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花は、散る




「カナタ様……どうして……いったい何があったというのですか……?」

「…………」


目の前のエミリアには理解出来ないだろう。守るべき人間を手にかけた俺の心の歪みなど。


俺は確かに変わってしまった。魔族になってしまった。

以前なら彼女の言葉一つ一つに身が打たれるような心地良さがあった。

今では全てが無意味なものに思えてしまう。


この世界で新山奏太として生きた17年は、両親にこそ恵まれなかったものの、平凡で、しかし穏やかな日常ではあった。

かつての俺が最も望んでいた、もう一つの人生。幾万年にも及ぶ戦いの末に辿り着いた安住の地。

巡り合うまで何と長かったことか。そして巡り合って何と短かったことか。


空を見上げる。


上空には黒い雲が俺を中心にして広がり、太陽までをも呑み込んでいた。

これからもっと荒れるかもしれない――

そんなことを考えていると、風に乗って白い欠片が俺の胸元に飛び込んで来た。


手に取るとわずかに薄紅の、それは桜の花びらだった。


今年は例年よりも早咲き、という気象予報士のコメントが漠然と思い出される。

桜なんてこの世界――この国おいてはどこにだって生えているし、今さらそうありがたがるものではない。


満開の桜の、後に残るのは泥にまみれた死骸の山。

それこそ俺の新しい門出にはふさわしい演出であるのに違いなかった。

地に堕ち踏みにじられ、花たちも思うのだろうか。


どうして――と。


かつて俺が殺してきた数多の魔王たちがそうであったように。


俺の中に〝桜〟が存在しないのは、ただ見過ごしていたから。

手のひらからこぼれ落ち崩れ去り手遅れになって初めて、それはかけがえのない物に変わるのだ。

誰であれ何であれ確実に、どうしようもないほどに。


そして、だから花は落ちるのだろう。


俺に、魔王に、エミリアに、そしてかつての仲間たち。

別れを約束された出会いなんてものに、いったいどれほどの意味があるというのか。

途方もない長い人生の中、俺と彼らがほんのひととき〝俺たち〟であったことに、いったい。


手を開く。

花びらはひらりと、足下にいるエミリアの前に吸い込まれるように舞い落ちていった。


「カナタ……様……?」

「…………」


俺はエミリアに視線を合わせず、前を見据えた。


――終わりを悔やむくらいなら、始めなければよかった。


耳鳴りのように響いた言葉は、どこから誰に向けて発せられたものだったのか。

その答えは知るよしもなく、知るまでもなかった。

俺はもう始めてしまった。目覚めてしまった。

全てが手遅れで、だがそうするほかにはなかった。


俺はエミリア達と出会い、人間と魔族――種族を超えたかけがえのない絆の大切さ、そして失うことの切り裂かれるような悲しみも、身が凍りつくほど知っている。だが――


その上で、全てを粉々にして踏みつけることにためらいはなかった。


俺は守るべき人間を大勢殺したというのに、それが正しいことだと感じてしまっている。

人種族の命脈を絶つことが、この世の最上の喜びに思えてしまっている。


人間性が欠落している。罪悪感が吹っ飛んでいる。

神などという下らぬ存在を盲信して戦い続けた勇者のなれの果てが、この俺だ。


……この地獄で何かを望んだことが間違っていた。

そもそも人間に対し、何かを望んだこと自体が間違っていた。


「――エミリア、俺はようやく気づいた。神は人間に試練を与えることを生き甲斐としている。もがき苦しむ様を見て楽しいと思うからだ。そしてほとんどの人間は神と同じで誰かが不幸になることを好む」

「そんなことは……」


ない、とは言い切れないだろう。他ならぬエミリアならば。


「ところで、神が人間に最初に与えた試練とはなんだ?」

「……魔族の私には……」

「それは従属だ。上から下に向け水が流れるように、弱者は強者に靡く。自分を弱者だと認め、強者の顔色をうかがい下げたくない頭を下げる。それは試練であり、万象を支配する摂理でもある。だが――」


俺は、桜の花びらを踏みにじりながら言った。


「人間たちは最初で最後の試練に失敗した」


それはまるで、死刑宣告のように。


この世界も地獄ならば――地獄に相応しい形容にすべきである。







~~~~~エミリア視点~~~~~








「人間たちは最初で最後の試練に失敗した」


そう宣言するとカナタ様は<飛行魔法(フライト)>で空高く舞い上がった。

カナタ様を追うようにして私も後に続いた。


闇に覆われた空の上でカナタ様は、凍てついた霜のような目つきでから地上を見下ろしていた。


「カナタ様、いったい何を――」

「<炎熱世界(ムスペルヘイム)>」


私の問い掛けを無視したカナタ様は、呪文を唱えながら手の平の上に小さな火種を生み出した。 やがてその火種を地上へと落とす。ゆっくりと。


そうして火種が地表に達した瞬間、ゴオオオォと大気を引き裂いて轟音が響き渡った。地面を突き破った火柱が猛烈な勢いで人間や建物を呑み込んでいく。


火柱に照らされて見えたのはまさしく地獄の光景だった。


あまりの高温で、建物の大半が蒸発していく。そして融解したようにすら見えるほどに赤茶けた大地。人間が生存できる環境でないことは明らかだった。


「……………………」


私はただ呆然と、眼下の灼けるような赤を見つめた。


そして気がつけばカナタ様は私の目の前にいた。


「エミリア。お前はどうする?」


カナタ様は感情の無い声で、私に問い掛ける。

再会した直後に見せた柔和そうな瞳は、なりを潜めていた。


「どうする……とは……?」

「人間を守るために俺と一戦交えるか。俺と共に修羅の道へと堕ちるか。あるいは俺の前から逃げ出すのか」


きっとカナタ様は人種族をこの地上から全て消し去るつもりでいるのだろう。


「私は……」


考えるまでもない。

私の一生はカナタ様に捧げると決意したあの日から。


けれど、私は一瞬――ほんの一瞬、逡巡してしまったのだ。



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