リリアーヌはジュエになった。
こんな事が本当に起こりえるの?
でも、実際に自分の身に起こったことを否定できない。
なぜ、こうなったのか。あの黒髪の魔法医に問いただしたかったけど、できなかった。彼は報酬を受け取ってすぐに姿を消したそうだ。
私がしなきゃいけないことは、一つだけ。
絶対に、リリアーヌがジュエだってことを家族に知られないこと。
もしも、私がリリアーヌに成り代わってることがバレると、何をされるか分からない。
せっかくみんなに愛されるリリアーヌになれたのだから、この機会を無駄にはしたくない。これからは、みじめな地下室のジュエじゃなくて、聖女のリリアーヌとして生きていくのよ。
だから、私はしばらくの間、この王都の屋敷を離れて領地で静養することにした。
リリアーヌは生まれてから一度も領地に行ったことがない。
デュボア侯爵家の領地は、王都から離れた田舎にあるため、良い医者がいなかったからだ。
本物のリリアーヌを知るものがいないところで、完璧なリリアーヌになってやろう。
「リリアーヌ、手術したばかりで領地に行くのは良くない。ここで静養した方がいい」
「そうよ。リリアーヌ。お母様にあなたのお世話をさせてちょうだい。領地で何かあったらと思うと心配なのよ」
両親は領地へ行くことに反対した。
「この包帯の下は、魔力核の治療のせいで紫色になっているんでしょう? そんな姿を王都にいる方に見られたくないの。もしも、殿下や神殿長様がお見舞いにいらしたらどうしたらいいの? 包帯だらけで会うのは恥ずかしいわ」
そう言うと、両親はしぶしぶ領地での静養を許してくれた。
そして、二人ともついてこようとするのも断った。
「お父様は城でのお仕事があるでしょう? お母様は妊娠しているのが分かったばかりじゃない? そんな体で領地に行くのは危険だわ。それから、ね、使用人は、そろそろ入れ替えが必要なんじゃない? 忙しくなるでしょう?」
使用人の入れ替え。この言葉を意味深につぶやく。
だって、あなたたちはどうせ、このままにはしないつもりでしょう?
魔力人形の存在を知っている使用人をこのまま置いておくわけはないはずよ。成人していない娘に魔力譲渡させていたのは犯罪行為だもの。しかも、魔力核の移植手術のことが使用人から漏れたら、侯爵家でも処罰は免れないわ。家族3人のこと以外では血も涙もない人達だから、きっと使用人に口封じするんでしょうね。
「そうか、そうだな。では、リリアーヌは半年ほど領地で静養するといい。使用人のことは私が考慮しておくよ。おまえは何も心配しなくていいからな」
父は私の言葉にうなずき、母は心配そうに私の目を覗き込んだ。包帯だらけの体で、唯一外に出ている紫色の瞳を。
「リリアーヌ。私の大切なリリアーヌ。あなたは大丈夫よね」
母の声から不安を感じ取ったので、私は安心させるようにその手を握った。
「大丈夫よ、お母様。あなたの大切な娘は、半年後に完璧な姿で戻ってくるわ」
あれほど、父と母に抱きしめてもらいたかったのに、今は手が触れることすら吐き気がする。この人たちは、また子供を作ろうとしている。もしも生まれてきた子供が、大切に愛されて育ったら、私はきっと耐えられない。
地下室に閉じ込めないの?
罵ってやりたくなる気持ちを押し隠して、包帯の下でリリアーヌの笑顔を作った。
「私の弟か妹が生まれるまでには帰ってくるわね。私、初めてお姉様になるのね。とても、楽しみだわ」
そして、私は領地へと旅立った。連れて行く侍女と護衛は新しく雇った者で、ジュエのこともリリアーヌのことも知らない。きっと半年後に戻って来たら、ジュエの存在はこの屋敷からきれいに消え去っている。
領地に行くには、魔導馬車で丸一日かかる。両親が用意した最高級の馬車は、振動が少なくて乗り心地がいい。私はリリアーヌの残した日記を読みながら道中を過ごした。
私がリリアーヌになることで、お姉様の存在が消えてしまった。私に名前を付けてくれて、私を気にかけてくれた、ただ一人の家族のお姉様は、私のせいでいなくなった。お姉様はいったいどこに行ってしまったの? その存在は全く感じられなかった。
誰かに話すことも聞くこともできない。私がリリアーヌに成り代わったと知られると、どうなってしまうのか怖かったから。私は毎日、お姉様に心の中で謝っていた。
でも、このリリアーヌの日記を読むことで、私の中のお姉様を慕う気持ちは消え去った。
日記の中には優しいお姉様はどこにもいなかった。私のことをおもちゃだと言い切る残酷な姉がいた。私が泣いている姿を面白がって、あざ笑っていた。召使いに命令して、私をぶたせたり、泥水をかけさせたりしたのはお姉様だった。ジュエという名前は、「おもちゃ」という意味だそうだ。私は、そう呼ばれることを喜んでいたのに……。
日記の上に涙がぽろぽろと零れ落ちていく。
湿ったページをめくりながら、私は泣き続けた。
同乗した侍女のメアリーは、私の流した涙を体調が優れないためだろうと心配したが、私の体はどこも悪くなかった。
今までになく健康で、どこも痛むところはない。あの赤い瞳の魔法医の医療技術は、きっと優れていたのだろう。
だけど、体は健康でも、私の心はどうしようもなく、まるで押しつぶされてひしゃげたように苦しかった。
涙でびしょ濡れになった包帯を拭こうと、メアリーがハンカチを押し当てた時、私の顔を覆う包帯がはらりと解けた。するすると馬車の床に向って解け落ちていく白い包帯を見て、私は素早く顔を両手で隠した。
まだ、この新しい顔に向き合う心構えができていない。
私は嗚咽を漏らしながら両手で顔を覆った。
「リリアーヌ様、大丈夫です! お美しいお肌は、どこも後遺症はありません!」
メアリーが勇気づけるように大声で言った。
「ほら! 鏡を見てください。お美しいです! しみひとつない、本当にきれいな肌のお顔です!」
その言葉を聞いて、おそるおそる鏡を指の隙間から覗き見ると、包帯の取れた真っ白な手で顔を覆っている私が映っていた。
紫色の大きな両目のまわりの肌は白かった。ゆっくりと指をずらし、しみも、そばかすも、何もない真っ白い肌を見つめた。きれいな透明感のある白い肌。すっとした鼻筋の下に小さなピンク色の唇。どこも、おかしいところはない。完璧なリリアーヌの美貌があった。
「これが、私……」
鏡から目をそらさずにつぶやいた。メアリーは、私をほめそやした。
「本当におきれいですね。ご領主様のお嬢様のことはみんな知ってますけど、噂以上におきれいなお嬢様だから、きっとびっくりしますよ。私も、こんなきれいなお嬢様のお世話ができて、うれしいです!」
メアリーの誉め言葉を聞きながら、私は鏡を見ながら自分の顔をペタペタと触った。
完璧なリリアーヌの顔がそこにあった。
ああ、私は本当にリリアーヌになってしまったんだ。
「でも、こんなに早く包帯が取れるなんて、どうしますか? 領地に行かずにこのまま引き返しますか?」
包帯が取れるまでの半年間は、領地で暮らす予定だったのに、なぜこんなに早く取れてしまったのだろう? でも、あの両親のいる屋敷になんかいられない。
「いいえ、このまま領地に向ってちょうだい。私には療養が必要だわ」
おもちゃのジュエが、本物のリリアーヌになりかわるためには、時間が必要なのだ。私には教養も知識も何もない。リリアーヌを知る人がいない領地で、私はリリアーヌに成り代わる準備をするのだ。
そして、日記に書かれていたリリアーヌの目標を達成しよう。大聖女になって王子と結婚してやる。そうしたら、私はリリアーヌを超えることができたと思えるから。
そしたら、あの両親を、消えた姉を見返すことができるかもしれない。
それだけが、今の私の存在する価値だろう。