2 ジュエと呼ばれた人形
ジュエと言う呼び方は姉が考えてくれた。それまでは、家族には、あれ、とか、それ、としか呼ばれなかった。いつも怖い顔をして、痛いことをさせるあの綺麗な服を着た人たちが家族だってことは、看護師のアンナに聞くまで知らなかった。
私をジュエと呼んでくれた綺麗なお姉様は、いつもお母様って人とお父親って人に優しくされて、綺麗なものがいっぱいある部屋で大勢の召使いに囲まれて過ごしている。
どうして私だけ地下室に住まなきゃいけないの?
この窓のない部屋で、看護師のアンナに世話をされて、健康な体を作ることが私の仕事。そして、痛くてたまらない魔力譲渡をすることも。それが幼い時からの私の毎日だった。
「さあ、お散歩の時間ですよ。お日様の光を浴びないと良い魔力が育ちませんからね」
アンナが部屋の鍵を開けて入ってきた。私は読んでいた本に栞を挟んで立ち上がった。日課の散歩の時間だ。高い木の板に囲われた迷路の庭をただひたすら歩く。1日に50周しなきゃいけない。
私は地下室にずっといるから運動不足なんだって。私だって、お姉様みたいに馬車にのってお出かけしたい。お父様やお母様と一緒に、湖ってところでピクニックしてみたい。
どうして私はどこにも行けないの?
アンナに聞いても首をふるだけ。
お姉様は私の魔力がないと死んじゃうから、いつでも魔力を譲渡できるように、私は家にいなきゃだめなんだって。
でも、それならお姉様も一緒に家にいたらいいのに。お姉様も一緒に地下室にいればいいのに。
そう言ったら、お姉様は病気でかわいそうだから気晴しが必要だ、なんて返されたけど、でも、お姉様はもう病気じゃない。知ってるんだから。最近はもう、熱が出ることもなくなった。
私の魔力をずっと浴びていたから、病気が治ったんじゃないかってお父様とお母様が話していた。
魔力譲渡の必要がなくなって、苦しい思いをしなくてすんだのは良かったのだけど、かわりに聖水っていうのを作らされる。これは、病気の人を治す、人のためになることなのよってお姉様は言うけど、全然知らない人のためになることをするよりも、私自身のために、外に出て気晴らしっていうのをしてみたい。
そう言うと、お父様に叩かれた。我が家を破滅させる気かって。どうしてみんな外に行くのに、私だけだめなの?
「お嬢さま、私は用事がありますので、日が暮れるまで一人で迷路をひたすら歩き続けてくださいね。この前みたいに、逃げ出そうとしても無駄ですよ。見張りがいますからね。またご主人様にお仕置きされますよ」
わかってるよ。この前はこっそり逃げたらすぐに捕まって、お母様にムチで打たれた。痛かったけど、正直言うとそれほどでもなかった。だって、魔力を抜かれるときの痛みより、ずっとマシだもん。
でも、運動の時にアンナがついてこないのは都合がいい。知ってるよ。アンナは庭師のジョンと逢引してるって。メイドが噂してるもん。地下室はワイン貯蔵庫の隣だから、仕事をサボってる召使いの声がよく響くから。
さあ、今から何をするかって。うん、決まってる。
私は急いで駆け出した。この前見つけた木の割れ目。小さいから通れないけど、外をのぞくことはできる。もしかして、もっといっぱい割れ目を広げたら、外に出られるかも。
ちょうどいい大きさの石を見つけて、朽ちた木の板を削る。雨にさらされてカビで腐ってるから、毎日がんばったら穴が大きくなるよね。もっと、もっと大きくしたい。あの、向こうにある黄色いお花が取りたいの。ここまでいい匂いのする綺麗なお花。
「黄薔薇が美しい庭だな」
「良かったら切り分けますわ。殿下に褒めていただけるなんて、父母も喜びます。神殿長様もいかがですか」
話し声が聞こえて、びっくりして削るのをやめた。こっそりと割れ目からのぞいてみた。黄色のお花の前には、お姉様と初めて見る二人の男の人がいた。
「リリアーヌ殿の体調が良くなったのは、この庭のおかげかもしれませんなぁ。黄薔薇には心と体を落ち着ける効果があるといわれておるからの」
「神殿長が言うとおり、リリアーヌ嬢の体調が良くなって何よりだね。これで聖女として神殿で務めることもできるんじゃないかな」
「そう、……ですわね。でも、少し不安があって、両親が心配しますので……わたくしはまだ、聖女としてのお勤めをする自信がありません」
「謙遜することはない。そなたの作る聖水は、他の聖女のものよりはるかに優れておる。一日も早く神殿に来るのを待っておるぞ」
「神殿長様……」
お姉様と話しているのは、白い服を着た優しそうなおじいさん。それから、すごく綺麗でかっこいい男の人! 庭師のジョンや、お父様よりもずっとかっこいい。絵本に描かれてるみたいな金髪のキラキラした王子様! そうだ、殿下って呼ばれてるから、本当に王子様なんだ。
ああ、なんてきれいな男の人なの? まぶしいくらいにかっこいい。もっと近くに行きたい!
「神殿長の言うとおり、聖女となって、神殿に行くのが良いと思う。前回の魔物討伐の時に、君の作った聖水を初めて使ったが、驚くほどの治癒力があった。私の命を救ってくれたといってもいい。あんなにすばらしい聖水は他にはないだろう。次の大聖女になるのにふさわしい聖水だ。それに、美しい虹色の聖水のように、君の姿も心もとても美しい。私の婚約者は聖女の中から選ばれる。私のために聖女になってほしい」
「まあ、殿下……。光栄ですわ。わたくし、両親を説得してみます」
「ありがとう。期待しているよ」
王子様はお姉様にお日様みたいなまぶしい笑顔を見せた。