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闇堕ちした勇者




俺は初めて罪の無い人間を、明確な殺意のうえで殺した。

狂乱する醜悪な怒りに従った結果だ。


往々にして一時の感情に任せるまま力を揮った者の末路がどうあるかなど、分かっている。

分かっているまでは俺も正常だ。


だが、その先がどうも歪んでいる。


俺の心に罪の意識や後悔といった人間らしい感情が絶無とまでは言わないが、殆どといっていいくらいに生まれてこなかった。

代わりに大きく欠けた罪悪感を埋めるのは、甘美な充足感であった。


残酷さも人の業――などという自己正当化を自問自答してみたが、やはり自分が殺人者であることの免罪符にはなり得ないと結論に至る。

人殺しは悪だ。そんなことは分かっている。だが、俺は止められなかったのだ。


救いがあるとすればエミリアが無事であったということだろうか。

しかし今となっては、光明など見えなくてもいいとさえ心のどこかで思っている。


「エミリア」


呆然と座り込んでいる彼女の名を呼んだ。

肩を僅かに震わせながら振り返るエミリアと視線が絡み合う。


「か、カナタ様っ!? その眼は……!」


彼女の視線の先にある自分の左眼に手をやると、やたら粘度の高い液体が掌についた。

血液。それも、人間のものではない。だが、それは確かに俺の身体から流れ出たモノであることには違いなかった。

そして俺はこの液体の正体を知っている。


「……魔族、か」

「………………っ」


俺がそう呟くと、エミリアの固唾を呑む音が聞こえた。


「エミリア。お前の目に俺はどう映る?」

「……………………」

「訊くまでもなかったようだな」


寡黙なる雄弁さとも云うべきか。

彼女は何も応えなかったが、それが答えなのだろう。


どうやら俺は魔族化してしまったらしい。

すると俺の歪んでしまった倫理観は、この身体に流れる血が源泉なのかもしれぬ。

……いや、そうではない。魔族化なんてものは、ただのきっかけに過ぎず、俺は人間に対する怒りが心の奥底で常に燻り続けていた。


俺がかつて勇者であった頃、世界を救うたび消滅させられ、次の世界――いや、時代に飛ばされていた。


『勇者よ。魔王を倒し、世界を救うのじゃ』


そしてまた、勇者の使命を果たせと、同じ言葉を繰り返す人間を守るために戦わされる。


俺など、もはや魔王を討伐するためだけに存在する公共物。

まるで機械のように都合よくその時代の人間に使い潰されていくだけの人生。


家に帰りたい。

父さんと母さんに会いたい。

魔王も竜も、もう殺したくない。

もう一度、心から笑いたい。


だが、俺の周りには俺を理解しようとしない奴らばかり残る。

エミリア達と出会う前の、俺を取り巻く環境――いや、世界は地獄そのものだった。


いつの時代も前面には有能な魔族てき、後背には無能な貴族みかた

俺は常にこの両者を相手に闘わねばならなかった。


人を守るために剣を手にした。

人を守るために魔法を唱えた。

人を守るために魔王を殺した。


守るため。そんな言葉も結局は空虚な妄想だったのかもしれぬ。

妄想の先にあるのは、ただの現実。

勇者という理由を免罪符に、守るという言葉を隠れ蓑にした偽善。


「エミリア、もう一つだけ訊く。カーラ、レイラ、そしてルーカス。ヤツらはまだ生きているのか?」

「……いえ。彼らは人種族なので……皆さん寿命でお亡くなりに……」

「そうか」


エミリアと同時代に出会い、そして俺が最初で最後のパーティを組んだ仲間たち。

俺を理解し、歪んだ世界を正そうと共に歩んだ人間達は、皆逝ってしまったか。


俺は足下に転がっていた人間の亡骸をぐしゃりと踏み潰した。乾燥していたのか粉や破片が風に乗って飛散する。


「か、カナタ様!? おやめください!」

「……………………」


俺はエミリアの制止を無視して更に踏みつけた。元がなんだったか分からないくらいに形が壊れていく。

だが、俺の心に傷一つ付くことは無かった。


もうこの俺に、守るべき人間など、一人もいない。


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