10 聖女
「オディットさんは、殿下と親しくしてらっしゃるの?」
荷物を運び終わったメアリーが迎えに来たので、一緒に神殿長室から退出した後、オディットに疑問をぶつけてみた。
私のすぐ前を歩いていたオディットは、一つに結わえたピンク色の髪を揺らして振り向いた。
「はい! 私、前にリリアーヌ様のお屋敷でアルフレッド様にお会いしてから、ずっと気にかけてもらってます。ほら、私って、平民だから結構いじめにあうんですよね。でも、アルフレッド様がそれを注意してくれて、いじめもなくなったんです。本当に素晴らしい方ですよね」
にこにこ無邪気に笑っているけれど、優越感に浸った笑顔のように見えた。
「そうね。殿下は素晴らしいお方ですわね」
私は殿下と呼ぶのに、オディットはアルフレッド様と呼ぶ。
神殿長の部屋でも、誰もそれを咎めなかった。平民なのに。
「でも、本当に良かったです。聖水って作るのにかなり時間がかかるから、一日が潰れちゃうでしょう。リリアーヌ様がかわりに聖水を作ってくれたら、私が外に出て聖女の活動ができるから、本当に歓迎してるんですよ。だってね、」
オディットは私の隣に小走りで寄って来て、小声で耳打ちした。
「私とリリアーヌ様以外の聖女は、効果の低い聖水しかつくれないんですよ。治療魔法だって、大したことない怪我ぐらいしか治せないし。貴族だからって威張ってるけど、実力は全く伴わないんですよね。仕事ができない聖女って、いるだけ無駄だって思うんです」
悪意ある言葉に驚いて、まじまじとオディットの顔を見つめてしまう。
「なーんてね、ふふふ。本当にうれしいです。私とおんなじ一流の聖女が増えたから、ようやく仕事が分担できますね」
なんなの?! 神殿に上がるまでは、我が家の執事にさえ媚びを売っていた平民のくせに、ここでは彼女の方が立場が上だとでも言うの?
急いで神殿の人間関係をメアリーに調べさせないと。こんな子に負けるなんて絶対いやよ。
「あ、ここです! うわぁ、たくさん荷物を持って来たんですね。まだ搬入が終わってないんだ。すごい数のドレスですね。でも、聖女は基本は制服を着るんですよ。だって、治療院では血とか汚物が飛び散ってますもん。高価なドレスをシミだらけにするわけにはいかないでしょう?」
悪意を隠さないオディットの嫌味に、メアリーが目をとがらせた。
そうよ。分かっているわ。クローゼットに入りきらない量のドレスはやりすぎね。でも、嬉々として用意する母と、もめるのが嫌で止めなかった。
私は着飾るつもりなんてない。リリアーヌになるまでは下働きの着る灰色のワンピースしか持ってなかったのよ。着飾ることにあこがれてはいたけれど、ドレスを着た姿はどうしても本物の姉のリリアーヌにしか見えないもの。私が消えてしまったようで好きじゃない。
「オディットさんのおっしゃるとおりね。ドレスは売って収益を孤児院に寄付することにするわ」
「お嬢様! こんな無礼な平民のいいなりにならないでください! なんて失礼な子!」
メアリーがオディットに指をつきつけながら怒り出した。
「メアリー、オディットさんは聖女ですのよ。私は彼女の後輩になる立場なのだから、助言は受け入れるわよ」
優しくメアリーをたしなめた。短気で素直なメアリーは、このままだと手に持ったバッグをオディットにぶつけそうだから。
「聖女の先輩として扱ってもらえるなら、もう一つ助言してもいいですか?」
どこまで、彼女は無礼なんだろう。調子にのっているオディットはソファーに足を組んで座りながら私を見上げて言った。
着席を許してなどいないのに、平民が貴族に勝手をするなんてありえない。
内心の不愉快さをぐっとこらえて、穏やかな笑顔を崩さずにオディットに先を促した。
「あんまりメイドに頼らずに、自分のことは自分でできるようになった方がいいですよ。リリアーヌ様は他のお飾りの貴族の聖女とは違って、本物の聖女になるんですよね。魔物討伐とかについて行くんだったら、野外生活をするから、メイドは連れて行けませんよ」
「なんて、無礼な! リリアーヌ様が魔物討伐なんて。そんな危険なところに病弱なお嬢様が行くわけないでしょ!」
せっかく、抑えたのに、メアリーの怒りが復活した。今にも掴みかからんばかりの勢いだ。
「ええー、でも、健康になったって言ってたじゃない。ほんと、今の神殿はまともな聖女が私ひとりだから、リリアーヌ様の力が絶対必要なんだって」
「お嬢様は侯爵令嬢なんですよ。由緒あるデュボア家のご令嬢なの!」
「でも、聖女でしょ。聖女なら国のために働かなきゃ」
「なんですって!」
二人の言い合いが続くのをやめさせて、私はメアリーを連れて荷物を片付けている隣の部屋に入った。
ソファーでくつろいでいるオディットを無視した形になるけど、部屋に招いてもいないもの。もてなしなんてしたくないわ。
「すみませんお嬢様、まだ片付けが終わっておりません」
恐縮する神殿の下働きの者を笑顔で労ってやる。
少しでもここでの立場を固めるためには、評判を上げなくては。
「かまわないわ。ああ、ドレスはシンプルなものだけ箱から出して、後はそのままにしてちょうだい。寄付をすることになったの。それと、宝石類もそのままでいいわ。実家に送り返しましょう」
私に与えられた部屋は高位貴族用で、侍女や護衛の部屋へと続く大きな応接室と寝室、そして衣裳部屋まである。一通り見渡して応接室に戻ってくると、無礼なオディットはもういなくなっていた。オディットが座っていたのと反対側のソファーに座り、メアリーが入れてくれた紅茶を飲みながら、これからのことを考えた。
アルフレッド王子はたびたび神殿にいらっしゃってるようね。
大聖女と結婚することが王家の習わしだから、未来の妃を気にかけてくださっているのでしょう。
相変わらず、とても美しい姿をしていたわ。
まだ、私がリリアーヌになる前に、一目見て恋焦がれた王子様。今日の出会いをずっと地下室で夢見ていた。私はアルフレッド様が口づけを落とした左手を見つめた。
ようやくあの方の側に行けた。
でも……。
オディットのピンク色の髪が頭をよぎった。
平民のオディットがアルフレッド様に近づきすぎている。神殿では身分よりも実力が優先されるのかしら? 我が家が後見をしているとは言っても、あの増長した態度はおかしいわ。アルフレッド様も、神殿長も咎めない。あれではオディットが勘違いしてしまうんじゃないか心配ね。
でも、家柄も血筋も魔力も私の方が上だってことを必ず分かってもらわなきゃ。王子の隣にふさわしいのはこの私、完璧なリリアーヌだってことは、明らかだもの。